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第528回:珍品ミニカーもざっくざく!
メルカリよりも面白いイタリアの骨董市

2017.11.17 マッキナ あらモーダ! 大矢 アキオ
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あの名作イタリア映画の街で

中部トスカーナの都市アレッツォは、人口9万9000人。この街はイタリア映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の舞台となったことで知られる。

そしてもうひとつ有名なのが、毎月第1日曜日とその前日の土曜日に開催されるアンティーク市だ。

始まりは1968年。地元の骨董(こっとう)商イヴァン・ブルスキが町おこしのために催したものだった。今日では毎回約400店が軒を連ねるようになり、欧州屈指のアンティーク市となっている。

基本的に出店できるのは商業者登録をしたプロフェッショナルたちである。そうすることによって、この業界につきまとう怪しげなイメージを少しでも払拭(ふっしょく)しようという努力がうかがえる。

アレッツォのアンティーク市にて。2017年11月撮影。
アレッツォのアンティーク市にて。2017年11月撮影。拡大
アンティーク市では、懐かしい8mmフィルムカメラや映写機の専門屋台も。
アンティーク市では、懐かしい8mmフィルムカメラや映写機の専門屋台も。拡大
コダックのインスタントカメラ(中央)。1970年代中盤にポラロイドのライバルとなるべく登場したものの、ポラロイドが起こした特許権侵害裁判に破れて消滅した。
 
コダックのインスタントカメラ(中央)。1970年代中盤にポラロイドのライバルとなるべく登場したものの、ポラロイドが起こした特許権侵害裁判に破れて消滅した。
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アリタリアカラーに憧れる若者

家具あり、食器あり、そして玩具あり。

日本でも1960年代に人気があったイタリア生まれのネズミ形キャラクター「トッポ・ジージョ」の人形を見せてくれたのは、フィレンツェからやってきた骨董商人のおじさんだった。

おじさんの周りにはミニチュアカーも陳列されていた。米国車「スチュードベーカー・ホーク」などに交じって、いずれも1969年の「ピニンファリーナ512Sベルリネッタ スペチアーレ」「ベルトーネ・ラナバウト」を発見できた。512Sもラナバウトも、タイヤが取れていたり塗装がはげていたりと、コンディションとしては決して良くはない。

しかし香港資本になる前、英国で製造されていた時代のマッチボックスである。実車とほぼ同時期に作られ、当時の興奮が封じ込められているかと思うと、その小さなサイズに似合わぬオーラを感じてしまう。

ミニチュアカーといえば、もう少し身近な時代のものを扱っている青年もいた。同じトスカーナ州のシエナ県からやってきた25歳のシモーネ君である。

海のように広がるさまざまな商品は、すべて5ユーロ均一だ。個人的に一番のお気に入りは? と聞くと、彼は「フィアット・リトモ」のラリー仕様をつまみ上げた。アリタリアカラーに塗られたモンテカルロラリー仕様である。シモーネ君が生まれたのは25年前。リトモの生産終了(1988年)より後だ。彼にとっては、十分にヒストリックカーである。イタリア車が最も輝いていた時代のクルマは、プロさえ魅了するようだ。

決してアンティーク市に合わせているわけではないが、アレッツォの街中では、古いクルマたちがさりげなくたたずんでいる場面が少なくない。この「フィアット126」は、イタリアで生産終了した後もポーランドで生産されていたモデル。
決してアンティーク市に合わせているわけではないが、アレッツォの街中では、古いクルマたちがさりげなくたたずんでいる場面が少なくない。この「フィアット126」は、イタリアで生産終了した後もポーランドで生産されていたモデル。拡大
フィレンツェから来た業者のおじさん。手にしているのは、懐かしいトッポ・ジージョである。
フィレンツェから来た業者のおじさん。手にしているのは、懐かしいトッポ・ジージョである。拡大
英国マッチボックスによる「ピニンファリーナ512Sベルリネッタ スペチアーレ」(写真左)と、「ベルトーネ・ラナバウト」(同右)。
英国マッチボックスによる「ピニンファリーナ512Sベルリネッタ スペチアーレ」(写真左)と、「ベルトーネ・ラナバウト」(同右)。拡大
「フィアット・リトモ」のモンテカルロラリー仕様。
「フィアット・リトモ」のモンテカルロラリー仕様。拡大
中古ミニカー商のシモーネ君。
中古ミニカー商のシモーネ君。拡大

まるで映画のような世界

プーリア州からやってきて、イベントの中心であるグランデ広場に店を広げていたナザリオさんは、1968年生まれだ。彼のブースに緑色の自転車があった。1950年代のもので、レザー製バッグが荷台脇に付いている。ナザリオさんは「“床屋の自転車”だよ」という。

「その昔、移動理髪師っていうのがいたんだ。バッグにハサミやバリカンを入れては人々の家をまわって、客の自宅で散髪してたんだ」

まるで映画のような世界である。ちなみに、この自転車の価格は1200ユーロ(約15万8000円)だ。

広場の回廊にいたジュリアーノ&エミリア夫妻は地元アレッツォ在住で、1976年から40年以上屋台を開いているという。彼らの屋台には「FIAT」のロゴが刻印されたスパナがあった。夫妻が得意とするのは鉄製品なのである。

「この仕事の楽しみ? 毎週末、丹念にさびをとっていくことだよ」とジュリアーノさんは語る。

南部プーリアからやってきた骨董商ナザリオさん。写真の自転車は、その昔、理髪師が出張サービスに使用していたもの。
南部プーリアからやってきた骨董商ナザリオさん。写真の自転車は、その昔、理髪師が出張サービスに使用していたもの。拡大
アレッツォ旧市街の中心であるグランデ広場。左に見えるモーターサイクルは「ジレッラ125トウリズモ」(1949年)で、価格は2000ユーロ。
アレッツォ旧市街の中心であるグランデ広場。左に見えるモーターサイクルは「ジレッラ125トウリズモ」(1949年)で、価格は2000ユーロ。拡大
アレッツォに住む、この道30年のジュリアーノ&エミリア夫妻。
アレッツォに住む、この道30年のジュリアーノ&エミリア夫妻。拡大

修復ではセンスが問われる

「でもピカピカ、ツルツルにしちゃダメだ。風合いが残る程度で、やめておくんだ」

それを聞いていて思い出したのは、クルマのレストアだ。アメリカでは長年、ヒストリックカーを新車以上に美しくきらびやかに修復してしまう傾向がある。

しかしヨーロッパの識者の間では、そうしたものは「キャラメリゼー(キャラメルのような質感)」と呼ばれ、評価は高くない。かといって、昨今欧州のコンクールで流行の兆しがある未再生状態も、決して本流ではない。

修復作業における微妙な頃合いは、まさに古い自動車を直すときと似たセンスが必要とみた。

さまざまな人に出会うと、意外なうんちくが得られる。

「メルカリ」に代表されるフリマアプリがはやりを見せる昨今であるが、昔ながらのメルカート(市場)は、まだまだ魅力を放ち続ける。

(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=関 顕也)

ジュリアーノ&エミリア夫妻が扱っていた、推定1920年代のフィアットの車載スパナ。
ジュリアーノ&エミリア夫妻が扱っていた、推定1920年代のフィアットの車載スパナ。拡大
骨董市で出会った、HOゲージ鉄道模型セット。箱には欧州各国における国有鉄道のロゴが。
骨董市で出会った、HOゲージ鉄道模型セット。箱には欧州各国における国有鉄道のロゴが。拡大
第2次大戦中、アフリカ戦線のイタリア軍用に造られた「フィアット508CMコロニアーレ」のミニチュアカー。
第2次大戦中、アフリカ戦線のイタリア軍用に造られた「フィアット508CMコロニアーレ」のミニチュアカー。拡大
広場で家具とレストランの間に挟まれるようにたたずんでいた初代「フィアット・パンダ」。
広場で家具とレストランの間に挟まれるようにたたずんでいた初代「フィアット・パンダ」。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。

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