第447回:EVのような万年筆とアーミーナイフのようなボールペン
2016.04.29 マッキナ あらモーダ!悲しみのトンボ“標準型”鉛筆
今回はクルマからちょっと離れて、取材の現場では欠かせない、筆記具の話をしよう。
小学1年生になったとき、鉛筆をそろえてもらった。黄色い箱に入った、トンボ鉛筆製の、まさに標準タイプである。いま見ると、パッケージに記されたTombowの文字とともにトラッドな雰囲気が漂うが、当時はまったくもって惨めな気持ちだった。
同級生の多くが持っていたのは、同じトンボでも「MONO」だったり、三菱の「Uni」といったハイグレード仕様で、中にはそれに“お名入れ”したものを持っているクラスメートまでいたからだ。
「そういうのが欲しい」と言っても、ボクの親は「これ(トンボ標準型)でいいのだ」とバカボンのパパのようなセリフを繰り返すばかりだった。
それでも、ボクが欲しかったMONOのおまけ商品である、「ザ・ドリフターズ」のキャラクター人形「首チョンパ」が数本あったのは、きっとふびんに思った親が文房具店とネゴシエートして、MONOを購入することなくもらってきてくれたのだろう。
EVのような筆記具
子供時代に、かように自由な筆記具選びができなかったボクであるから、その反動もあって、大人になってからは、各地でさまざまな筆記具を心おもむくままに買い、ともに暮らしてきた。
5年前から愛用しているのは、パーカーの「インジェニュイティ」である。万年筆とローラーボールを合わせたような新製品だ。
このインジェニュイティ、何がありがたいかというと、飛行機に乗ったときに、従来の万年筆特有の「気圧変化によるインクもれ」がないことである。あれで何回、旅先で手を汚してきたことか。
発売されてすぐ、パリの百貨店BHVで手に入れた。元手は、昔親からもらった万年筆をリサイクルショップに出して確保した。
そうして手に入れたものではあるが、いくつか残念な点があった。まず書ける“距離”が少ない。その点は東京の文房具店の人も認めていた。金属製のリフィル(替え芯)は、インク残量が目視できない。そのため、人前で契約書――自動車の購入しかり、住宅の賃貸しかり、こちらの契約書は、サインする数が半端ではない――にサインをしている途中でインクが切れてしまい、仕方なく相手のオフィスに転がっているボールペンを借りたことが何度となくあった。
得意顔でスーパーカーで流していたけれど途中で燃料切れを起こし、代車の軽トラで帰ってきたような気分になったものだ。
その後、大事な席の前には、リフィルを使いかけでも交換しておくことにした。そのため使いかけリフィルが何本もたまってしまう。
インジェニュイティのリフィルは、日本円にして1本1000円近くする。いいクルマは交換部品が高いのと似ている。ボクが住むイタリアの地方都市ではまったく売っていないので、パリや日本でまとめ買いしておく。ボクの場合、消費するのは年に2本といったところだ。
それでも、普通の万年筆にはないモダンなボディーは、十分魅力的だ。「デザインは革新的だが、走行距離が少ない」とは、なんともEVのようでもある。
悩み多きボールペン選び
代表的なもうひとつの筆記具、ボールペンに話を移そう。
かつて記したことがあるが、カーグラフィック初代編集長の故・小林彰太郎氏が、新入社員だったボクに「これが一番いい」と教えてくれたのは、黄色いボディーの超スタンダードなビック製ボールペンだった。
たしかにインクの滑らかな出方といい、ペン先の弾力、紙との摩擦の感覚といい、絶妙だ。それでもって安い。コストパフォーマンスが極めて高かった。そのため、ボクは独立してからも愛用した。
欠点は、「キャップがあること」だった。ショー会場などでの取材時、いちいちキャップの着脱などしている暇はない。といって、キャップを取ったままポケットに入れるのは服を汚す原因となる。ワイシャツに付着してしまったボールペンのインクは、取れにくいものだ。
というわけで、芯がリトラクタブルなボールペンを選ぶことになる。「クロス」は、そのアールデコ風デザインが好きだが、ボディーを半ばからねじって芯を出す構造であるため、両手を使うことになる。片手にメモ帳を持っていると、ペン先の出し入れが難しい。それにクロスは、現場でうっかり紛失しようものなら泣けてくる価格である。
その点、「ファーバーカステル」のボールペンはクロスよりも安く、滑り止めのエンボスがドライビングシューズのごとく付いたデザインがモダンだ。だが、全長がやや長めで、取材先でポケットに入れておくには少々かさばった。
眺めてよし使ってよしのカランダッシュ
最終的にたどり着いたのは、スイス「カランダッシュ」のボールペンである。本国でもイタリアでも、スタンダード仕様なら3000円前後で買える。ボク自身はジュネーブモーターショーに行ったとき市内で買い求めた。
鉛筆と同じ六角形のボディーは握りやすく、長さが短めでかさばらない。画材メーカーだけあって、ブルーインクの色も絶妙だ。
ボクが選んだボディーカラーは赤である。スイス鉄道の車体色を想起させるからだ。その鮮やかな色は、カバンの中や旅先の宿に置いておいてもすぐに見つかる。大変気に入って、すでに同色のスペアも買ってあるのだが、壊れないので出番がない。
困った点もある。替え芯は本場スイスだとスーパーの文具売り場にぶら下っているのだが、国境をまたいで隣国ドイツに入った途端、パタリとなくなる。大都市の筆記具店でも、扱っているところはまれだ。
そしてもうひとつ気になるのは、近年、日本の文具店でも広く扱われるようになり、有名文具店の名称が入った独自仕様まで販売されるようになったことだ。
カランダッシュの場合、スイスで買えるものも、日本での販売品も同じ工場で作られているので少々意味合いは異なるが、「かつてGMのタイ工場で作られていた『スバル・トラヴィック』の登場前に、その元ネタであるドイツ製『オペル・ザフィーラ』を買ってしまったユーザーの気持ちって、こんな感じだろうな」などと想像してしまうのである。
鉄製ならではの荒技も
個人的かつ後ろ向きなポイントばかり列挙してしまったが、実はカランダッシュには最強のチャームポイントがある。スチール製であることだ。ボディーが強固なことによるすぐれた保持力は、何ものにも代えがたい。
実は、その“しっかり感”には、出張先でかなり助けられている。ヨーロッパの食品のパッケージは、開け口があったところで加工精度が低く、日本のようにペロリと開かないことが多い。ハム、カットフルーツなどなど……特にイタリアの容器は、6割がた、一発では開けられない。
そうしたとき、このカランダッシュのスチールボディーを容器にブスッと突き刺して突破口を作るのである。もちろん芯は痛めないように引っ込めておく。
また、ボクは旅先でもビタミンC補給のため柑橘(かんきつ)類をできるだけとるようにしている。その際も、カランダッシュが役に立つ。皮が固いオレンジなどに突き刺し、手でむくきっかけを作るのだ。
もはや、スイスのアーミーナイフならぬ「アーミーボールペン」である。
ただし、こうした使い方は明らかにメーカー保証範囲外(参考までに、スイス国内においてカランダッシュは、正しい使い方をしていた場合に限って永久保証をうたっている)になるので、マネはおすすめしない。
それに、そういう使い方をしていたおかげで、ボクは恥ずかしい思いをしたことがある。
ショー会場で重要な人物にインタビューした際、カランダッシュを使おうと思ったら、芯の出が悪い。カチャ、カチャ。刑事物の撃ち合いで、悪役の持つピストルの銃弾が突然切れて「ち、ちくしょーッ!」と捨てる、あのシーンが脳裏をよぎった。
それでも必死でノックすると、その朝むいて食べた、オレンジの皮のカスがポロっと排出された。相手が見ていなかったことを願うのみだった。
こんな調子のボクだから「筆記具好き」ではあるものの、愛好家を名乗るのは少々気が引けるのだ。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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