アストンマーティン・ヴァンキッシュ(FR/8AT)
最後の車に相応しい 2016.11.08 試乗記 アストンマーティンのフラッグシップクーペ「ヴァンキッシュ」に試乗。6リッターのV12自然吸気エンジンを搭載するヴァンキッシュには神性すら漂う。人生の最後にはこんな車に乗るに相応(ふさわ)しい男になりたいものである。知れば知るほどその先がある
深く刷り込まれた子供の頃の記憶のせいかどうかは知らないが、理性や合理的な判断ではその魅力に抵抗できないものが誰にでもあるはずだ。ストレートな感情の前では、性能や実用性や経済性などまったく無意味である。一時は忘れていても、何かのきっかけで一瞬でよみがえるあの理屈抜きにカッコいいと思う気持ち、実は最近見かけてやっぱり欲しいと思ったのがエクスプローラーだった。ああ、もちろんあの高価な時計ではなく、もちろんSUVでもありません。昔、クラプトンが使っていたエレキギターのこと。どうにもへんてこな形だが、カッコよく見えるのだから仕方がない。
アストンマーティンにも抵抗できない。こちらを妙な形と言う人は無論いないが、見た目は素晴らしいが乗ってみたら残念、というようなカッコだけの優男とはまるで対極にあることはご存じの通り。今も骨太で逞(たくま)しい後輪駆動スポーツカーを作り続ける、孤高と言ってもいいスポーツカーブランドである。それに他の名門ブランドのようにSUVには手を出さないし、と感心していたのに、そのアストンでさえも「DBX」なるニューモデルを準備中だというのが心中穏やかではない。もっとも単なるSUVではなくクロスオーバーと言っているから、そこはきっちり自分たちのポジションを守ってくれることを期待したい。
シェークスピアもコナン・ドイルも知れば知るほど、読めば読むほど、その先にさらに道が伸びているのが分かるように、アストンマーティンも触れれば触れるほど、大英帝国の底知れぬ深さを感じざるを得ない。今やかつての本拠地ニューポート・パグネルを知る人も少ないはずだが、今も依然として6リッターV12を積む途轍(とてつ)もないスポーツカーを“手作り”のように少量生産し、年間5000台程度の規模でビジネスとして成立させている。100年以上を生き延び、最先端のファッションと伝統的な車造りをきわめて意識的に活用しているのがアストンマーティンなのである。クールなだけのプレミアムビジネスとはそもそも根っこのしたたかさが違う。私としては、フェラーリとどっちが速いのか? というような基準での話はお断りしたいのが本音だ。何しろアストン贔屓(びいき)なのである。
堂々たる旗艦
すでに新開発のV12ツインターボを搭載する意欲的なニューモデル「DB11」が国内でも発表されているが、位置づけとしては依然としてヴァンキッシュがフラッグシップである。2007年までニューポート・パグネルの旧工場で作られていた先代V12ヴァンキッシュの名前を2012年にそのネーミングとともに復活したアストンの旗艦であり、「クーペ」とコンバーティブルの「ヴォランテ」があるが、「S」の噂もちらほら耳に入っている。
第4世代のVHプラットフォームと呼ばれるアルミとカーボンを組み合わせたスペースフレームにフルカーボンファイバー・ボディーを持つヴァンキッシュ クーペは、車検証記載の車重で1790kgと、6リッターV12エンジンを搭載するこのサイズの車としては軽いうえに、前後重量配分は51:49でメーカー発表値と同一、ほとんど文句なしである。巨大なV12をフロントに搭載し、この前後バランスを実現するのは並大抵のことではない。流麗だが引き締まった姿かたちはまさしく伊達(だて)ではなく、本物の迫力がにじみ出るのも当然なのである。
8段ATでさらに速く
ヴァンキッシュのパワートレインは2014年に改良を受け、エンジンは従来の573ps、620Nm(63.2kgm)から576ps(424kW)/6650rpmと630Nm(64.2kgm)/5500rpmへわずかながらパワーアップしているが、それよりも重要なのはトランスミッションが6段ATのタッチトロニックIIから8段タッチトロニックIIIへ進化している点だ。ATの8段化によって最高速は323km/h、0-100km/h加速は3.8秒へ向上しているうえに、燃費も11%改善されているという。実際、100km/hクルーズ時の回転数はわずか1300rpmにすぎないが、箱根往復の燃費はそれでも5km/リッター台である。もっともこの車の場合はまったく気にならない。
というのも、回すこと、踏むことそのものを楽しめるエンジンは今やめったにお目にかかれない貴重品だからだ。今時の高効率ダウンサイジングユニットはどこを使っても、エンジン回転数が高かろうが低かろうが、同じようにレスポンスが返ってくる。もちろん実用エンジンとしてはまったく問題ないどころか、歓迎すべきことだが、とめどなく湧き出す伏流水の奔流をコントロールするようなV12自然吸気エンジンを一度でも知ってしまうと、反時計回りの回転計の針が真上を指す7000rpmまで使い切ってみると、真っ平らのトルクカーブ(ではなく直線だが)を持つエンジンが退屈であることは否定しようがない。
しかも、トルコン付きATの上にトランスアクスル式であるにもかかわらず、まるでエンジンとリアデフが直接結ばれているような打てば響くレスポンスはドライバーを有頂天にさせるに十分すぎるのだ。無論、優雅に流すこともできるが、モードを切り替えてコーナリング中に右足を小刻みに(必要ないのに)動かしてみると、ビクビクッと後ろ脚が蹴り出すのが分かる。後輪駆動、万歳、である。
何か宿っていても不思議ではない
3000万円を優に超える高価格車であるにもかかわらず、カーボン製のエンジンフードは軽く薄く、まるで最中の皮のように頼りなく感じるが、むしろこれを精密に成型し塗装し、耐久性を確保するのは容易ではないことだ。対照的にドアを開けた際にだけ目に入るダッシュボードのコーナーに至るまでレザー張り(ちりめんのようなしわが寄っているのは苦笑したが)を奢(おご)っているのもアストンらしい豪勢さだ。シートのステッチは機械で正確に縫い上げたものとは違って、真っすぐだが微妙にうねっており、いかにもハンドクラフトであることを感じさせる。“世界観”という言葉はこういう車にだけ許されるものだろう。円を左右から押しつぶしたようなステアリングホイールが何となく奇妙に感じるものの、気になるのはそのぐらいであり、それもいつの間にか意識しなくなり、1.9mを超える全幅のボディーを路肩ギリギリまで寄せて走っている自分に気づくほど体にフィットするコックピットだ。言うまでもないが、+2のリアシート(スタンダードは2シーター)は罰ゲームのようなものなので、かばん置き場かペット用と割り切っておいたほうがいい。
環境問題への対応でターボエンジンが必要だとしても、今時V12搭載モデル(V12ヴァンテージS)にマニュアル・ギアボックスをわざわざ追加するようなメーカーだから、この自然吸気V12だけは残すと発言しているアンディ・パーマーCEOを応援したい。長く生き延びたものには何かしらの力が宿り、八百よろずの神のひとつになると日本では昔から信じられてきた。機械ではあるけれど、ヴァンキッシュにはその種の神性さえ感じられるような気がする。人生の最後にはこんな車に乗るに相応しい男になりたいものである。
(文=高平高輝/写真=荒川正幸/編集=竹下元太郎)
テスト車のデータ
アストンマーティン・ヴァンキッシュ
ボディーサイズ:全長×全幅×全高=4728×1912×1294mm
ホイールベース:2740mm
車重:1739kg
駆動方式:FR
エンジン:6リッターV12 DOHC 48バルブ
トランスミッション:8段AT
最高出力:576ps(424kW)/6650rpm
最大トルク:64.2kgm(630Nm)/5500rpm
タイヤ:(前)255/35ZR20 97Y/(後)305/30ZR20 103Y(ピレリPゼロ)
燃費:12.8リッター/100km(約7.8km/リッター 欧州複合モード)
価格:3335万円/テスト車=--円
オプション装備:ブレーキキャリパー(レッド)/ベンチレーテッド・フロントシート/コントラストステッチ/アルカンターラ(コンテンポラリー)/ヴァンキッシュ・リアバッジ/レザーカラー(コンテンポラリー)/ヘッドレストの刺しゅう(アストンマーティン・ウイング)/ポリッシュトアルミニウム・フューエルフィラーキャップ/レザーヘッドライニング/ピアノブラック・インテリアトリム・パック/マグナムシルバー・メッシュ/2+2シーティングアレンジメント/カーボンファイバー・ルーフパネル/ブラックパドルシフト/自動防げん機能付きリアビューミラー/シートアクセントおよびパーセルシェルフキルティング/カーボン・サイドストレーキ/「One-77」スタイル・ステアリングホイール/フェイシアトリム(フルレングス・ツイルカーボン)/20インチ10スポーク・グロスブラックDTホイール
テスト車の年式:2016年型
テスト開始時の走行距離:3433km
テスト形態:ロードインプレッション
走行状態:市街地(1)/高速道路(7)/山岳路(2)
テスト距離:375.4km
使用燃料:69.7リッター(ハイオクガソリン)
参考燃費:5.4km/リッター(満タン法)/5.9km/リッター(車載燃費計計測値)
