第318回:イタリア最後のショー「ボローニャモーターショー」開催中止!
2013.10.18 マッキナ あらモーダ!ボローニャよ、お前もか
2013年12月4日からイタリア・ボローニャで開催される予定だった「ボローニャモーターショー」の中止が決定された。
主催者のGLイベンツ社が2013年10月8日に発表したもので、開催に見合う出展者数を確保できなかったことを理由としている。同社は、引き続き国内でのイベント実現を模索するとしているが、今回の決定によって、イタリアから国際モーターショーは姿を消したことになる。
ボローニャショーは1976年に第1回が行われた。
13万平方メートルを超える広い会場に設営された数々のテストトラックで、ハイスピードの走行デモが行われることなどから、1980年代には集客数で同じイタリアのトリノショーを抜いた。
2000年を最後にトリノ・ショーが消滅してからはイタリア唯一の国際自動車工業連合会(OICA)公認ショーとして毎年12月に開催されてきた。
しかし近年は、自動車市場の冷え込みに伴い、出展者数が減少。昨2012年には会期を10日から5日に短縮した。一時は120万人もあった入場者数も、2012年にはその3分の1近い45万人にまで落ち込んでいた。
欧州では2013年、フランスのリヨンでも、1983年以来隔年で開催されてきたモーターショーが中止に追い込まれた。
大矢アキオ的回顧
中止の発表後、イタリアの自動車関連ウェブサイトでは、「冗談であってほしい」「イタリア唯一の楽しいモーターショーが消えるのは残念」といった惜しむ声が寄せられたいっぽうで、「販売台数の低迷する中(ショーの)効果は見込めず、当然の帰結にすぎない」といった厳しい意見もみられた。
ボローニャショーにはボク個人的にも数々の思い出がある。
イタリアに来て最初の年である1996年のことだ。当時通っていたシエナ外国人大学には、日本の企業からも研修のため派遣されている人が何人もいた。
そのなかに商社マンがいて、彼が取引先であるスバルのボローニャショー出展を手伝うことになった。そこで陣中見舞いも兼ね、ボクは初めてボローニャショー詣でをすることにした。
わが家から178km、列車で会場に行ってみると、スバルのブースはパビリオン内ではなく通路にあった。展示車が何だったかは覚えていないが、例の商社マンはプロレスで格闘に使われるようなパイプ椅子に座って番をしていた。聞けば「最後の最後で、ようやく参加できたんですよ」と教えてくれた。
スバルはその年こそ、そんな具合だったが、翌年は早くも本格的ブースに昇格。後年はWRC効果で、彼らのオフィシャルグッズ販売店はボローニャショーのなかでも断トツの人気ショップとなった。
ボローニャは新車発表の場というよりも、「スクデリア・フェラーリのF1ピット模擬作業」に代表されるエンターテインメント的色彩が強かった。同時に、その1年に各国で発表されたクルマやコンセプトカーが一堂に会するなど、どこか大河ドラマの総集編的なムードも帯びていた。
だが時折、“世界初公開”もあった。ボローニャモーターショーでは、フォルクスワーゲングループに属するスペインのセアトが、2001年に3代目「イビーザ」を公開したり、2002年にはフィアットが2代目「パンダ」の予告となるコンセプトカー「シンバ」を世界に先駆けて展示したりした。
日本ではお目にかかることのできないブランドを見られるのも楽しかった。
例えばインドのタタは、超低価格車「ナノ」で世界的に話題になる以前から、ボローニャでプジョーエンジンを搭載したトラックを並べていた。
ラーダやUAZといったロシア製オフローダーも、インポーターによってスタンドを繰り広げていたのは、ベルリンの壁崩壊以前から旧ソビエトと良好な関係を保っていたイタリアらしいところだった。
さらに、欧州ではフランスと並んで普及率の高い原付きマイクロカーも楽しかった。
ある年は、初代「ランチア・イプシロン」のデザインで知られるエンリコ・フミア氏がいた。聞けば、オフィスのお隣さんだった企業のためにマイクロカーをデザインしたのだった。彼が一般公開日のブースでボクに丁寧に解説してくれたのを、よく覚えている。
いっぽうで、マイクロカーといえば、2007年には中国で製造された双環汽車製「小貴族」がイタリアのインポーターによって持ち込まれた。小貴族は4人乗りであったものの、スタイルがスマートに酷似していたことからダイムラーが意匠権侵害を訴え、プレスデイ当日撤去というどたばたが発生した。この小貴族、のちにインポーターが法廷で差異性を強調。それは大方の予想に反して認められ、クルマは2010年に「バブル」の名前でボローニャに復帰した。だがすでにこの“なんちゃってスマート”は、インポーターのカタログから消えている。
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近年の凋落(ちょうらく)
毎年の会期に祝日である12月8日が含まれていることもあって、一般公開日は、イタリア中から若者たちがやってきた。ある年、インタビューした青年たちは、「ナポリからバスツアーに申し込んで、毎年来てるんだよ」と自慢げに教えてくれた。
しかし2001年に30以上あった出展者数は減少を続け、ついに2012年には企業グループ別に分けると5つにとどまった。加えて、日産、シュコダ、セアトのみならず、なんと地元フィアットまでもが、テントや試乗フィールドのみでの展開に切り替えた。
かつて、ランボルギーニやデ・トマゾ、ピニンファリーナといったイタリアの花形ブランドが軒を連ねていたのがうそのようだった。
さらに2012年度に関していえば、若者たちが集まっているのは、実際のクルマよりも、ビデオゲームやイタリア軍の展示、といった感じさえ受けた。モーターショーでもない、チューニングカーショーでもない、中途半端なムードが漂っていた。
かつてのボクはボローニャに前泊で行き、宿でランブルスコワインと豚の脂身の揚げスナック「チッチョリ」という地元名産品で気合を入れてから取材に臨んだものだ。だが、前述のような状況になり、近年はもっぱら日帰りで十分になってしまった。
今思えば、ボローニャはプレスに対するオーガナイズが良くなかったのも事実だ。
取材申請は、インターネットが普及してなお、近年までファクスによる受付が続き。しかも、やたら早く締め切られた。冒頭の主催者の前身がオーガナイズしていた時代は、プレスデイ前日の深夜になって、「書類が不足しています」とファクスが送られてきて焦ったことがあった。
またある年は会場で申請したら妙に手間取ったので、受理されたあと理由を聞けば、受付の姉ちゃんは「一般来場者による虚偽申請が多いから」と平然と宣(のたも)うた。機転が利きすぎる人が多いイタリアゆえホントだったのかもしれないが、世界5大ショーでこんな扱いを受けたことはない。
翌年再び受付ですったもんだしていたら、近くにいて哀れに思ったおじさんがボクに招待券を“恵んで”くれた。
めったに怒らぬボクでも、こうした境遇にはさすがに憤り、その後はたびたび一般券を購入して入場するようになった。
だが入場料は年々高くなり、2012年の入場料は18ユーロ(約2400円)にもなった。ジュネーブショーや東京ショーよりも高いというのは、なんとも解せなかった。入場者減少→入場料値上げいう選択は負のスパイラルとなって、さらに中止への道を突き進む結果となったのだ、と今振り返って思う。
思えば前哨基地だった
と、いろいろ文句を書きつづったが、振り返ればボローニャに感謝すべきこともある。
東京時代は自動車誌の編集部に8年近く在籍していたボクだが、本格的なモーターショー取材経験に乏しいまま、さっさとイタリアで独立してしまった。
そんなボクはボローニャで、ショー取材の段取りやコツを、幾多の勘違いや失敗を繰り返しながら体得していった。同時に、多くの欧州の自動車人たちと最初に知り合うことができたのも、最盛期のボローニャだった。
それらはいずれも、のちに世界5大ショーを取材するとき、大いに役立った。ボクの主要ショー進出前の前哨基地役をボローニャは果たしてくれたのだったのだ。
もうひとつ、ボローニャで記しておくべきことがある。それは、コンパニオンの「美人率」の高さであった。本連載やカースコープで、各国ショーにおけるコンパニオンをたびたび紹介してきたが、ボローニャほど美女を探して会場をさまよう必要のないショーは、ほかになかった。
今になって惜しまれるのは、こんなに何年も通っておきながら、イタリアの若者たちのように、彼女たちの腰や肩に手をまわして撮った記念写真がないことである。
そういえば、ボローニャショー会場の外には「コンパニオンの仕事します」といった紙が、よく貼られていたものだ。この冬の彼女たちが心配でならない。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)
※お知らせ
2013年11月18日(月)渋谷・日伊学院にて大矢アキオの文化講座「イタリアの伝統工房・イタリアのプロダクト」が開催されます。 詳しくはこちらをご覧ください。

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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