第169回:ゲレンデのベントレー スイスの高級スキーメーカー「ザイ」を訪問する
2013.01.31 エディターから一言第169回:ゲレンデのベントレースイスの高級スキーメーカー「ザイ」を訪問する
プロが用いるような特別なテクニックなど不要。あくまで気軽にハイパフォーマンスが堪能できる、ベントレーのようなスキー板があるという。その実力を試すために、筆者はスイスアルプスの山麓の町・ディゼンティスに向かった。
ベントレーエンブレムが入ったスキー板!?
ウォールナット、ヒマラヤ杉、ステンレススチール、生ゴム、カーボンファイバー、超高強力ポリエチレン繊維、そしてなぜか、石。これらは、あるスポーツ用品を作るために使われる素材なのだが、それが何だか想像できるだろうか?
2012年の暮れも押し迫ったある日、私はベントレーに招かれてスイスを訪れた。「コンチネンタル フライングスパー スピード」や「コンチネンタルGT V8」を走らせてスキーリゾートを訪ね、そこでベントレーのブランドマークが入ったスキー板に試乗(?)するというのが、このツアーの概要である。「アウディ・クワトロ」譲りの洗練されたフルタイム4WDシステムを備えたベントレー・コンチネンタルは、スノーロードを難なく駆け抜ける強靱(きょうじん)な走破性を有している。このことは、5年ほど前に北海道のテストコースで催されたコンチネンタル・シリーズの試乗会で体験していたので、今回もその雪上性能についてはまったく心配していなかった。
心配だったのは、スキーのほうである。残念ながら、私は本格的にスキーを学んだことはない。20代の頃、年に何度かスキーに出掛けていた時期はあったが、あくまでも我流で腕(脚?)は上がらなかった。だから、ベントレーのお眼鏡にかなうようなスキーを履いても、そのよさが理解できるのかどうか、まったく自信がなかったのである。
この不安は、ベントレーマークをつけたスキー板の不思議な性能により、まったくの杞憂(きゆう)に終わるのだが、それについては後述することにしよう。
スイスイ滑れてしまう不思議
ベントレーが選んだスキーメーカーは、その名を「ザイ(zai)」という。ザイの名を初めて耳にしたとしても不思議ではない。設立は2003年と新しく、現在もスキーの生産量は年間に1000セットほど。しかも、スキーの花形選手が履いてFISワールドカップをにぎわせているわけでもない。よほどのスキーマニアでなければ、その名を知らなくて当然だろう。
そんなザイをベントレーと結びつけたのが、同社の前CEOであるフランツ-ヨセフ・ペフゲン氏だった。ペフゲン氏は4年ほど前に偶然ザイ・スキーを購入。そのあまりの素晴らしさに魅せられると、わざわざザイの工房を訪れ、生産過程などをつぶさに見て回ったという。
これがきっかけとなってベントレーとザイの間にパートナーシップが生まれ、やがてベントレーの名を冠したスキー、その名も「zai for BENTLEY」が完成するのだが、両社の関係が自動車メーカーと異業種の間によくあるコラボレーションとまったくの別物であることは、ベントレーに乗り、そしてザイ・スキーを試すと、たちどころに理解できる。まずはこの点からご説明しよう。
ザイのスキーは一番安くてもおよそ40万円、一番高いzai for BENTLEYは80万円ほどもする。いっぽう、私がスキー場通いをしていた当時、高級なスキーといえばレーシングモデルを指していた。それらは、きっと極めて高性能なのだろうが、スキーヤーにそれ相応の技量と脚力がなければ本当の性能を引き出すことはできない。つまり、超一流のドライバーが操って初めて最高のパフォーマンスを発揮するF1カーとよく似た傾向を持っていたのである。
しかし、ザイ・スキーは異なる。スキー板を履くのは数年ぶり、しかも最近は体力の衰えを痛感することの多い私が、この日はなぜかスイスイと滑れてしまったのだ。
もちろん、私のスキーの腕前が急に向上したわけではない。その証拠に、身体の姿勢は不安定で落ち着かず、時にひどい後傾になったりしていた。普通だったら、とっくの昔に転んでいたことだろう。ところが、ザイを履いていると“コケ”ない。しかも、後傾の無理な姿勢でも板のコントロールが効き、ターンや減速ができたのだ。
ザイの創業者で同社のエンジニアリングを一手に受け持っているシモン・ジャコメット氏が語る。
「私はスイスのダウンヒル(滑降)チームのコーチをしていたことがあります。そのほかにも、やはりスイスのデモンストレーションチームに所属していたこともあれば、スキーを使ったアクロバットを教えていたこともあります。また、大手のスキーメーカーの研究部門に20年ほど勤務した経験を持っています。ただし、私は基本的に“怠け者”なスキーヤーです。だから、努力はあまりしたくない。でも、限界的なスピードで滑りたい。これを実現するため、ザイ・スキーのアイデアを思いつきました」
「あなたは日本からいらっしゃったんですよね?」
そう尋ねるジャコメットに私は「そうです」と答えた。
「私、柔道を勉強したこともあります。柔道では、技をかけるときに相手の力を利用しますよね? だから、小柄な人が大きな人を投げ飛ばすことができる。それと同じような考え方をザイ・スキーでは採り入れています」
なるほど、これはコペルニクス的な発想の転換である。高級なスキーだから高性能なことは当たり前。ただし、特別な技量がなくても、その高性能を存分に楽しめる。ザイ・スキーが目指したのは、ここだったのである。
製品づくりのフィロソフィーで響き合う
そして、このフィロソフィーはベントレーと完全にマッチする。クルマの持つ性能はレーシングカー並み。しかし、そこに洗練された4WDシステムや最新のエレクトロニクス・デバイスと組み合わせることにより、特別なテクニックを駆使しなくとも優れたパフォーマンスを堪能できるのがベントレーの特色である。
つまり、ベントレーとザイは、イギリスとスイスというまったく別の地域で生まれ、互いに相手の存在をほとんど意識しないままこれまで歩んできたにもかかわらず、物づくりの奥底では極めて近い考え方を有していたことになる。4年前、ペフゲン氏が初めて出会ったザイに驚き、パートナーシップが結ばれたのも当然といえるだろう。
冒頭に挙げた素材で何を作るか、皆さんはすでにお気づきであろう。そう、いずれもザイ・スキーを作るのに使われる素材である。ステンレススチールなど、とっくにスキー板に使われていてもおかしくないが、前述のジャコメット氏によれば、ステンレスは通常のスチールに比べてコストが7倍と高いため、これまでスキー板には使われてこなかったそうだ。生ゴムをスキーに使うというのも意外だが、これは見た目の美しさに加え、優れたダンピング性能を有しているため採用したという。ちなみに、ザイが用いる生ゴムは高級ウオッチメーカーのウブロ(HUBLOT)が使っているものとまったく同じものらしい。
カーボンファイバーをハイエンドのスキー板に用いること自体、いまではさほど驚くに値しないが、ザイの場合はスキー板に対して斜めにカーボンを巻き付けるのが特徴で、こうすると理想的なねじれ剛性が得られるという。
超高強力ポリエチレン繊維とは、日本の東洋紡が作る「ダイニーマ」のことだが、張力に対する強度は鉄の12倍もあり、よく知られているケブラーよりも優れているとジャコメット氏は主張する。
最後の石。彼らが用いるのは、地元で産出される片麻岩(へんまがん)。これを厚さ1cmほどに切り、周囲にカーボンファイバーを巻き付けると、たわませても折れない柔軟性を備えるようになる。ザイでは一部高級モデルの芯材としてこの“石”を用いており、その長さはスキー板の長さにほぼ匹敵するのだが、不思議なことにまったく重いとは感じられない。ただし、ダンピング性能が高いため、特にハイスピード域での安定性を向上させるのに有効だという。
単なる“名義貸し”ではなく、製品づくりのフィロソフィーに深い共通性を持つベントレーとザイ。素材に対するこだわりにも、やはり似た部分があるようだ。
(文=大谷達也/写真=ベントレー モーターズ ジャパン)

大谷 達也
自動車ライター。大学卒業後、電機メーカーの研究所にエンジニアとして勤務。1990年に自動車雑誌『CAR GRAPHIC』の編集部員へと転身。同誌副編集長に就任した後、2010年に退職し、フリーランスの自動車ライターとなる。現在はラグジュアリーカーを中心に軽自動車まで幅広く取材。先端技術やモータースポーツ関連の原稿執筆も数多く手がける。2022-2023 日本カー・オブ・ザ・イヤー選考員、日本自動車ジャーナリスト協会会員、日本モータースポーツ記者会会員。