第464回:未来のカーデザイナーに夢を!
「コンセプトカー日常使い」のすすめ
2016.08.26
マッキナ あらモーダ!
まぼろしの“四角いMINI”
MINIといえば、いまやBMWグループを支えるブランドである。しかし誰もが知るように、オリジナルの「MINI」は1959年に英国BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)によって世に送り出された。その後オリジナルMINIは、2000年まで、なんと41年にわたり同一モデルでの生産が続けられたのだった。
その後継モデルが、それもオリジナルMINIの設計者であるアレック・イシゴニスによって1960年代の終わりに考えられていたことも事実だ。「9X」と名付けられたプロトタイプである。
「乗員4人と荷物を搭載できるスペース」というオリジナルの思想を踏襲しながらも、従来比で5%の価格低減が目標だった。エンジンは、オリジナルと同じ排気量850ccながら新設計で、重量はそれまでのユニットに比べて4割も軽量化することに成功した。整備性も大幅に改善された。
サスペンションは、初期のオリジナルMINIに見られたハイドロラスティック・サスペンションではなく、前:ストラット、後ろ:トーションバー式を採用。
スクエアなボディースタイルは、オリジナルよりも広い車室を実現するのに貢献した。おそらく、曲面を作って強度を上げる必要のない、鋼材技術の進化もデザインに自由度を与えたと思われる。
そしてオリジナルとの最大の違いとして挙げられるのが、近代的なハッチバックスタイルだった。
プロトタイプカーを日常使い!?
しかしこのプロトタイプ、最終的には生産されなかった。
BMCは、1966年の持ち株会社BMH(ブリティッシュ・モーター・ホールディングス)設立を経て、1968年に今度はレイランド・グループを合併することで、BLMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)となっている。この企業再編の渦に巻き込まれるかたちで、9X計画はお蔵入りとなったのだ。
もし、9Xが世に出ていたら、同社はそのハッチバックの実用性を武器に、市場で「フィアット127」「ルノー5」「フォルクスワーゲン・ポロ」などと互角に戦えたかもしれない。それに、その後英国自動車産業を襲った長い暗黒時代はやってこなかったかもしれない。
それはともかく、イシゴニス自身は、後年その幻の9Xプロトタイプを、2年間にわたり自分で運転していたというから驚きだ。
幻のプロトタイプを日常使いする設計者といえば、メルセデス・ベンツの名設計者として知られたルドルフ・ウーレンハウトも思い出す。彼はレーシング用オープンカー「300SLR」のクーペ版を1956年のレースシーズンに向けて開発していた。しかしメルセデス・ベンツが1955年シーズンをもってモータースポーツ活動を休止したため、300SLRクーペはレースシーンで活躍する機会を失ってしまった。
だが、このマシンは“お蔵入り”にはならなかった。ウーレンハウト自身が、カンパニーカーとして300SLRクーペを使用し続けたのだ。今日でも2時間半かかるシュトゥットガルト~ミュンヘン間を、彼がおよそ1時間で走破したというのは有名な話である。
このクルマはその後、「ウーレンハウト・クーペ」の愛称で、世界のメルセデス・ベンツファンに知られることになる。今日もシュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ博物館において、スター的展示車のひとつである。
コンセプトカーでデザイナーの育成を
時代は変わって今日、ショーカーやコンセプトカーの大半は、モーターショーが終わると廃棄処分されてしまう。保管スペースの問題ではない。税法上資産に計上され、れっきとした課税対象とみなされるためである。億単位の費用をかけて作る一品製作ゆえ、査定は決して甘くない。
だが、渾身(こんしん)の作があっけなく消えてしまっては、作り手であるデザイナーや設計者のモチベーションは下がるいっぽうだろう。
確かにコンセプトカーは、防水や熱対策ができていないものがほとんどだ。空調も完璧でないうえ、グラスエリアが大きいため、ちょっと日に当たるだけで、室内が灼熱(しゃくねつ)地獄になるコンセプトカーも少なくない。
構造上も実用性を考えていない場合が多々ある。英国のイベントで実際こんなことがあった。ある欧州系著名メーカーのデザインディレクターの夫人が、夫の手がけたコンセプトカーの助手席に乗りながら、跳ね上がったガルウイングドアに片手を添えている。ポーズをとっているように思えたが、周囲にフォトグラファーは見当たらない。聞けば、「暑いから開けておきたいのだけれど、ドアが開放位置で固定されないのよ」と教えてくれた。仕方がないのでパレードが始まるまで、代わりにボクが重いドアを支えてあげた。
インテリアの質も、耐久性を考慮した市販車とは比べられない。ガーニッシュなどもテープを貼ってそれっぽく見せたものが多いので、しばらくするとはがれ始める。
したがって、今日のコンセプトカーを、量産を目指して煮詰められた9Xや、レースでの使用を前提に準備されたウーレンハウト・クーペのように日常的に使うのは、かなり無理があろう。保安基準の問題も解決しなければならない。
しかし日本で自動車デザイナーの志望者が不足していると指摘されて、もう十数年になる。チーフエンジニアやデザインディレクターがコンセプトカーを会社から貸与されて日常使用できるようになる“お目こぼし”的な税制や法整備があったら面白いのではないか。次代の自動車産業の担い手たちに、少しでも夢を抱いてもらうためにも。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>、BMWグループ、ダイムラー)

大矢 アキオ
コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナ在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、22年間にわたってリポーターを務めている。『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。最新刊は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。