第75回:「死の谷」が語りかける〜もうひとつの足尾公害事件〜(その4)(矢貫隆)
2005.11.24 クルマで登山第75回:「死の谷」が語りかける〜もうひとつの足尾公害事件〜(その4)(矢貫隆)
拡大
|
拡大
|
■「灰色の煙が空を覆わなかった日はない」
銅の生産高が4000トンに達した2年後、それまで2カ所に分かれていた精錬所が、現在の足尾ダムの1kmほど下流の本山に統合(=足尾精錬所)されるのだが、それは結果として、松木村に決定的な被害を与えることとなった。
銅鉱石を精錬する過程ででる硫酸銅溶液は排水として渡良瀬川に流された。
「それが下流域で鉱毒事件を引き起こしたわけですね」
そう。そのいっぽう、高さ30mほどの煙突からは鉱石精錬の際に発生する硫黄酸化物を含んだ大量の有毒ガスが排出されていた。それが植物にどんな影響を与えるのかといえば、たとえば亜硫酸ガス(=二酸化硫黄)の場合には主に葉肉部に被害をおよぼし、症状としては葉脈間不定形斑点が生じ、あるいは育成抑制や早期落葉が起こる。つまり植物が育たない。
少なくとも松木村にとって、これは机上の理屈では済まなかった。
村の記録によれば、煙害による実施的な被害は1885年(明治18年)頃から養蚕に現れている。そして、被害に拍車をかけたのが1887年に起こった松木大山火事だった。おりからの強風で、火災は松木、仁田元、久蔵など3本の沢沿いの山々や集落ばかりか、現在のわたらせ渓谷鉄道の終着駅、間藤あたりまで広範囲に及び山林や家屋を消失させてしまったのだ。
本来であれば、消失した山地は数年もあれば回復する。それが自然の営みなのだが、しかし足尾の山々ではまるで様子が違っていた。産銅量の増大に伴い煙害はますますひどくなるいっぽうで、幼木は育成を妨げられ、山の回復など望みようもない事態にまで至っていたのである。
「灰色の煙が空を覆わなかった日はない」
松木村の記録はこう書き、精錬所から吐きだされる煙がいかに大量だったかを推測させている。
煙害によって松木村が消滅するまでの事情を、足尾の郷土誌は次のように記している。
「明治21年には桑の木が全滅し、翌22年には養蚕をやめた。約20町歩の農作物(大麦、小麦、大豆、小豆、ヒエ、キビ、大根、人参)は33年までに次々と無収穫となり、馬も毒草を食べたために死亡した。また、明治25年まで個数40、人口270名だったものが、33年に個数30、人口174名に減り、明治34年には1戸を残して全員松木村を去り、その後、数年を経て、松木はまったくの無人となり村が消えた」(つづく)
(文=矢貫隆/2005年11月)

矢貫 隆
1951年生まれ。長距離トラック運転手、タクシードライバーなど、多数の職業を経て、ノンフィクションライターに。現在『CAR GRAPHIC』誌で「矢貫 隆のニッポンジドウシャ奇譚」を連載中。『自殺―生き残りの証言』(文春文庫)、『刑場に消ゆ』(文藝春秋)、『タクシー運転手が教える秘密の京都』(文藝春秋)など、著書多数。
-
最終回:“奇跡の山”、高尾山に迫る危機
その10:山に教わったこと(矢貫隆) 2007.6.1 自動車で通り過ぎて行くだけではわからない事実が山にはある。もちろんその事実は、ただ単に山に登ってきれいな景色を見ているだけではわからない。考えながら山に登ると、いろいろなことが見えてきて、山には教わることがたくさんあった。 -
第97回:“奇跡の山”、高尾山に迫る危機
その9:圏央道は必要なのか?(矢貫隆) 2007.5.28 摺差あたりの旧甲州街道を歩いてみると、頭上にいきなり巨大なジャンクションが姿を現す。不気味な光景だ。街道沿いには「高尾山死守」の看板が立ち、その横には、高尾山に向かって圏央道を建設するための仮の橋脚が建ち始めていた。 -
第95回:“奇跡の山”、高尾山に迫る危機
その7:高尾山の自然を守る市民の会(矢貫隆) 2007.5.21 「昔は静かな暮らしをしていたわけですが、この町の背後を中央線が通るようになり、やがて中央道も開通した。のどかな隠れ里のように見えて、実は大気汚染や騒音に苦しめられているんです。そして今度は圏央道」 -
第94回:“奇跡の山”、高尾山に迫る危機
その6:取り返しのつかない大きなダメージ(矢貫隆) 2007.5.18 圏央道建設のため、「奇跡の山」高尾山にトンネルを掘るというが、それは法隆寺の庭を貫いて道路をつくるようなものではないか。
-
NEW
第855回:タフ&ラグジュアリーを体現 「ディフェンダー」が集う“非日常”の週末
2025.11.26エディターから一言「ディフェンダー」のオーナーとファンが集う祭典「DESTINATION DEFENDER」。非日常的なオフロード走行体験や、オーナー同士の絆を深めるアクティビティーなど、ブランドの哲学「タフ&ラグジュアリー」を体現したイベントを報告する。 -
NEW
「スバルBRZ STI SportタイプRA」登場 500万円~の価格妥当性を探る
2025.11.26デイリーコラム300台限定で販売される「スバルBRZ STI SportタイプRA」はベースモデルよりも120万円ほど高く、お値段は約500万円にも達する。もちろん数多くのチューニングの対価なわけだが、絶対的にはかなりの高額車へと進化している。果たしてその価格は妥当なのだろうか。 -
NEW
「AOG湘南里帰りミーティング2025」の会場より
2025.11.26画像・写真「AOG湘南里帰りミーティング2025」の様子を写真でリポート。「AUTECH」仕様の新型「日産エルグランド」のデザイン公開など、サプライズも用意されていたイベントの様子を、会場を飾ったNISMOやAUTECHのクルマとともに紹介する。 -
NEW
第93回:ジャパンモビリティショー大総括!(その2) ―激論! 2025年の最優秀コンセプトカーはどれだ?―
2025.11.26カーデザイン曼荼羅盛況に終わった「ジャパンモビリティショー2025」を、デザイン視点で大総括! 会場を彩った百花繚乱のショーカーのなかで、「カーデザイン曼荼羅」の面々が思うイチオシの一台はどれか? 各メンバーの“推しグルマ”が、机上で激突する! -
NEW
ポルシェ911タルガ4 GTS(4WD/8AT)【試乗記】
2025.11.26試乗記「ポルシェ911」に求められるのは速さだけではない。リアエンジンと水平対向6気筒エンジンが織りなす独特の運転感覚が、人々を引きつけてやまないのだ。ハイブリッド化された「GTS」は、この味わいの面も満たせているのだろうか。「タルガ4」で検証した。 -
ロイヤルエンフィールド・ハンター350(5MT)【レビュー】
2025.11.25試乗記インドの巨人、ロイヤルエンフィールドの中型ロードスポーツ「ハンター350」に試乗。足まわりにドライブトレイン、インターフェイス類……と、各所に改良が加えられた王道のネイキッドは、ベーシックでありながら上質さも感じさせる一台に進化を遂げていた。
