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第224回:苦労したクルマほど、思い出は深い!? クルマに関心のない家族のクルマ物語

2011.12.16 マッキナ あらモーダ! 大矢 アキオ
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第224回:苦労したクルマほど、思い出は深い!?クルマに関心のない家族のクルマ物語

クルマにこだわらない家庭

ボクの女房は、まったくもって自動車エンスージアストではない。26年前に知り合ったときは、赤い初代「トヨタ・カローラII」に乗っていた。選定した理由を聞けば、前に親のお下がりの「日産ローレル」に乗っていたものの、知り合いの子供から「教習車みたいじゃねえか」とバカにされたのが悔しくて買い替えたのだという。当時はやっていた「マツダFFファミリア」にしようかと悩んだが、もうみんな乗っていたのでカローラIIにしたそうだ。いずれにしても消極的な選択である。

結婚したあとの彼女も、子供の頃家にどのようなクルマがあったかを話してくれたことは一度もなかった。聞けば「そんなもの、覚えていない」という。 そこでボクは先日、東京の郊外にある彼女の実家に行った際、女房より3つ上の義姉に、家にどんなクルマがあったか尋ねてみた。だが彼女も「水色のクルマや黄色いクルマがあった」というレベルであった。

こうなったら、実際の運転者であった彼女たちの父親、つまり義父に話を聞くことにした。ちなみに義父は1931年生まれの80歳。新しいクルマの話をすると、「『クラウン』より高いのか、安いのか」と聞き返してくる。要はクラウンがすべてのグレードの基準という世代である。

その義父は「えぇっと、戦後最初にあったのは自転車!」と切り出した。ボクは「クルマの話だって言っているじゃないですか」と言いたい気持ちをグッとこらえて話の続きを聞いた。
「その次は、中古の『ホンダ・スーパーカブ』だったな」。
このスーパーカブで、ボクの女房誕生の報を聞きつけた義父が義姉を乗せて、病院まで走って行ったというから、1962年頃ということになる。しかしそのあとのクルマはと聞けば「新車や中古をとっかえひっかえ乗っていた」と言うだけで、車名が出てこない。

もちろんイタリアやフランスにも、昔自分の家にあったクルマの記憶がおぼろげになっている人はいる。ボクの家は、晴海の東京モーターショーと外車ショーを年中行事にしていて、家にあったクルマのすべてを記憶している、少々特異な自動車好き家庭であったことも認める。だが、ここまで自分たちの乗ったクルマを覚えていないとは、クルマという存在そのものが軽んじられているようで悲しくなってきた。

女房の実家の写真箱から。幼稚園入園とともにやってきたという2代目「スバル・サンバー」(1967年)。
女房の実家の写真箱から。幼稚園入園とともにやってきたという2代目「スバル・サンバー」(1967年)。 拡大
サンバーは、「湯たんぽとともに押し込まれるほど寒かったが、中が広くて楽しかった」というのが女房の記憶。
サンバーは、「湯たんぽとともに押し込まれるほど寒かったが、中が広くて楽しかった」というのが女房の記憶。 拡大

古い写真をきっかけに

怒ったボクは、女房の家で写真が保管してある箱を勝手にあさることにした。クルマと一緒に写っている写真が出てくるだろうと思ったからである。結果といえば、悲しいかな車両のみ、または車両が完全に入っている写真は皆無に等しかった。クルマに関心がない家というのは、こういうものなのか。

しかし、だ。やがてボクが探しだしたクルマの断片が写った写真をテーブル上に広げていると、彼らの会話が始まった。少しずつ彼らの記憶がよみがえってきたのである。
義父によれば、スーパーカブのあとに普通自動車免許を取得して、クルマも扱っていた近所の自転車屋で「スバル360」を借りたのが、最初のモータリゼーションだったようだ。  

「まだ幼すぎて記憶にない」と言う女房の代わりに語ってくれた義姉によると、その借りた360で選んだドライブルートは、相模湖に住む親戚の家までだった。中央道などない時代だから、東京西郊の家から大垂水(おおだるみ)峠越えの旅である。
天候が悪かったうえ、往復ともエンストや故障を繰り返し、義姉によると「今思い出しても、とても怖いドライブだった」という。家族はみんな疲労困憊(こんぱい)していたのだろう。到着先の親戚からは「小さな子供を乗せて、そんなむちゃしちゃだめだ」と怒鳴られたらしい。

 その後家族は、テールランプ形状から“柿の種”の愛称で呼ばれる初代「ダットサン・ブルーバード」や「日野ルノー」といった中古車の所有を経て、2代目「スバル・サンバー」を新車で購入している。交通がやや不便な新興住宅地に新居を購入したのをきっかけに、「引っ越し荷物の載るクルマ」ということで手に入れたらしい。

1968年。サンバーの直後に乗り換えた中古の初期型「スバル360」が隅っこに。
1968年。サンバーの直後に乗り換えた中古の初期型「スバル360」が隅っこに。 拡大
1971年。女房の父親と「三菱コルト」。
1971年。女房の父親と「三菱コルト」。 拡大
1972年。米軍基地内の銀行に勤めていた女房の父親と、社用車の「シボレー・マリブ ステーションワゴン」。
1972年。米軍基地内の銀行に勤めていた女房の父親と、社用車の「シボレー・マリブ ステーションワゴン」。 拡大

クルマとの思い出

サンバー購入から間もないころ、後楽園の木下大サーカス→東京タワー→江ノ島海水浴というプログラムをたった1日でこなすというウイークエンドを強行したというから、サンバーが来たことがよほどうれしかったのだろう。
サンバー購入の年、幼稚園に入園した女房によると、サンバーはとにかく寒かったらしい。空冷のためであろう。そのためいつも義姉と湯たんぽとともに後席に放り込まれたという。
それでも後席はフラットにしたうえマットレスがいつも敷かれていたので、そこでゴロゴロ転がっているのが女房は大好きだったという。サンバーで出かける時だけでなく、家にあるときもクルマに入ってゴロゴロしていたそうだ。

1年後家族は、サンバーから同じくスバルの360に乗り換えている。ただし中古だ。なぜ新車のサンバーから中古の360にしたのか、誰も覚えていなかった。
幼かった女房はスバル360のスタイルを亀に例え、当時のお笑いグループ「ナンセンストリオ」がはやらせた「親亀の背中に子亀を載せて〜」と後席でのんきに歌っていたらしい。

やがて家族は3代目「トヨタ・コロナ」や「三菱コルト」などを経て、2代目「カローラ」を購入している。  
このカローラの思い出といえば、夏休みに山形の親戚を訪ねて行った帰り、大渋滞にはまってしまった。もちろんクーラーなど付いていない。そのうえ悪いことに女房はおたふくかぜを発症してしまったという。
その時だった。渋滞の後続にいて彼女たちを哀れに思ったダンプトラックの運転手さんが、ぐったりする女房と義姉をクーラーの効いたキャビンに乗せて過ごさせてくれたという。高速道路網が整備される前の国道全盛時代と、粋なプロ運転手がいた頃ならではの話である。

2代目「カローラ」と。左から3番目が女房であるが、くしくも服装が今風。流行が一巡したということか。
2代目「カローラ」と。左から3番目が女房であるが、くしくも服装が今風。流行が一巡したということか。 拡大
1976年。中学2年の女房(左)と友達。「おっ、『シボレー・シェヴェル マリブ』にも乗ってたのかよ〜」とボクが慌てたら、なんのことはない、アメリカから帰国した父親の親友のクルマだった。
1976年。中学2年の女房(左)と友達。「おっ、『シボレー・シェヴェル マリブ』にも乗ってたのかよ〜」とボクが慌てたら、なんのことはない、アメリカから帰国した父親の親友のクルマだった。 拡大

「BRZ」をせがまれるよりは

おいおい、非エンスージアスト家族とレッテルを貼ったものの、記憶の糸をたぐり寄せればクルマの話で盛り上がれるではないか。発想を変えれば、聞く人聞く人「フィアット500」のあとは「127」、そのあとは「パンダ」と定番コースをたどっている同年代のイタリア人よりバラエティーに富んでいるともいえる。
なお彼女の家は2代目カローラのあと、冒頭の「日産ローレル」などを経て、義父が75歳で運転免許を返上する直前の「トヨタ・クラウン」まで、典型的日本車を乗り継いでいることも判明した。それでも昔苦労したクルマほど、家族の思い出が多いというのは面白い。

快適に動くのが当たり前のクルマとともに育った今の子供たちは、こうした思い出を紡ぐことができるのだろうか。興味深いところである。ちなみに前述のごとく女房の家族の思い出には、スバルにまつわるものが多かった。そうした意味で女房の家は、メーカーの有名なPR誌『カートピア』いうところの「スバリスト」だったわけか。しかし、あまりディープなスバリスト家族じゃなくてよかった、と安堵(あんど)している。

東京モーターショー2011を機に「あんた、BRZのイタリア発売に合わせて乗らなきゃダメよ。ウチはサンバー以来のスバリストなんだから」などと尻をたたかれたら、たまらないからである。

(文=大矢アキオ、Akio Lorenzo OYA)

1985年、「マークIIグランデ」の横に立つ女房(右)と義姉(左)。髪型が時代を象徴している。
1985年、「マークIIグランデ」の横に立つ女房(右)と義姉(左)。髪型が時代を象徴している。
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女房の古い写真よりもボクがときめいたのがコレ。「百恵ちゃん」「欽ちゃん」のネガホルダー。
女房の古い写真よりもボクがときめいたのがコレ。「百恵ちゃん」「欽ちゃん」のネガホルダー。 拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。

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