電動化に向けての、最も深刻な課題・問題は何か?
2025.03.04 あの多田哲哉のクルマQ&A長年クルマをつくり続けてきた大きな自動車メーカーが、電動化に際してどこも苦しみ、悩んでいるように見えます。具体的にどんな課題があって、何が大きな問題になっているのでしょうか? 教えてください。
クルマの電動化というと、多くの方は「パワーユニットがエンジンからモーターに変わることだ」と思うでしょうが、極端に言いますと、じつはどちらでもいいのです。
ここでの“電動”の本質的な意味合いは、モーターかエンジンかという問題ではなくて、最も重要なのは「SDV(ソフトウエアディファインドビークル)と呼ばれている『ソフトウエアで性能を高めていけるようなクルマ』に、自社のこれまでの資産と次世代のクルマ――そのパワーユニットがエンジンであれモーターであれ――をソフトウエアで管理できるような、いわゆるOS(オペレーティングシステム)、しかも自社で管理できるOSがつくれるかどうか」なのです。
他社のつくるOSにぶら下がるのは簡単ですが、それでは相手にすべてを支配されることになる。自社の未来はありません。そこで、みんな苦労しながら自社開発に動いているというのが現状です。
電動化=SDV化と言い換えてもいいのですが、SDVとはそもそも何なのかみんなクリアになっていないので、話がよくわからない。OSについても、誰もがいまひとつピンときていない。
身近なものでOSといえば、スマホのiOSであり、Androidですよね。以前はほかにもたくさんあったのに、今はこの2つに集約されて、常にアップデートしつつ性能を高めているという状況です。これら2つのOSが現在のレベルに達するまでには、たくさんのソフトウエアエンジニアの膨大な労力がつぎ込まれていて、たとえ新興メーカーが「これら2つのOSに対抗できるものをつくります!」なんて言い出し、とてつもないお金と労力をかけたところで追いつくことは不可能なんです。
自動車界の立ち位置はまさに、そのスマートフォンのOSが入り乱れていた時代です。で、現在のメーカーのなかで、そういうまともなOSができているのはどこかといえば、テスラとBYDくらいのものでしょう。
フォルクスワーゲンが出資したリビアンは、アメリカでテスラに次ぐ2番手のEVメーカーです。中国にも、BYDに続く新興メーカーがいくつかありますが、ここ数年で数は減るはず。スマホのように2社になるかどうかはわかりませんが、今から淘汰(とうた)が始まっていくでしょう。で、フォルクスワーゲンやトヨタを含め、旧来の大きな自動車メーカーはどこも競争のスタートラインにすら立てていない。
では、どうしてテスラやBYDにできて、むかしから自動車開発に取り組んできたトヨタやフォルクスワーゲンはできないのかというと、それは“これまでの長い歴史”が邪魔をしているからです。
もともとクルマにはコンピューターなんて付いていませんでしたが、排ガス規制が始まって以来、キャブレターでは成し得ない高効率な燃焼管理が必要となり、ちょこちょこと制御用マイクロコンピューターが入ってきた。その後、サスペンションに至るまでいろいろなところにも入り込み、クルマの性能がどんどん上がってきたわけです。そういうものを、ネットワークといわれる“線”でつないで、車速やGPSデータなどさまざまな情報を何十個もあるコンピューターで解析・演算しつつ走っているのが今のクルマなんです。
そういうクルマの制御プログラムは、スマホのように書き換えができず、製品としてできたときにROMというチップに書き込まれて提供されている。それだとソフトの性能を上げたいときにアップデートできないので、数年前からは末端のコンピューターもプログラムを書き換えられるように少しずつ変わってはきているのですが、旧来のメーカーでは「何もかもが一気に変わる」ということはない。
その点、新興EVメーカーのテスラなどは、もともとエンジンがありません。モーターというのは、エンジンに比べると、そういう電子制御がしやすいのです。みなさん、SDVと聞けばまずEVをイメージすると思いますが、SDVはEVに限ったものではない。ただ、モーターのほうが親和性が高く、全体としてつくりやすいとはいえます。
テスラやBYDは、むかしから引きずってきたエンジン制御のための“小さなコンピューター”とは無縁であるため、モーターの制御、さらに足まわりとエンタメ系を担う3つほどの高性能コンピューターを積み、それらをあとから更新するという方式で開発をスタートしています。OTA(無線通信)でどんどんプログラムを書き換えていくという仕組みです。
BYDは(エンジンを搭載する)プラグインハイブリッド車もラインナップしていますが、それは、上記の仕組みができあがったうえであとからエンジンを付け加えたというだけのこと。つまり、既存メーカーのように古いシステムの既販売車もサポートする複雑なOSは必要ないわけです。
トヨタやフォルクスワーゲンが困っている大きな理由のひとつは、これまで“小さなコンピューター”をつくってきたサプライヤーがものすごく多いということです。それらを全部切り捨てて、大きなサプライヤーにすべてを用立ててもらうこともできなくはないが、そうしたなら、既存のサプライヤーはすべてつぶれてしまう。そういうものと折り合いをつけながら一生懸命開発に取り組んでいるものだから、なかなかうまく進んでいかない、というのが一番のジレンマなのです。
仮に大胆な決断をして既存のサプライヤーを切り捨てたところで、じゃあ今まで売ってきたクルマはどうなるのか、市販車の部品供給の面はどうなってしまうのかという問題が出てきます。そして、いざトラブルが出たときはどうするのか? トラブル発生時は、現実にはサプライヤーが主体となって対応してくれているわけですよ。そこまでカバーできるのか明確な答えが得られないから、何とかするしかないんだとOS開発に取り組んではいるが……うまくいっているとは言い難い状況のようです。
ソフトウエア更新の重要なツールとなるOTAにも難題があります。日本では、お役所がいろいろ条件をつけているのです。自動更新だなんて、そんなことをしたら、認証の意味がなくなるだろう! と。しかしそれでは、認証用件にかかわるコンピューターの制御プログラムは一切書き換えられないことになってしまう。そしてこれがまた、海外の新興メーカーと日本メーカーとの差が開いてしまう要因になってきます。まったく、一筋縄ではいかない課題・問題ばかりです。
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多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。