日産が名車「プリンス・スカイラインスポーツ」を展示

2016.09.21 自動車ニュース 沼田 亨
日産グローバル本社ギャラリーに展示中の、アレマーノ製プロトタイプである1960年「プリンス・スカイラインスポーツ コンバーチブル」(写真手前)と「同クーペ」(同奥)。
日産グローバル本社ギャラリーに展示中の、アレマーノ製プロトタイプである1960年「プリンス・スカイラインスポーツ コンバーチブル」(写真手前)と「同クーペ」(同奥)。 拡大

日産自動車は2017年1月31日まで、神奈川県横浜市の日産グローバル本社ギャラリーで「日産・プリンス合併50年」の特別展示を開催中。1966年8月に日産とプリンスが正式に合併してから50年を迎えたことを記念して、懐かしのプリンス車をはじめ、そのDNAを継承したモデルや、両社の技術・文化の融合の歴史を象徴するモデルを入れ替わりで展示している。

ボディーサイズは全長4650mm、全幅1695mm、全高1410mmで、ほぼ5ナンバー枠いっぱい。2535mのホイールベースはベースとなった初代「スカイライン」「グロリア」と共通だが、全長はそれらより300mm前後も長いため、リアのオーバーハングが非常に長い。
ボディーサイズは全長4650mm、全幅1695mm、全高1410mmで、ほぼ5ナンバー枠いっぱい。2535mのホイールベースはベースとなった初代「スカイライン」「グロリア」と共通だが、全長はそれらより300mm前後も長いため、リアのオーバーハングが非常に長い。 拡大
「コンバーチブル」のインストゥルメントパネル。メーターは速度計と集合計のみで、エンジン回転計はなし。ちなみに生産型ではエンジン回転計が付き、集合計の代わりに中央部分に小径4連メーターが付く。本革張りのシートは、オリジナルの赤茶から黒に貼り替えられている。
「コンバーチブル」のインストゥルメントパネル。メーターは速度計と集合計のみで、エンジン回転計はなし。ちなみに生産型ではエンジン回転計が付き、集合計の代わりに中央部分に小径4連メーターが付く。本革張りのシートは、オリジナルの赤茶から黒に貼り替えられている。 拡大

■価格は「初任給100カ月分」

展示リストの中でも希少なモデルといえば、目下展示中の「プリンス・スカイラインスポーツ クーぺ」と「プリンス・スカイラインスポーツ コンバーチブル」であろう。スカイラインスポーツは、初代「スカイライン」および「グロリア」(両車は兄弟車だった)のシャシーに、イタリアの名匠ミケロッティがスタイリングを手がけたボディーを載せた、日本で初めてイタリアンデザインを導入したモデルであり、同時に国産初の高級パーソナルカーでもあった。

1962年4月に発売されたが、ほとんどハンドメイドのため、価格はクーペ185万円、コンバーチブル195万円という、当時としては恐ろしく高価なものとなってしまった。今日ならば軽スポーツカーでさえ買えるかどうかという金額だが、大卒初任給が2万円未満で、ベースとなった、それまで最も高価な国産車だったグロリアが115万円だった時代の話である。現在の貨幣価値に換算すれば、2000万円近かったのではないだろうか。

その高価格がネックとなって、生産台数はクーぺとコンバーチブルを合わせて60台にとどまったといわれている。スカイラインスポーツはそうした希少なモデルなのだが、今回の展示車両は、さらなるお宝。1960年のトリノショーに出展するため、日本から送られたベアシャシーにイタリアはトリノのカロッツェリア・アレマーノでボディーが架装された、この世にクーペ、コンバーチブルともに1台ずつしか存在しないプロトタイプ(コンセプトモデル)なのである。

1960年「プリンス・スカイラインスポーツ クーペ」(日産蔵)。フェンダーミラーはノンオリジナル。
1960年「プリンス・スカイラインスポーツ クーペ」(日産蔵)。フェンダーミラーはノンオリジナル。 拡大
当時の劣悪な道路状況を反映して205mmの最低地上高を確保した実用車のシャシーがベースのため、いささか腰高な印象は否めない。しかし、ピラー類の細さはイタリアンデザインならではの繊細さを感じさせる。
当時の劣悪な道路状況を反映して205mmの最低地上高を確保した実用車のシャシーがベースのため、いささか腰高な印象は否めない。しかし、ピラー類の細さはイタリアンデザインならではの繊細さを感じさせる。 拡大
こちらは「クーペ」のインテリア。メーターの配置はコンバーチブルと同じだが、盤面のデザインや針は微妙に異なる。ステアリングホイールはコンバーチブルと同じだが、リムに革製カバーを装着。こちらの本革張りシートはオリジナルと思われる。ドア内張に付けられたウィンドウレギュレーターの位置が、コンバーチブルとは異なることに注目。プロトタイプの製作期間は約半年で、トリノショー当日の朝にようやく仕上がったという突貫工事だったため、2台のディテールには異なる部分が少なくない。
こちらは「クーペ」のインテリア。メーターの配置はコンバーチブルと同じだが、盤面のデザインや針は微妙に異なる。ステアリングホイールはコンバーチブルと同じだが、リムに革製カバーを装着。こちらの本革張りシートはオリジナルと思われる。ドア内張に付けられたウィンドウレギュレーターの位置が、コンバーチブルとは異なることに注目。プロトタイプの製作期間は約半年で、トリノショー当日の朝にようやく仕上がったという突貫工事だったため、2台のディテールには異なる部分が少なくない。 拡大
このクルマで最も魅力の乏しい部分であろう、初代「グロリア」用の直4 OHV 1862ccエンジン。最高出力80psにすぎないが、これでも1960年当時の国産乗用車用としては最大級のエンジンだったのだ。これは「クーペ」用だが、「コンバーチブル」用も同一である。ちなみに生産型では、ベース車のパワーアップに伴い最高出力は94psとなる。
このクルマで最も魅力の乏しい部分であろう、初代「グロリア」用の直4 OHV 1862ccエンジン。最高出力80psにすぎないが、これでも1960年当時の国産乗用車用としては最大級のエンジンだったのだ。これは「クーペ」用だが、「コンバーチブル」用も同一である。ちなみに生産型では、ベース車のパワーアップに伴い最高出力は94psとなる。 拡大
(※写真をクリックすると、エンブレムやルームミラーなど、車両のディテールが見られます)
(※写真をクリックすると、エンブレムやルームミラーなど、車両のディテールが見られます) 拡大

■55年ぶりのそろい踏み

トリノショーでのデビューは、これまた日本車初となる海外ショーにおけるワールドプレミアだった。それが1960年11月で、翌61年に2台のプロトタイプは日本に上陸。3月にメディア向けのお披露目を済ませた後、翌4月には東京・千駄ケ谷の東京体育館で大がかりなショー仕立ての発表会を実施した。

61年7月には生産化に向け、4人の板金職人がイタリアから来日。同年秋の東京モーターショーには、彼らの指導の下に日本で作られたプロトタイプが展示された。つまり2台のアレマーノ製プロトタイプが公式な場にそろって姿を見せたのは、61年4月の発表会が最後となっていたのだ。

その後、クーペはメーカーで保管され、現在は日産の歴史車両を集めた座間記念庫に収められている。しかしコンバーチブルは社外に放出され、今は個人オーナーのもとにある。放出された時期、経緯ともに不明だが、幸いなことにコンディションは非常に良好で、走行可能な状態にある。

その貴重な個体を、今回の記念企画に際して、現オーナーのご好意により日産が借り受け、展示が実現した。2台のプロトタイプのそろい踏みは、前述した1961年4月の発表会から数えて、実に55年ぶりとなる。プリンス/日産というメーカーの枠を超えて、日本車史においても非常に重要な歴史遺産と呼べる2台のスカイラインスポーツ・プロトタイプ。これを逃したら、二度と目にする機会はないかもしれない。展示期間は2016年9月30日までである。

なお、スカイラインスポーツの詳細については、『webCG』の関連エッセイを参照されたし。

これっきりですカー:
『トリノの風薫る』プリンス・スカイラインスポーツ(1962-63)

http://www.webcg.net/articles/-/11508
http://www.webcg.net/articles/-/11507
http://www.webcg.net/articles/-/11506
http://www.webcg.net/articles/-/11505

(文と写真=沼田 亨)

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