第314回:「ヴィニャーレ」復活。懐かしのモデルを探せ!
2013.09.20 マッキナ あらモーダ!「ザ・カンパニーカー」は変われるのか?
今年のフランクフルトモーターショーは、主要メーカーによってさまざまなコンセプトカーや新型車が公開され、会場を巡るのは、目が回るような忙しさであった。
そうしたなか、ボクが気になったのはフォードのブースである。プレミアム仕様「ヴィニャーレ」を、2015年初頭から展開することを発表したのだ。
その先駆けとして今回、「モンデオ」をベースとした「ヴィニャーレコンセプト」を展示した。オリジナルのグリル&フロントバンパーや、「VIGNALE」バッジ、クロムパーツ、20インチホイールなどに加え、内装もグレードアップしたものである。
欧州でモンデオといえば、企業がリース会社などを介して社員に貸し出す車種の典型として、一部で「ザ・カンパニーカー」のニックネームをもつ。そうしたイメージがどこまで変えられるかは不明だが、興味深い試みではある。
ヴィニャーレの歴史
ヴィニャーレに話を移そう。
古いクルマに詳しい方ならご存じのように、ヴィニャーレはもともとはイタリア・トリノに存在したカロッツェリアの名称であった。創立者アルフレード・ヴィニャーレは、スタビリメンティ・ファリーナ(ピニン・ファリーナを興したバッティスタ・ファリーナの兄が営んでいた会社)で経験を積んだ人物だった。1948年アルフレードは自らの工房を構え、ランチアやフィアットなどをベースとした流麗なスペシャルボディーを手がけ始めた。
日本とも深い関係があった。ダイハツにデザインで協力し、その結果として1963年に「コンパーノ ライトバン」「コンパーノ ワゴン」、翌64年にはセダン版である同「ベルリーナ」が発売されている。また生産型コンパーノとは別に、ワンオフのスパイダーとクーペも製作され、1963年のトリノショーに展示された。これだけ早期に日伊関係の架け橋となりながら、今やそれを知るイタリア人は、たとえエンスージアストでもほとんどいないのは、個人的に残念なことだ。
1968年になると、当時のチェコスロバキアのタトラに、新型車「T613」のデザインを供給している。このT613は、同社製先代モデルの範に従い空冷V8エンジンを搭載したリアエンジン車で、冷戦終結後もしばらく生産され続けた。
フォードによる買収まで
話は前後するが1967年には、「フィアット500」をベースに、ヒストリックカー風のオープンボディーを載せた「ガミーネ」を発表。こちらは今日イタリアの古典車ショーやフィアット500系の集いで、最もポピュラーなヴィニャーレ作品となっている。
しかし、ヴィニャーレは大量生産に適した自動車のデザインをメーカーに提供する新時代のカロッツェリアとして生まれ変わるのに立ち遅れた。そのため、ガミーネを発表したのと同じ1969年、当時急速にイタリア自動車界で存在感を強めていたアルゼンチン出身の元レーシングドライバー、アレハンドロ・デ・トマゾに買収されてしまう。デ・トマゾは前年の1967年、同じく経営の思わしくなかったカロッツェリア・ギアを手に入れていた。
なお、アルフレード・ヴィニャーレは不幸にも、自らの会社の売却が決まった3日後に自動車事故でこの世を去っている。
しかしデ・トマゾは、手に入れたギアもヴィニャーレも、1970年にフォードに売却してしまう。このデ・トマゾによるカロッツェリア買収&売却劇については、業界の風雲児のもくろみ違いとする説と、売買差益を狙った説と、人によって意見が分かれる。
フォード側の背景も記しておこう。当時社主だったヘンリー・フォード2世(1917-1987年)は、個人的にイタリアの崇拝者だった。彼の腹心を務めながらも、のちに彼に解雇されることになるリー・アイアコッカの回顧録によれば、イタリアで購入した家具を社用のジェット機を使って運ばせるほどの熱の入れようだった。1965年に再婚したクリスティーナ夫人もイタリア人だった。
そのような彼である、イタリアのカロッツェリアを手にするチャンスを逃さなかったのは当然だろう。ちなみにフォードがギアを買収したとき手に入れた往年のエクスペリメンタルカーコレクションは、近年オークションに掛けられてしまった。
しかしフォードのもとでも、ヴィニャーレとギアは最盛期の輝きを取り戻せなかった。ヴィニャーレは1970年代なかばに途絶え、ギアはフォードにおける欧州デザイン拠点のひとつとなった。もうひとつギアに関していえば、1973年からはフォードの高級グレード名となったことは、多くの人が知るところである。
あんなブランドいいな、生き返ったらいいな♪
新生ヴィニャーレに話を戻そう。1990年代からフォードグループの一部コンセプトカーなどに「ヴィニャーレ」の名前が使われたことがあったが、今回は本格的復活ということになる。
かつての米国製フルサイズカーの車名「ギャラクシー」をミニバンで復活させたように、フォードは歴史的名称を巧みに使うのが得意である。
前述したように、フォードの高級グレードといえば数年前までギアだった。ヴィニャーレは、ギアと何が違うのか。
今年からフォードイタリアの広報部長に就任したアンドレア・デルカンポ氏が筆者に話したところによると、「ギアが木目基調やレザーに代表される古典的高級感を現していたのに対して、ヴィニャーレはモダンなプレミアム感を目指す」と教えてくれた。このあたりは、生産型でお手並み拝見といこう。
参考までにフォードは、この新ヴィニャーレシリーズの顧客に、メンテナンス時のオーナー宅への車両引き取り&お届けサービス、オーナーズミーティング、さらには空港での顧客専用チェックインカウンター&ラウンジ提供まで、さまざまなおもてなしサービスを計画している。
ネーミング復活といえば、日産がダットサンブランドを新興国市場向けにリバイバルさせた。ブランドを財産とみなすならば、まさに睡眠口座の活用である。
ダットサンと違って海外での歴史はないが、「トヨペット」「スズライト」あたりも生き返ったら、これまた楽しいとボクは思っている。そういえば、マツダが一時レクサス/インフィニティ的プレミアムブランドに育てようと途中まで計画した「アマティ」も悪くないと思う……。
これ以上考えると、とめどもなくなりそうなので、今週はこのへんで。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、Ford)

大矢 アキオ
コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナ在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、22年間にわたってリポーターを務めている。『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。最新刊は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。