日産が名車「プリンス・スカイラインスポーツ」を展示
2016.09.21 自動車ニュース![]() |
日産自動車は2017年1月31日まで、神奈川県横浜市の日産グローバル本社ギャラリーで「日産・プリンス合併50年」の特別展示を開催中。1966年8月に日産とプリンスが正式に合併してから50年を迎えたことを記念して、懐かしのプリンス車をはじめ、そのDNAを継承したモデルや、両社の技術・文化の融合の歴史を象徴するモデルを入れ替わりで展示している。
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■価格は「初任給100カ月分」
展示リストの中でも希少なモデルといえば、目下展示中の「プリンス・スカイラインスポーツ クーぺ」と「プリンス・スカイラインスポーツ コンバーチブル」であろう。スカイラインスポーツは、初代「スカイライン」および「グロリア」(両車は兄弟車だった)のシャシーに、イタリアの名匠ミケロッティがスタイリングを手がけたボディーを載せた、日本で初めてイタリアンデザインを導入したモデルであり、同時に国産初の高級パーソナルカーでもあった。
1962年4月に発売されたが、ほとんどハンドメイドのため、価格はクーペ185万円、コンバーチブル195万円という、当時としては恐ろしく高価なものとなってしまった。今日ならば軽スポーツカーでさえ買えるかどうかという金額だが、大卒初任給が2万円未満で、ベースとなった、それまで最も高価な国産車だったグロリアが115万円だった時代の話である。現在の貨幣価値に換算すれば、2000万円近かったのではないだろうか。
その高価格がネックとなって、生産台数はクーぺとコンバーチブルを合わせて60台にとどまったといわれている。スカイラインスポーツはそうした希少なモデルなのだが、今回の展示車両は、さらなるお宝。1960年のトリノショーに出展するため、日本から送られたベアシャシーにイタリアはトリノのカロッツェリア・アレマーノでボディーが架装された、この世にクーペ、コンバーチブルともに1台ずつしか存在しないプロトタイプ(コンセプトモデル)なのである。
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■55年ぶりのそろい踏み
トリノショーでのデビューは、これまた日本車初となる海外ショーにおけるワールドプレミアだった。それが1960年11月で、翌61年に2台のプロトタイプは日本に上陸。3月にメディア向けのお披露目を済ませた後、翌4月には東京・千駄ケ谷の東京体育館で大がかりなショー仕立ての発表会を実施した。
61年7月には生産化に向け、4人の板金職人がイタリアから来日。同年秋の東京モーターショーには、彼らの指導の下に日本で作られたプロトタイプが展示された。つまり2台のアレマーノ製プロトタイプが公式な場にそろって姿を見せたのは、61年4月の発表会が最後となっていたのだ。
その後、クーペはメーカーで保管され、現在は日産の歴史車両を集めた座間記念庫に収められている。しかしコンバーチブルは社外に放出され、今は個人オーナーのもとにある。放出された時期、経緯ともに不明だが、幸いなことにコンディションは非常に良好で、走行可能な状態にある。
その貴重な個体を、今回の記念企画に際して、現オーナーのご好意により日産が借り受け、展示が実現した。2台のプロトタイプのそろい踏みは、前述した1961年4月の発表会から数えて、実に55年ぶりとなる。プリンス/日産というメーカーの枠を超えて、日本車史においても非常に重要な歴史遺産と呼べる2台のスカイラインスポーツ・プロトタイプ。これを逃したら、二度と目にする機会はないかもしれない。展示期間は2016年9月30日までである。
なお、スカイラインスポーツの詳細については、『webCG』の関連エッセイを参照されたし。
これっきりですカー:
『トリノの風薫る』プリンス・スカイラインスポーツ(1962-63)
http://www.webcg.net/articles/-/11508
http://www.webcg.net/articles/-/11507
http://www.webcg.net/articles/-/11506
http://www.webcg.net/articles/-/11505
(文と写真=沼田 亨)