第15回:男と女の出会い、それは自動車事故だった!? − 『フェイク・クライム』
2011.11.11 読んでますカー、観てますカー第15回:男と女の出会い、それは自動車事故だった!?『フェイク・クライム』
カーチェイス抜きの銀行強盗映画
「あなたを轢いてよかった」
「僕もだ」
こんなセリフが出てくる。女が、男を、クルマで轢(ひ)いたのだ。それで、お互いに感謝している。どういうことだ、これ?
交通事故で性的エクスタシーを感じる男女を描いたデヴィッド・クローネンバーグ監督の『クラッシュ』という作品があったが、そういう類の映画ではない。一応、銀行強盗の話だ。でも、ハラハラドキドキのサスペンス満載の話かというと、それも違う。犯罪映画というと、派手なカーチェイスがお決まりだろう。街中で銃撃戦が始まり、クルマがぶつかって爆発する。そういうのもない。ならば、コンピューターでセキュリティシステムに侵入して金を盗み出すのか? 全然違う。実はこの映画、タイトルとは異なり、誠に古典的なロマンチックコメディーなのだ。
主人公のヘンリー・トーンを演じるのは、キアヌ・リーブス。『マトリックス』ではクールなヒーローだったが、今作ではさえない男の役だ。ニューヨーク州バファローの高速道路料金所で深夜勤務をしている。夜勤を終えて帰宅すると、突然訪ねてきた旧友から野球のメンバーが1人足りないから来てくれと頼まれる。奥さんの冷たい視線を感じながらも引き受け、運転手役を引き受けて球場へと向かう。
途中でATMに寄るので銀行のそばに駐車して待つように言われ、1人運転席に取り残される。ステアリングコラムを見ると、キーシリンダーが壊されて配線がむき出しになっている。明らかに盗難車だ。何か変だと気づくものの、ヘンリーは何も行動を起こさない。銀行の防犯ベルが鳴って、旧友たちが飛び出してくる。ATMで金をおろしたのではなく、銀行強盗をしようとしたのだ。彼らは逃げるが、クルマで待っていたヘンリーは警備員に取り押さえられてしまう。
赤いプリウスが運命を変えた
人が良くてちょっと足りないところのあるヘンリーを利用して、逃亡用のクルマを運転させていたわけだ。捕らえられたヘンリーは、なぜか黙秘を貫き、3年の刑をくらってしまう。彼は、何かを変えようという意欲がないのだ。退屈な料金所勤務にも文句を言わず、愛の冷めた妻とも表面を取り繕いながら暮らしていた。どんな運命も諾々と受け入れ、自分の意思などないように見える。
刑務所で同室になったのが、詐欺師のマックスという老人だ。名優ジェームズ・カーンが演じている。彼は20年以上も刑務所にいる古株で、父のようにヘンリーに接する。やっていない銀行強盗の罪で服役していると語るヘンリーに、本当の罪は夢を持たないことだ、と諭すのだ。しかし、ヘンリーは夢などない、と答える。マックスにしたって、その気になれば釈放されるはずなのに、自ら刑務所暮らしを選んでいる。外の世界で面倒な生活をしたくないのだ。
刑期を終えてヘンリーが家に帰ると、妻はほかの男と暮らしていた。君が幸せならいい、と彼はまたも運命に逆らわない。1人街を歩いていると、例の銀行の前に出ていた。ぼうっと道にたたずんでいると、走ってきた赤い「トヨタ・プリウス」に跳ね飛ばされる。運転していたのは、舞台女優のジュリー(ヴェラ・ファーミガ)。銀行の向かいの劇場で、上演に向けて稽古中だった。彼女はヘンリーをクルマで轢(ひ)いたことで、運命を変えた。冒頭のセリフは、それを意味している。
アメリカ映画関係者は日本車に疎いのか?
劇場に出入りするようになったヘンリーは、楽屋が地下道で銀行とつながっていることを知る。そこで彼は奇妙な考えに思い至る。無実の罪で先に服役したのだから、これから銀行強盗をするべきだ、と。かくして、彼には夢ができた。刑務所のマックスを出所させて、晴れて強盗のプランを練ることになる。
ジュリーが劇場で上演することになっていたのは、アントン・チェーホフの『桜の園』である。ここから、話はロシアの古典劇と絡み合いながら進行していくことになる。『桜の園』は、滅びゆく種族である地主階級が土地を追われ、新しい生活を始めるという話だった。ヘンリーとマックスは、新たな一歩を踏み出すことができるのだろうか。
日本でも、『桜の園』をモチーフにした映画があった。吉田秋生のマンガが原作で、中原俊監督によって映画化された『櫻の園』である。こちらは女子高が舞台で、新しい世界へと向かう少女たちの群像劇だった。どうやらこの名作戯曲は、映画と相性がいいらしい。
詳細は省くが、なぜかヘンリーは『桜の園』の重要な役であるロパーヒンを演じることになる。キアヌ・リーブスに最も似合わないのが、ロシア演劇の登場人物だろう。感情を高ぶらせ、全身で喜怒哀楽を表現するのだ。キアヌといえば、『地球が静止する日』で無感情の宇宙人を地で演じ、ハマリ役となっていたのが記憶に新しい。あれは、速水もこみちが『絶対彼氏』でのロボット役を素のままで乗り切ったのに並ぶ偉業だった。どれほど意識しているかは知らないが、俳優本人と役柄がシンクロして、たくまざる滑稽さの彩りを映画に与えているのが素晴らしい。
というわけで、最初に触れたように、この映画ではクルマが派手に活躍するシーンはない。1人の、あるいは何人かの運命を変えるきっかけとして使われた小道具なのだ。カークラッシュシーンばかりの犯罪映画に食傷している向きには、オススメである。ただ、食傷といえば、プリウスだってそうだ。このクルマが登場する映画を扱うのは、『アザー・ガイズ』『モンスター上司』に続いて3回目になる。アメリカ映画関係者は、日本車というとプリウスしか思い浮かばないのだろうか。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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