アストンマーティン・ヴァンキッシュSクーペ(FR/8AT)
V型12気筒は永遠に 2017.11.17 試乗記 進化が止まらぬスーパースポーツカーの世界。「アストンマーティン・ヴァンキッシュ」も588psというパワーを得て、いよいよその究極形と目される「ヴァンキッシュS」に到達した。伝統の自然吸気V12エンジンも、いよいよこれでクライマックスか。アストンのダイヤモンド、V型12気筒は永遠に!デビューしたばかりだけれど……
アストンマーティン・ヴァンキッシュSに試乗するという僥倖(ぎょうこう)に恵まれ、つかの間、白昼に夢の時間を過ごした。ヴァンキッシュSは、もうめちゃくちゃカッコイイ! 『007』映画には出てこないというのに、なぜか気分はジェームズ・ボンドになってしまう。トム・フォードの真っ白いタキシードを着て、懐にワルサーPPKをつるしており、スペクターはいつ現れるのか、というような心持ちになる。アホである。アホではあるが、自動車というのは、自分自身がそこに入り込んで操縦するものなので、おのずとそうなる。ウルトラマンのスーツを着た人がウルトラマンになるのと同じだ。
アストンマーティンに乗り込んで、「あたしゃね、かみさんもきっと大好きだと思うんですよ、アストンマーティンは」と刑事コロンボになる人はいない。「考えるな、感じろ」とブルース・リーになる人もいなければ、「死んでもらいます」と高倉 健になる人もいない。寅さんもない。なるのは、ボンド、ジェームズ・ボンドただひとり。
ということで、まずはヴァンキッシュSについてのご説明を、と思ったら、11月1日、このイギリスの名門サラブレッドGTメーカーは旗艦ヴァンキッシュの「さよなら」エディションを発表してしまった。
「ヴァンキッシュSアルティメイト」と名付けられたそれは、限定175台。その名の通り、ヴァンキッシュSをベースにドキッとするようなカラーリングで仕立てた究極のおしゃれバージョンである。現代のスターデザイナーのひとり、マレク・ライヒマン率いるアストンのデザイン部門がつくりだした3種類のボディー色と3種類の内装が用意されている。ということだけれど、筆者はじつのところ1種類、配信写真で確認しただけである。その1種類から察するに、大都会ロンドンのナイトライフにふさわしい地味ハデ系、モダンパンクとでも表現したくなる色調でまとめられていると思われる。注文受け付けははじまっていて、デリバリーは来年の春。つまり、ヴァンキッシュSは2016年の秋に発表されたばかり、しかも日本には今年の春に上陸したばかりだというのに、もうすぐ消えていく。諸行無常。歳月は人を待たず。去る者は日々に疎(うと)し。いや、まだ去っていないので、ヴァンキッシュSについて続ける。
モデルライフは6年が伝統
そもそも第2世代にあたる現行ヴァンキッシュの発表が2012年。「DB9」と共通のVHプラットフォームに5.9リッターV12を搭載、リアにZFのオートマチックギアボックスを配したトランスアクスル方式で、カーボン製ボディーパネルの採用によって可能になったシャープで複雑な外観を特徴とする。
オープンの「ヴォランテ」はその翌年の追加なのだけれど、驚いたことにさらにその翌14年、アストンマーティンは開発のテンポを緩めることなく、6段だったZF製オートマチックギアボックスを新しい8段に取り換え、同時に最高出力を573psから3psだけながら、ともかくアップした。
でもって、後期型とも進化型ともいえるヴァンキッシュSの登場がその2年後の16年。振り返ってみると、初代ヴァンキッシュも01年に登場して07年に消えている。次々に新型を繰り出すライバルのフェラーリやベントレーもそんなペースだから、アストンもそれに合わせるほかない……。いや、そうではなくて、さらにさかのぼると、007ジェームズ・ボンドの愛車のアイコンの「DB5」はたった3年、その前の「DB4」、DB5の後の「DB6」、さらにその後の「DBS」も6年で次へと切り替わっている。つまり、アストンマーティンの伝統的モデルライフは6年であって、2代目ヴァンキッシュもその慣例に従っているにすぎない、というふうにも言える。
つまり、いよいよほんとうにヴァンキッシュSは生産終了になるわけで、そうなると、ますますもってこのモデル末期のヴァンキッシュSがいとおしくなる。1987年にフォード傘下に入ったことから始まる新生アストンマーティンの、おそらく最後の自然吸気V12を搭載するフロントエンジンのGTカーということになるのだから。
ちらりとのぞくカーボンがSの証し
実際、それは試乗してみても、消えていくことが惜しいと思われるような種類の、京都のお茶菓子みたいな滑らかさを感じさせる、古典的な作品だった。
外観はいかにもモダン・アストンマーティンである。限定77台の驚愕(きょうがく)モデル、「ONE-77」をほうふつさせるダイナミックな造形はカーボン製パネルでなければつくれなかった、ことはないかもしれないけれど、特にリアのウイングまわりとか、いつものアルミでは、なるほど、むずかしかったろう。
テスト車で、フロントのグリルの下とサイドの赤いラインの部分は、メーカーのホームページのコンフィギュレーターでいろいろ選ぶことができる。穏やかなボディー色に対して鮮烈な赤のラインが入ることによってボディー全体をギュッと引き締めるのと同時に、クラブマンレーサーっぽい雰囲気を醸し出す。おそらくは純然たる手仕事であって、手仕事の積み重ねならではの、大量生産では絶対に生まれない何かが加わる。
フロントマスクの深海魚っぽいというか、宇宙人みたいなヘッドライトと、伝統のグリルの下のもうひとつのアンダーグリルの造形とかに、微妙な愛嬌(あいきょう)があって、そこもまた魅力的だ。完璧なハンサムは退屈につながる。それを巧妙に避けている。
ヴァンキッシュと同Sとを外見上見分けるポイントは、あえてカーボンファイバー素地(そじ)を露出させたままの新しいフロントスプリッター(昔ならスカートと呼んでいた部分)とリアのディフューザー、それに4本出しのエキゾーストパイプということになる。
新しい鍛造の5スポークの20インチのホイールの奥に真っ黒なキャリパーがチラリとのぞく。このキャリパーの色も、黒、青、グレー、赤、黄色等、6種類も選ぶことができる。もちろんホイールも、この5スポークのほか、真っ黒けからピカピカのシルバーまで、4種類、用意されている。
“たおやかさ”を得た
ドアを開けて乗り込むと、シートと天井にアストンマーティンのマークの羽の部分みたいなステッチが入っていて、おおっと感嘆する。放射線状のラインが交差して、ダイナミックな躍動感を生み出している。アストンのリリースによれば、これは「フィログラフ」キルトレザーと呼ばれる。
イギリス人の表現を借りるなら、ステアリングホイールは間違ったところについている。それは左ハンドルということだけれど、ヴァンキッシュSは全車オートマチックゆえ、左ハンドルであることに特に障害はない。
センターコンソール中央部の差し入れ口に、本来はクリスタル製の長方形のキイを差し込むと、5.9リッターV12がワイルドな咆哮(ほうこう)をあげて目を覚ます。走りだしてすぐに気づくのは、乗り心地が初期型ヴァンキッシュよりもマイルドでスムーズになっていることだ。
サスペンション、ダンパー、スプリング、アンチロールバーのブッシュ類等が再調整され、「しなやかな乗り心地を犠牲にすることなく、よりスポーティーでダイレクトなサスペンションが生み出されています」とリリースにはある。筆者の記憶によれば、以前の乗り心地は、電子制御サスペンションを持つにもかかわらず全体的に硬かったから、「しなやかな乗り心地」は犠牲になってはいない、と思う。特に低速時はタイヤの存在を大きく感じさせた。そこが究極のスーパースポーツっぽくてよかったとも言えるけれど、Sでは低速時でもしなやかさを感じる。
「生きとし生けるものは
全てたおやかである
硬直したものは砕けやすく
力強いものは転げ落ちる……」
というのはブリース・リーが妻リンダに残したという孔子の言葉だそうである。最近、YouTubeで昔の『知ってるつもり?!』を見て知ったのですが、ここにいたってヴァンキッシュSはたおやかさを得たのである。ホイールは20インチ、タイヤは前255/35、リアは305/30の、ZR規格の「ピレリPゼロ」。最高出力588psにふさわしい、ホンモノのスーパーカー用タイヤである。にもかかわらず、言っておきますが、硬いことは硬いけれど、硬いなかにしなやかさを感じさせるようになった。コーナリング時には、ゆるやかにロールして路面に張り付く。
心を揺さぶるV12の美声
6リッター、正確には5935ccなので、最前5.9リッターと記したわけだけれど、自然吸気V12は新たに大型のインテークマニフォールドを採用することで吸気効率を高め、最高出力を576psから588psにアップすると同時にアクセルレスポンスをより鋭くもしている。
それと8段AT、アストンでは「タッチトロニック」と呼ぶギアボックスのキャリブレーションを調整することによって、より素早いシフトを実現している。かくして、車重1790kgのボディーを、記憶のなかの6段だった初期型よりも軽やかに走らせる。モダンテクノロジーとブリティッシュネスに基づく丁寧な手仕事の融合がこのクルマの、というか、アストンマーティンの真骨頂である。
3000rpmから上になると、V12が低音の美声でもって歌いはじめる。Sと書かれた四角い地味なスイッチがステアリングの右に、左にはダンパーのイラストが書かれたスイッチがあって、両方を押すと、乗り心地がいっそう硬くなり、エキゾーストサウンドに迫力が増す。V12の美声を聴こうと、7000rpm近くまで回してみる。12気筒だけがもつ滑らかさでもって、しかし大排気量であるがゆえにゆっくりとそれは回転を積み重ねていく。ギアがアップ/ダウンすることによって音階が変わり、心臓がドキドキしてくる。
恵比寿の秘密基地にたどり着いた時、私は任務を無事終了した解放感で、一杯やりたくなった。ドライマティーニをシェイクではなくステアで、ではなくて、もうなんでもいいっす。私にとりついていたジェームズ・ボンドは、私がヴァンキッシュSから降りた瞬間、どこかへ消えてしまった。
(文=今尾直樹/写真=池之平昌信/編集=竹下元太郎)
テスト車のデータ
アストンマーティン・ヴァンキッシュSクーペ
ボディーサイズ:全長×全幅×全高=4730×1910×1295mm
ホイールベース:2740mm
車重:1739kg
駆動方式:FR
エンジン:5.9リッターV12 DOHC 48バルブ
トランスミッション:8段AT
最高出力:588ps(433kW)/7000rpm
最大トルク:630Nm(64.2kgm)/5500rpm
タイヤ:(前)255/35ZR20 97Y/(後)305/30ZR20 103Y(ピレリPゼロ)
燃費:13.1リッター/100km(約7.6km/リッター 欧州複合モード)
価格:3457万9982円/テスト車=--円
オプション装備:--
テスト車の年式:2017年型
テスト開始時の走行距離:6655km
テスト形態:ロードインプレッション
走行状態:市街地(1)/高速道路(8)/山岳路(1)
テスト距離:287.2km
使用燃料:41.7リッター(ハイオクガソリン)
参考燃費:6.9km/リッター(満タン法)/7.4km/リッター(車載燃費計計測値)

今尾 直樹
1960年岐阜県生まれ。1983年秋、就職活動中にCG誌で、「新雑誌創刊につき編集部員募集」を知り、郵送では間に合わなかったため、締め切り日に水道橋にあった二玄社まで履歴書を持参する。筆記試験の会場は忘れたけれど、監督官のひとりが下野康史さんで、もうひとりの見知らぬひとが鈴木正文さんだった。合格通知が届いたのは11月23日勤労感謝の日。あれからはや幾年。少年老い易く学成り難し。つづく。
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