第919回:親愛なる知人に「尊きバカさ」を見た
2025.07.17 マッキナ あらモーダ!知人アンドレア
夏休み。読者諸氏のなかには、趣味に打ち込めることを楽しみにしておられる方がいると思う。今回は、それを若き日からさまざまなかたちで実践している、愛すべきおじさんの話である。筆者の知人、アンドレア氏(以下、敬称略)だ。60代半ばの彼は現在、北部のヴィチェンツァで夫人が営む用品店の経理の身だが、筆者が住むシエナの出身である。
まずは、2012年の拙著『イタリア発シアワセの秘密 笑って!愛して!トスカーナの平日』(二玄社刊)に「バイク馬鹿やってた、あの頃」として記した、彼の高校時代を引用してみる。時は1970年代。彼は百科事典の訪問販売員をしていた父親のスクーターを勝手に乗り出しては、バイク仲間に入れてもらっていたという。「風防が付いてると格好悪いので、友達と会うときは毎回ビスを外して取っぱらい、帰ってからこっそり付け直しておいたもんよ」と笑う。
シエナ旧市街を象徴するカンポ広場で、警察官の目を盗んではサーキットごっこを繰り返した。「メンバーのなかには、ナンニーニもいたよ」と彼は証言する。のちにF1ドライバーとなるアレッサンドロ・ナンニーニである。ちなみに以前、筆者がナンニーニ本人に聞いたところ、当時乗っていたのはKTM製バイクで、警察官のモト・グッツィをまくのに十分な性能だったという。今でいうところの、やんちゃな面々だったに違いない。
アンドレアにとって、バイクは高校の授業よりも格段に楽しかった。「おかげで、2回も落第しちゃったよ」と薄くなった頭髪をかいて照れた。
それでも、親はひとりっ子のアンドレアがかわいかったのだろう、ある日、アンドレアに新車がプレゼントされた。「ホンダCB350 Four」だった。「イタリア製二輪車に比べて、格段に静かだったね」とアンドレアは振り返る。価格は105万リラだった。当時初任給の平均が25万リラだったというから、その4.2倍である。ナンニーニを除いて、友達の大半は「ピアッジオ・チャオ」や「ベスパ」が愛車だったので、アンドレアにとっては大逆転であった。
向こう見ずなチャレンジ
そんなある日、アンドレアは、ある賭けを思いついた。「一日のうちに、バイクでモナコ公国のモンテカルロを往復できるか」というものだった。
モンテカルロまでは476kmの道のりである。クラスメイトの十数人が賭けに参加してくれた。翌日、1977年4月26日の朝7時半、アンドレアともう1人の友人は、各自の愛車にまたがってシエナを旅立った。まだ本物のライダースジャケットを持っていなかったので、ツナギにヘルメットといういでたちだった。
まずは一般道でティレニア海に向かい、そこからジェノバまで海沿いのアウトストラーダ(高速道路)をひた走った。そして、国境に近いヴェンティミリアからは一般道をたどることにした。「当時は今とは逆に、アウトストラーダのほうが国境検問がより厳格で、長い車列ができていると聞いていたんだ。それじゃ一日のうちに帰れない、つまり負けると思ったのさ」とアンドレアは語る。
“下道”の国境を無事通過してフランスに入ってからはモナコまで、あと十数kmだ。アンドレアと友人はスロットルをひねり続けた。
そして出発から6時間半後の午後2時、2人は無事モンテカルロにたどり着いた。彼らは駅の売店に行き、アンドレアの父がフランス出張で持ち帰ってきたフラン硬貨で絵はがき2枚と新聞を購入した。「はがきは友達に出した。2枚にしたのはイタリアの郵便事情が悪くて、紛失されてしまっては、元も子もないからだよ」。新聞は“実際にモナコまで来た”という証拠を、より確かなものにするためだった。「カメラも携帯電話もない時代に、こうするしか来たことを証明できなかったんだよ」
一緒に買ったサンドイッチを数分で平らげた2人は、ふたたびバイクにまたがり、早くも帰路についた。わずか20分のモナコ滞在だった。「日が落ちてだんだん寒さに耐えられなくなってきた。しかたないのでモナコで買った新聞をツナギの腹に入れて走り続けたよ」。メーター上で最高160km/hを出したのは覚えているという。
夜7時過ぎ、ルートの途中にある友人宅から、自宅に「友達の家にいて遅くなる」旨の電話を入れた。親への「アリバイづくり」である。
そして夜8時半。たった一日で952kmを走り終え、シエナに帰着した。アンドレアはCB350 Fourを車庫に収め、今日一日何事もなかったかのように自宅の扉を開け、何も知らない両親と共に夕食を食べた。
記録によると、費用は燃料代8000リラと通行料その他で合計1万5000リラだった。賭けに勝っても、元がとれない額だった。それでもアンドレアの心のなかは、達成感で満たされていたという。
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今はスケールモデルに熱中
そのような思い出話からはや十数年。アンドレアが父親の様子を見に来るため、久々にシエナに戻ってくるというので、実家で会うことにした。
目下の趣味は? と聞けば、模型製作であるという。最初に写真を見せてくれたのは、1931年「アルファ・ロメオ8C2300」の1/8スケールモデルだった。イタリアの模型メーカー、ポケール製だ。トリノで創業した同社は、早くからその品質と精密さで高い評価を獲得した。だが業績は終始安定せず、工場火災にも遭うなど不運が続いた。「2004年には英国のホーンビィ社に買収され、その1ブランドになったんだ」とアンドレアは説明する。
彼は8C2300のモデルについて「もともとは今から45年前に買ったものだよ。とんでもなく高かったので、少しずつ貯金をして、しばらくたってから買えたのを覚えている」と振り返る。
「2年前にインターネットでeBayを眺めていたら、未開封のオリジナルをもうひとつ発見したので、衝動買いしたよ。必要なかったけどね」。かくして、うちひとつを開封して作業を開始したらしい。かつて自動車雑誌『カーグラフィック』を毎月2部購入し、1部は読む用、1部は保存用としていた読者がいると聞くが、それに近い。
しかしアンドレアにとっては、いくら名門のキットとはいえ、すべて満足とはいかなかったようだ。「ブレーキ機構のすべてのロッドを、真ちゅうやアルミの棒を使ってつくり直した」。加えて「もともとキットでは再現されていなかったフューエルタンクからキャブレターに至るすべての燃料パイプも銅線を使い、実車の写真を参考につくったよ」と熱く説明する。
いっぽうホーンビィから直接購入した「ドゥカティ1299パニガーレRファイナルエディション」の1/4ダイキャストキットも、オリジナル部品では満足できなかったらしい。「まず組み立てに使われているネジがひどかった! 普通のネジだったんだ。そこで、アメリカ人とニュージーランド人がつくったチタン製ネジを見つけて手に入れたよ」。
さらに「自分でフライス盤を使って、シリンダーヘッドのボルトやハンドルのブレーキレバーのボルトをつくったんだ。黄銅の六角棒から削り出してね」という。ちなみにフライス盤は、かつてジュエリー関係の仕事をしていたとき入手した宝飾用だ。
電気系統もしかり。「スマートフォンの中の極細ケーブルや熱収縮チューブを流用したんだ。燃料系の配線にあるステッカーもつくり直した」。より本物に近づけるために、ボローニャ・ボルゴ・パニガーレのドゥカティ本社に問い合わせ、実車の取扱説明書から必要部分をスキャンした。
アンドレアにとってスケールモデルをつくる喜びとは「できるだけ忠実に実車を再現すること」だという。実はドゥカティからは、当初あまりの照会の頻度に煙たがられていたようだ。しかしアンドレアの熱意が伝わったのだろう。「ボルゴ・パニガーレにある本社博物館からは『完成したら持ってきてほしい』と頼まれた。ぜひ見たいというんだ」と教えてくれた。次なる挑戦は、エアブラシを使って、いかにうまく塗装できるかだという。
正直に向き合うおじさんの魅力
今回の訪問時は、アンドレアの父親の世話にやって来るヘルパーさんがいた。彼女もとりあえずアンドレアの話を聞いていたが、eBayでの追加衝動買いや、ネジ一本にまでのこだわりが十分理解できていたかは不明である。
実は、かつてアンドレアが高校時代の思い出を話したときも、家族たちの顔には、「バカねえ」と書いてあった。大学院生の娘も相手にしていなかった。アンドレアは自室にボクを招き、冒頭で紹介した写真をそっと見せてくれた。彼の顔には「お前なら、わかってくれるよな。この“ノリ”」と書いてあったのを覚えている。
漫画家の故・赤塚不二夫がとらえた「バカ」という概念は、愚かさではなく、人間らしい自由さ・純粋さ・遊び心の象徴だった。そして数々の作品や語録を通して、「バカであること」にこそ価値があるという理論を打ち立てた。
アンドレアの高校時代のモナコ往復ツーリングはイタリア自動車史において何の記録でもない。模型づくりもしかりで、器用な人が多い日本には、彼を超えるモデラーがひしめいているだろう。しかし、本人の語りからは乗り物好きという気持ちに正直に向き合う、人生の豊かさがあふれている。いわば気高いバカさだ。だからこそ、少なくとも筆者には、このおじさんがいつも魅力的に映るのである。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Andrea Betti、Akio Lorenzo OYA/編集=堀田剛資)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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