第374回:熱烈日本ファンのスイス人が「トヨタiQ」を買った理由
2014.11.21 マッキナ あらモーダ!日本の伝統工芸をたしなむスイス人
思い出せばその老紳士に初めて会ったのは約10年前、東京に行く機上でのことだった。ジュネーブ在住のスイス人で、名前は「ジャン」と教えてくれた。現役時代はグラフィックデザイナーを経て、市内の歴史美術博物館に職を得た。そこで各国の作品を扱ううちに日本美術に魅せられ、リタイア後は和の世界をより深く探求しているのだという。
さらに聞けば、山口県の萩・津和野をはじめ、日本人のボクでさえまともに行ったことのないような地域を、すでに何度も訪ねていた。浅草で花魁(おいらん)ショーを見たあと、秋葉原で電気製品を物色する外国人観光客とは、明らかに違っていた。そのときも彼は「1944年生まれの申(さる)年です!」と日本語で笑わせてくれたあと、成田から国内線乗り継ぎで西へと向かっていった。
後日、彼が教えてくれた自身のウェブサイトを見て驚いた。日本で技法を覚えた七宝焼や美濃(みの)和紙を用いた、さまざまな作品が紹介されているではないか。いずれも、日本の美術展で入賞を果たしていた。
以来、ボクは自動車ショーなどでジュネーブに赴くたび、ジャンさんを訪ねるようになった。
彼が一人住まいしているのはジュネーブ市がアーティスト向けに提供しているアパルタマンだ。お隣さんの家にも、なにやら不思議なポスターや作品が外に掛かっている。
あるとき、彼のクルマ遍歴を聞いたことがあった。
「免許を取って最初に乗ったのはボクスホールの『クレスタ』でしたね」
ジュネーブは欧州のなかで珍しくアメリカ車が少なくない地域である。イギリス車とはいえ、GMの息が掛かったおおらかなデザインは、ジュネーブ湖畔の街によく似合っていただろう。
「そのあとは『フォード・コーティナ』。NSUやアウトビアンキなんかも乗りましたよ」
いっぽうボクが知り合った頃は、もうクルマを手放していた。
「郊外の一軒家に住んでいた頃と違って、市電もバスも家の前を通っていますからね。最後のクルマはホンダの『ジャズ(日本名:フィット)』でしたよ」
公共交通機関にシフトというわけだ。年をとったら交通至便な街中に住んで、早めにクルマの運転から卒業したいと常々思っていたボクとしては、理想の生活を実践しているおじさんであった。
第2のクルマ生活に選んだ車種は?
ところが今年再びジャンさんを訪ねると、なんと「クルマ、買いましたよ」と言うではないか。なんだよジャンさん、(そんなものしてないが)約束が違うじゃないか。
彼いわく「山とかに行くとき、やはりクルマがあれば便利だと思ったもので」
ちなみにジャンさんは山岳写真の腕前もかなりのものだ。
で、何を買ったのですか? と聞けば、なんとあの「トヨタiQ」であった。
参考までに、最新のiQの欧州における2014年1-9月の販売台数は、3238台である(JATO調べ)。分布は筆者の体感値にすぎないが、フランス・パリに代表される完全な大都市偏重型といえる。
ドイツTUVラインラントの2013-2014年ドイツ国内車両の信頼性調査によれば、iQは「車齢4-5年」のカテゴリーで、「マツダ3(日本名:アクセラ)」、「ポルシェ911」に次ぐ3位に入っている。
地下駐車場に下りて行って、ジャンさんの新しい愛車を見せてもらう。ボックス式ガレージの扉を開けると、iQが姿を現した。車内を見る。マニュアル仕様である。日本ファンとてヨーロッパ人。やはり長年慣れ親しんだトラディショナルな変速機が良いようだ。
ダッシュボード脇には「ライトつけよ」のステッカーが貼ってある。「スイスもこのたびイタリアなどと同様に、昼間のヘッドライト常時点灯が義務化されたのです」とジャンさんは教えてくれた。
その顔はサムライだ!
ジャンさんの工房兼住居に戻って、再び話を続ける。しかしながらジャンさん、数あるクルマの中から、またなぜiQに?
「小さくてかわいいですからね。そして何より……」そう言って彼は、部屋の壁にコレクションとして掛けてある、あるものを指した。
あるものとは、ずばり甲冑(かっちゅう)のお面である。
「iQのフロントフェイス、サムライのマスクに似てるでしょう? そこが気に入ったんです!」
ジャンさんのクルマはブラックなので、さらに精悍(せいかん)なサムライ風である。
お面といえば、トヨタ史上最初のトラックであり、海外に輸出された初のトヨタ車でもある、「G1型」(1935年)がある。左右の端が切り立ったそのフロントグリルは能の般若面をモチーフにしている。くしくも、「トヨタのお面つながり」だと思った。
トヨタiQのデザインに携わった人々が、甲冑のお面やG1型トラックを意識したかは知らない。それに、すべての日本車ユーザーがジャンさんのような超・知日派ではない。
しかし、外国人ユーザーがiQの顔に日本の伝統工芸を感じるのだとすれば、発展させるべき捨てがたいアイデンティティーが隠されている気がしてならない。
一度はクルマをやめたジャンさんを、もう一度乗る気にさせたiQ。彼が次に欲しくなるような“サムライデザイン”の日本車が現れるか、個人的には今から楽しみにしている。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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