第93回:善人親子は“ローマのクルマ”で幸福を呼ぶ
『フェラーリの運ぶ夢』
2015.02.20
読んでますカー、観てますカー
信号無視を自己申告する正直者
つい先日「ランチョーが帰ってきた!」という書き出しで『チェイス!』を紹介したばかりなのだが、今度は「ラージューが帰ってきた!」と言わせてほしい。2013年に公開された『きっと、うまくいく』の話である。公開規模は小さかったが新時代のインド映画として日本でも大好評で、年間ナンバーワン作品に挙げる人も多かった。
主人公のランチョーを演じたアーミル・カーンが新作で激しいアクションを披露したのに対し、心優しい青年ラージュー役だったシャルマン・ジョシは今回も極め付きの“いい人”である。善人役がこれほどよく似合う役者も珍しい。顔面が性格のよさを語っているのだ。少し下がり気味の眉毛が気弱そうな表情を作り、見事な左右対称で口角が上る笑顔を見せるのだから善意しか感じられない。実際、バカが付くほどの正直者である。スクーターで走っていてうっかり信号無視をしてしまうと、誰も見ていなかったのにわざわざ警察に出向いて自己申告し、罰金を払わせてほしいと願い出るのだ。
彼は交通局に務める平凡なサラリーマンのルーシーで、亡き妻の忘れ形見である12歳のカヨ(リトウィク・サホレ)を育てている。クリケットチームのエースで、キャプテンを務める自慢の息子だ。こちらも根っからの正直者である。試合で好守備を見せアウトが宣告された時、自分の足が出ていたからアウトではないと審判に申し出るのだから、父親の影響に違いない。
貧しくて靴やバットも満足なものを買えないが、大都市ムンバイで親子仲良く暮らしている。ひとつ問題があるとすれば、ルーシーの父親ベーラムだ。カヨがクリケットに熱中していることが気にくわないようで、いつも不機嫌なのだ。
『きっと、うまくいく』チームが再結集
ベーラムを演じているのが、『きっと、うまくいく』で嫌みなウィルス校長役だったボーマン・イラニだ。憎々しい態度と毒舌はさらにバージョンアップしている。なんでまたこの組み合わせなのかと思ったら、この映画は『きっと、うまくいく』の製作チームが再結集して作った作品なのだ。監督のラジェシュ・マプスカルは前回助監督を務めていた人で、これが初監督作品となる。前作の監督とプロデューサーもスタッフの一員だ。テイストが似通っているのは当然だろう。この作品も、極端な設定に強引にリアリティーを持たせ、笑いと涙で観客を引き込んでいく。
クリケットの練習に励むカヨに、うれしいニュースがもたらされる。優秀選手のセレクションがあり、選ばれるとクリケットの聖地であるロンドンのローズ競技場での合宿に参加することができるというのだ。しかし、費用が15万ルピーかかることが判明した。インドの公務員の月給は1万ルピーほどで、とても払える金額ではない。2800ルピーのバットを買うにも、ブタの貯金箱を壊さなければならなかったのだ。
銀行に融資を頼んでも、相手にしてもらえなかった。諦めかけていた時に、ルーシーに耳寄りな話が持ち込まれる。知り合いのウェディングプランナーが政治家の息子の結婚式を請け負っており、演出のためにフェラーリを探している。借りることができれば、報酬として15万ルピーをくれるというのだ。インド経済は急成長しているが、さすがにフェラーリはほとんど見かけない。東京の港区とは違うのだ。
フェラーリを持っているのは、クリケットの英雄サチン・テンドゥルカルである。彼は、父ベーラムの旧友だった。ルーシーは、フェラーリを貸してもらうために、彼の豪邸を訪ねる。ここでアクシデントがあり、彼は心ならずもフェラーリを勝手に持ち出すことになってしまう。善良と正直を絵に描いたような男が、盗みを犯したのだ。
562馬力の「360モデナ」?
サチンの愛車は、「フェラーリ360モデナ」だった。2005年に生産終了になっているから、少しばかり古いモデルである。このクルマがいかに素晴らしいかを政治家の息子やルーシーが語るのだが、説明が明らかに事実と異なっていた。3460万ルピーもする高いクルマだというのはいいとして、パワーが562馬力だというのはホラだろう。3.6リッターV8エンジンは、そこまでハイパワーではない。これは現行モデルの「458イタリア」に近い数字だ。
『きっと、うまくいく』でも、同じようなことがあった。「ニュー・ランボルギーニ、6496ccだ、すごく速い」というセリフがあるのだが、見せられるのは「ディアブロ」の写真である。6496ccというのは、「ムルシエラゴ」の排気量だ。どうもこの製作チームは、スーパーカーのスペックでサバを読むくせがあるらしい。
政治家の息子がフェラーリで登場したいと考えたのは、結婚式をローマ式で行うつもりだからだ。ローマは愛の都であり、2人の門出にふさわしい。だから、花婿はローマのクルマであるフェラーリに乗って現れるべきなのだ。残念ながら、フェラーリはローマのクルマではないのだが。
首尾よく調達することに成功したわけだが、結婚式に登場したのは異様な姿をしたクルマだった。ボディー全体が花に包まれていたのである。ピニンファリーナのデザインは、すっかり隠されてしまった。花電車ならぬ、花フェラーリだ。まわりでは、女たちが「フェラーリに乗って、私を行かせて」と歌って踊る。これでこそインド映画だ。
クルマを盗んだルーシーは捕まってしまうのか? カヨはクリケットの合宿に参加できるのか? 心配することはない。“きっと、うまくいく”に決まっている。エンドクレジットを眺めながら、観客は全身が清涼感に満たされているのを感じるだろう。日本では政府のトップや高名な女性小説家がモラルのかけらもないような発言を繰り返していて、絶望的な気分が広がっている。しかし、希望はあるのだ。ルーシーとカヨの持つ非現実的なほどの高い倫理性が、われわれを励ましてくれる。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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