第132回:肉体派俳優が殴る、撃つ、爆走する!
『ジェイソン・ボーン』
2016.10.06
読んでますカー、観てますカー
9年ぶりに帰ってきた男
ギリシャとマケドニアの国境近く、荒涼とした広場に屈強な男たちが群れ集っている。金を賭けて闘っているらしい。アンダーグラウンドの野良ボクシングで、リングもなければグローブもつけない。負ければ命を失うかもしれない真剣勝負だ。ふいに闘いが始まり、大男が一瞬にして倒される。勝った男はうれしそうなそぶりも見せず、目には暗い光が宿っている。ジェイソン・ボーンが帰ってきたのだ。
シリーズ第1作の『ボーン・アイデンティティ』が公開されたのは2002年。負傷して漁船に助けられた記憶喪失の男が、わずかな手がかりから自分の置かれた状況を探ろうとする。本物の自分探しの旅だ。傷心の女子が京都の寺めぐりをしていやされていくのとはわけが違う。CIAから送り込まれた刺客と戦わなければならず、旅情を感じている余裕はない。2004年の『ボーン・スプレマシー』、2007年の『ボーン・アルティメイタム』と続いてシリーズは一区切りついていたのだが、9年ぶりに新しい物語が始まった。
いやいや、この連載でも紹介した2012年の『ボーン・レガシー』があったではないか。確かに公開当時は“ボーン・シリーズ第4作”とされていたが、今回のプレス資料では一切触れられていない。『レガシー』の主人公はジェレミー・レナーが演じるアーロン・クロスという新キャラで、ボーンは写真が出てくるだけだ。いろいろあって監督のポール・グリーングラスが降板し、ボーン役のマット・デイモンも出演を取りやめた。結果、世界観は同じでも外伝のような作品になっている。
45歳でもマッチョなマット・デイモン
シリーズ物では途中で方針が変わることが珍しくない。昨年の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は『マッドマックス/サンダードーム』を飛ばして『マッドマックス2』からつながる形になっていた。『ターミネーター:新起動/ジェニシス』はシリーズ5作目だが、ジェームズ・キャメロンは「私にとっては3作目」と明言している。『ジェニシス』自体もシリーズから抹消される可能性があるような気もするのだが。
『レガシー』はなかったことにされたわけではないが、スピンオフ的な扱いに変わったようだ。『レガシー』の監督を務めたトニー・ギルロイはこれまでずっと脚本家としてクレジットされていたが、今回は外れている。鬼子的存在だった『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』が後で物語の中に回収されたように、『レガシー』も今後の展開次第ではメジャーに復帰するかもしれない。
『アルティメイタム』ではボーンが2004年に姿を消したことになっていた。真相が明らかになって自分が何者であるかを知ったが、暗殺者だった過去が彼を苦しめたのだろう。10年以上の間、野良ボクシングで肉体をぶつけ合うことでしか自らの存在を確かめることができなかった。第1作では20代だったマット・デイモンも45歳になる。年はとったけれど身体能力は研ぎ澄まされ、大みそかに日本の格闘技番組に出てもおかしくないマッチョな見た目だ。
2004年当時とは世界情勢も激変し、舞台装置もアップデートされている。ボーンがかつての同僚であるニッキー(ジュリア・スタイルズ)と接触するのは、暴動さながらのデモで混乱するアテネだ。EUの金融支援を受ける条件となった財政再建法案に反対する民衆が警察隊と激突したのは2015年の7月。直近の事件を映画に取り入れている。
第1作の階段落ちオマージュシーンも
デモ隊が火炎瓶を投げてシンタグマ広場が炎に包まれる中、ボーンは警察から奪ったバイクでCIAの追撃を逃れようとする。狭い裏路地を駆け抜けるシーンはエンデューロ選手権のチャンピオンライダーがスタントを務めていて、超絶テクニックが披露される。第1作で評判の高かった「MINI」で階段を駆け下るシーンへのオマージュがあるのも好ましい。カメラは揺れ動いて落ち着きがないが、何が起きているのかをしっかり映し出しているのが匠の技だ。
現実から取られた舞台装置がもう一つある。ニッキーはCIAのサーバーをハッキングし、トレッドストーン計画の情報を手に入れる。CIAとNSAの機密資料を暴露したスノーデン事件を元にした設定だ。資料には、ボーンと彼の父親に関する機密情報が記されていた。政府の違法な情報収集を知って告発したスノーデンのように、ニッキーもCIAの陰謀をボーンに知らせようとする。
ボーンが殺人兵器に仕立て上げられることになったのは、CIAのトレッドストーン計画によるものだった。新たにアイアンハンド計画が進められていることも判明する。『レガシー』ではほかにブラックブライアー計画、アウトカム計画、ラークス計画の存在も明らかにされていて、どれが何を指しているのかよくわからなくなってしまっていた。CIAはやたらに計画の数を増やさず、整理して一本化したほうがいい。
改造装甲車がチャージャーとバトル
トミー・リー・ジョーンズが新たな悪役として登場している。ボーン殺害の指令を出すCIA長官だ。部下として指揮をとるヘザー・リーにはアリシア・ヴィキャンデル。『コードネーム U.N.C.L.E.』『エクス・マキナ』『リリーのすべて』などにも出演していた今最も旬の女優である。ボーンを助けようとするが、美しい人が必ずしも美しい心を持っていないことはみなさんご存じのとおりだ。
ボーンを付け狙う刺客を演じるのはヴァンサン・カッセル。ストイックな殺し屋で、映画の中では名前さえ示されずに“作戦員”という役柄だ。正確な射撃の腕を持ち、ボーンを追い詰めていく。
クライマックスはラスベガス。カーチェイスシーンはボーン・シリーズの重要な見せ場で、これまでの作品を上回る迫力を生み出さなければならない。200台のクルマを用意したが、道路の完全封鎖は許可されず一般車が通行している中での撮影となった。悪条件下ではあるが、仕上がりは素晴らしい。「ダッジ・チャージャー」とバトルするのはSWATの装甲車。本物だとスピードが出ないので、「フォードF550」を改造して超速車に仕立てたそうだ。
カーチェイスはいろいろな映画でやり尽くされているように思えるが、ちゃんと新しいアイデアを出してくるのには感心する。今回のキーワードは“二段重ね”。閉鎖直後のホテルを利用して、とんでもないクラッシュシーンを撮影している。CG頼りが行き過ぎた映画に、肉体のリアリティーこそが観客にインパクトを与えることをあらためて教えたのが『ボーン・アイデンティティ』だった。その志は、最新作でも変わっていない。
(鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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