第920回:テスラ車オーナーの「私、悪くないもん」ステッカー
2025.07.24 マッキナ あらモーダ!お笑い系・漢字系そしてスローガン系
懸案だった日米の関税交渉が2025年7月23日、合意に達した。その米国はといえば、トランプ政権を離れて新党立ち上げを示唆したイーロン・マスク氏の動向も気になるところだ。
さて、今回は近年イタリアで見かけた、自動車ステッカー事情を。思えばそれを最後に取り上げたのは2018年の「第573回:過激化が加速する!? 自動車ステッカー最前線inイタリア」であるから、はや7年だ。
今回は3つの傾向に分けて紹介したい。最初は「お笑い系」だ。
写真2は「Nonno al volante」すなわち「おじいちゃんが運転しています」と記されている。後席ドアの窓という位置が他車に対して適切かどうかは別にして、「おじいちゃん」という表現に、日本の高齢者マーク(イタリアでは、それに相当する公式の表示は制定されていない)よりも親しみを感じるのである。
次の写真3は「ケーキ載ってます」と言う意味である。モデナで撮影した「スズキ・スイフト」だ。記してあったインスタグラムをたどってみると、デリバリーを主とする地元ケーキ職人のアカウントだった。ウケ狙い以上に、丹精込めてつくった品を大切に運びたいという気持ちが伝わってくる。
お笑いステッカーに関していえば、近年はフューエルリッドが格好のキャンバス役を果たしている。写真4は猫=自動車が餌=燃料をねだるという、ちょっとした寓意(ぐうい)画である。また、ポニーテールの女性が満タンにしようと燃料系の針を一生懸命引っ張っている写真5もこれまた楽しい。
漢字のデカールにみるアジア文化の浸透
第2の傾向としては「漢字系」である。写真6は「ヒョンデ・クーペ」のチューニングカーである。中国の風習である到福(本来は写真の「福」の字を上下逆さまに貼る)をイメージしたと思われるデカールが確認できる。いっぽうドアハンドル下のステッカーには「日本製」と記されている。車両のブランドまで含めれば韓中日がミックスされていることになるが、おそらく日本の走り屋を題材にしたコミックや、イタリアでも一部で憧れる若者がいる“大黒ふ頭参集車”の影響と考えられる。
写真7はシエナの城塞(じょうさい)近くで発見した「プジョー107」だ。「張宇」の意味を調べてみると、台湾の人気シンガー・ソングライターに同名の人物がいるので、そのファンかもしれない。
いっぽう写真8は、アウトストラーダ上で発見した「ルノー・クリオ」だ。テールゲートに貼られた文字は「柔道」だ。イタリアで日本の武道をたしなむ人は少なくない。先日世話になったメカニックもそのひとりで、総本山や創設者、さらには師範の名前を熱く解説してくれた。筆者はといえば、何年たっても空手と柔道と合気道の区別がつかないので、そういうときは「へえー」と聞いているしかない。しかし、そうしたかたちでも親日家が増えるのはうれしいことである。
3つ目は「スローガン系」だ。シエナ県内のディスカウントスーパーで見かけた写真9の「アウディA3」には、「言い訳するより強くあれ」とある。筆者自身は怠惰な性格ゆえ、こういう説教くさい言葉を発する人間が苦手だが、もしやオーナーは、毎回乗車時に自らに言い聞かせているのかもしれない。
社会派もある。写真10はドイツのナンバープレートを付けた2代目「フィアット・パンダ クロス」のテールゲートに貼られていたステッカーで、原子力発電所反対をアピールしている。かつて私が住むシエナ一帯でも、「空港拡張反対」や「大型店出店反対」といったものが見られた。抗議の媒体としても、自動車は使われているのである。
自動車文化史に残る文言?
しかしながら、最新の社会派系としては2025年7月、筆者がスーパーマーケットの駐車場で見つけた「テスラ・モデルX」を語らずにはいられない。「I BOUGHT THIS BEFORE ELON WENT CRAZY.(私はこれをイーロンがクレイジーになる前に購入しました)」と訴えている。
説明するまでもなく、イーロン・マスク氏の過激ともとれる政治的発言や行動に対するアンチである。一部の国・地域で起きているテスラ車に対する破壊行為への予防手段ともとれるが、ステッカー一枚でそれを防げると考えているオーナーは少ないであろう。ナチス政権時代に開発された車両を話題にするときのように「設計思想や技術は、切り離して論じるべきだ」といった主張の匂いは今ひとつ希薄である。したがって、後続車の乗員や通行人に対して「だって私、悪くないもん」といった感覚で、笑わせたい気持ちのほうが強いに違いない。
時代がちょっと違えば、ディーゼル車の排ガス不正事件を起こしたフォルクスワーゲンや、日産もステッカーのネタになっていたかもしれない。後者は「私はカルロスが楽器ケースで脱出する前に……」といったフレーズになっていたかもしれないが、冗談はこのあたりでやめておこう。
自動車産業に直接・間接に関連した人物の政治的発言による(今日でいうところの)炎上としては、1953年に起きたゼネラルモーターズ(GM)の社長チャールズE.ウィルソン氏のものを思い出す。
彼は「私は、わが国にとってよいことはGMにとってもよいことであり、その逆もまた然(しか)りだと考えてきた。その両者に違いは存在しないと思っていた」と発言。それを当時のアメリカ国民は「GMにとってよいことはアメリカにとってよいことだ」という趣旨であると解釈し、大きな議論となってしまった。
日本では1990年代初頭、フランスのジュディット・クレッソン首相が「日本人はウサギ小屋のようなアパートに住んでいる」といった嫌悪発言で物議を醸した。彼女の夫がかつてプジョーで輸出関連の部長を務めていたことから、同ブランドにも火の粉が降りかかった。
製品という観点で炎上をみれば、1960年代に中東諸国は、フォード車のボイコットをした時期があった。同社がイスラエル工場を稼働したためだった。テリトリーを拡大すれば、冷戦時代に資本主義の象徴としてとらえられていたコカ・コーラは、たびたび社会主義圏で不買の対象となった。
話がそれてしまったが、「イーロンがクレイジーになる前に」ステッカー登場の背景には、
- 社会の分断が叫ばれるなか、マスク氏が世界屈指の資産家であること
- トランプ政権の特別政府職員として公務員に対して行った解雇が、公共・民間を問わず「明日はわが身」という恐怖を人々に与えたこと
- インターネット時代の情報拡散力
があったと筆者は分析する。ダウ・ジョーンズが運営するサイト『マーケットウオッチ』によると、ステッカーはハワイ在住のデザイナー、マシュー・ヒラー氏が考案したもので、アマゾンなど通販サイトを通じて世界中で入手できるのだ。
仮にテスラの「私、悪くないもん」ステッカーがさらに普及すれば、自動車文化史上まれに見る事象のひとつになる、と筆者は予想している。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=大矢麻里<Mari OYA>、Akio Lorenzo OYA/編集=堀田剛資)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
-
第939回:さりげなさすぎる「フィアット124」は偉大だった 2025.12.4 1966年から2012年までの長きにわたって生産された「フィアット124」。地味で四角いこのクルマは、いかにして世界中で親しまれる存在となったのか? イタリア在住の大矢アキオが、隠れた名車に宿る“エンジニアの良心”を語る。
-
第938回:さよなら「フォード・フォーカス」 27年の光と影 2025.11.27 「フォード・フォーカス」がついに生産終了! ベーシックカーのお手本ともいえる存在で、欧米のみならず世界中で親しまれたグローバルカーは、なぜ歴史の幕を下ろすこととなったのか。欧州在住の大矢アキオが、自動車を取り巻く潮流の変化を語る。
-
第937回:フィレンツェでいきなり中国ショー? 堂々6ブランドの販売店出現 2025.11.20 イタリア・フィレンツェに中国系自動車ブランドの巨大総合ショールームが出現! かの地で勢いを増す中国車の実情と、今日の地位を築くのに至った経緯、そして日本メーカーの生き残りのヒントを、現地在住のコラムニスト、大矢アキオが語る。
-
第936回:イタリアらしさの復興なるか アルファ・ロメオとマセラティの挑戦 2025.11.13 アルファ・ロメオとマセラティが、オーダーメイドサービスやヘリテージ事業などで協業すると発表! 説明会で語られた新プロジェクトの狙いとは? 歴史ある2ブランドが意図する“イタリアらしさの復興”を、イタリア在住の大矢アキオが解説する。
-
第935回:晴れ舞台の片隅で……古典車ショー「アウトモト・デポカ」で見た絶版車愛 2025.11.6 イタリア屈指のヒストリックカーショー「アウトモト・デポカ」を、現地在住のコラムニスト、大矢アキオが取材! イタリアの自動車史、モータースポーツ史を飾る出展車両の数々と、カークラブの運営を支えるメンバーの熱い情熱に触れた。
-
NEW
安心、品質、そして特別な体験を手に入れる レクサス認定中古車CPOという選択
2025.12.10充実のカーライフをレクサス認定中古車CPOで<AD>レクサス独自の厳格な基準をクリアした車両だけが並ぶ「認定中古車CPO(Certified Pre-Owned)」。その特長は品質と保証だけにとどまらない。新車購入オーナーと同じ“特別な体験価値”が約束されるレクサスならではの世界観もまた、大きな魅力である。 -
NEW
業界を揺るがした2025年のホットワード 「トランプ関税」で国産自動車メーカーはどうなった?
2025.12.10デイリーコラム2025年の自動車業界を震え上がらせたのは、アメリカのドナルド・トランプ大統領肝いりのいわゆる「トランプ関税」だ。年の瀬ということで、業界に与えた影響を清水草一が振り返ります。 -
NEW
BYDシーライオン6(FF)【試乗記】
2025.12.10試乗記中国のBYDが日本に向けて放つ第5の矢はプラグインハイブリッド車の「シーライオン6」だ。満タン・満充電からの航続距離は1200kmとされており、BYDは「スーパーハイブリッドSUV」と呼称する。もちろん既存の4モデルと同様に法外(!?)な値づけだ。果たしてその仕上がりやいかに? -
NEW
第95回:レクサスとセンチュリー(前編) ―モノマネじゃない、日本独自の高級車の成否―
2025.12.10カーデザイン曼荼羅「One of One」の標語を掲げ、いちブランドへと独立を果たしたセンチュリー。その存在は、世界のハイエンドブランドと伍(ご)して渡り合うものとなり得るのか? ジャパンモビリティショーのショーカーから、そのポテンシャルをカーデザインの識者と考えた。 -
MTの“シフトフィール”は、どんな要素で決まるのか?
2025.12.9あの多田哲哉のクルマQ&Aクルマ好きの間では、しばしば「MT車のシフトフィールの良しあし」が語られるが、その感触は、どんな要素で決まってくるのだろうか? トヨタでスポーツカーを開発してきたエンジニア、多田哲哉さんに聞いた。 -
フェラーリ12チリンドリ(FR/8AT)【試乗記】
2025.12.9試乗記フェラーリのフラッグシップモデルが刷新。フロントに伝統のV12ユニットを積むニューマシンは、ずばり「12チリンドリ」、つまり12気筒を名乗る。最高出力830PSを生み出すその能力(のごく一部)を日本の公道で味わってみた。












