第164回:運転注意! 木陰から少女があなたを狙っている……
『RAW~少女のめざめ~』
2018.02.01
読んでますカー、観てますカー
田舎道でサーブが並木に激突
眺望の開けた野原の中を、まっすぐな道が通っている。空は高く、並木が色づき始めているから、季節は秋に向かっているらしい。ヨーロッパでドライブする時、一番気持ちのいいシチュエーションだろう。目をつり上げてアウトバーンを飛ばすばかりでは味気ない。のんびり田舎道を走って風景を眺めながら走るのは無上の楽しみだ。
1台のクルマが走ってきた。「サーブ9-3」である。ちょっとスピードを出し過ぎのように見えるが、対向車もいないし危険はなさそうだ。平和なドライブが続くかに思えたが、木陰から不意に少女が飛び出した。回避動作は間に合わず、サーブは並木に激突してしまう。無残に変形したボンネットからは水蒸気が上がっている。運転席の人影は動く様子がない。少女は驚いたそぶりも見せず、平然とドアを開ける。どうやら、彼女は故意に事故を引き起こそうとしたらしい……。
『RAW~少女のめざめ~』は、日頃クルマを運転する者にとって恐怖でしかないシーンから始まる。自動ブレーキが付いていたとしても避けようのない状況だ。彼女がドライバーを死亡させる意図を持って行動していたとしたら、そしてその死体こそが欲望の対象だったとしたら……。いや、先走るのはやめよう。
タイトルが表示されると、一転して親子3人の食事シーンになる。皿の上にあるのはマッシュポテトだけ。貧乏だから肉や魚を注文できないのではない。マッシュポテトの中にミートボールが混入しているのを見つけると、母親がマジギレして店員を怒鳴りつける。彼らは厳格なベジタリアンなのだ。
16歳のジュスティーヌ(ギャランス・マリリエ)は、生まれてからずっと野菜だけを食べ続けてきた。恋愛経験ゼロで、世間知らずである。学校の成績は優秀らしく、獣医科大学に進むことになっている。姉のアレックス(エラ・ルンプフ)が一足先に入学していて、これから彼女も親元を離れて寮生活に入るのだ。
獣医科大学の野蛮な風習
ベジタリアンが獣医科大学に入る。環境は激変するに違いない。無垢(むく)な少女が大人に変わっていく過程を表現するための設定で、ありがちな性のメタファーなのだろうか。そう見くびっていたら、手痛いカウンターパンチを食らった。監督はこれが長編デビュー作となるジュリア・デュクルノー。カッコいい系の美女である。女性監督は、時に男が想像もしなかったものを不意打ちで見せる。浅はかな思い込みは、鮮やかに蹴散らされることになる。
寮に入ったジュスティーヌは、初日から災厄に見舞われた。入室すると、そこにいたルームメイトはアドリアン(ラバ・ナイト・ウフェラ)という男。「俺はゲイだから問題ないよ!」と言われるが、そういう問題ではないだろう。諦めのいいタチなのか、彼女はおとなしく荷物を運び込んで居住空間を整える。疲れ果てて眠っていると、深夜になって時ならぬ叫び声に起こされた。
騒いでいたのは上級生たちだ。ドアを蹴破って侵入し、衣服やベッドを窓から外へ投げ捨てる。新入生たちは着の身着のままで部屋から追い出され、四つんばいで地下まで歩かされた。号令が響き渡り、ワイルドなダンスパーティーが始まる。新入生を“歓迎”する儀式なのだ。強烈な洗礼を受けることで、彼らは大学のコミュニティーに加わることが許される。
こういった通過儀礼は、日本では体育会系の部活動で問題になることが多い。先輩からいじめを受けた下級生は、自分が上級生になるとまた同じことを繰り返す。獣医科大学というのは、かくも野蛮な風習が常態化しているのだろうか。ルームメイトの件といい、大学当局の運営能力には疑問を抱かざるを得ない。この春に愛媛県に新設される獣医学部の関係者は、この映画を観て学問の道の厳しさを思い知ってほしいものである。
ベジタリアンから肉食女子に
翌日になっても、上級生の粗暴な行動は収まらなかった。下品な歌を口ずさみながら行進してきた彼らは、先輩の言葉は絶対であると通告する。神妙な顔で聞いていた新入生の頭上から、真っ赤な液体が降ってきた。動物の血なのだろう。ヌルヌルした血液にまみれた彼らに、さらなる試練が与えられる。ウサギの腎臓を生のまま食べることを命じられたのだ。ベジタリアンだからという言い訳は通用しない。ジュスティーヌは、生まれて初めて肉を食べてしまった。
しばらくして、彼女の身体に異変が現れる。全身に湿疹が広がり、痒(かゆ)くて夜中にかきむしってしまう。皮膚には血がにじみ、やがて醜いかさぶたとなった。デュクルノー監督は、気味の悪い傷口を生々しく映し出す。ジュスティーヌの不快感を、観客も共有するよう仕向けるのだ。容赦ない描写を見続けるのは苦痛だが、目を背けることはできない。映画を観て、なぜこんな気分にならなければならないのだろう。
獣医科だから、グロテスクな小道具はそろっている。動物のホルマリン漬けを念入りに映し出すのはほとんど嫌がらせだ。動物用ルームランナーで走る馬の見せ方も、過剰に不穏さを強調している。実に不愉快なのだが、映画にとっては必要な描写なのだ。吐き気のするような視覚体験によって、ジュスティーヌの生理的嫌悪が伝わってくる。
彼女はもはや自分自身の変化を抑えることができない。一度食べてしまった肉の味を忘れられないのだ。学食で並んでいた時、無意識にハンバーグを盗んでしまう。それを見ていたアドリアンは、彼女を連れ出してケバブを食べさせる。それでも飽き足らず、夜中に起きだしたジュスティーヌは冷蔵庫にあった生の鶏肉をむさぼり食うのだ。
ブラジリアンワックスの恐怖
姉のアレックスはとっくにベジタリアンをやめていた。垢(あか)抜けない妹を心配し、女性としてのたしなみを教えようとする。新入生はセクシーな衣装を着ることを義務付けられていて、拒否すると紙オムツをはかされるのだ。妹をベッドに寝かせて、股間にブラジリアンワックスを塗った。親切で行ったことが、史上最も恐ろしいムダ毛処理になるとは姉妹ともに想像すらしなかっただろう。
この時起きた“事故”が原因で、ジュスティーヌの肉食傾向は過激化する。肉の種類を選ぶようになったのだ。一番食べてはいけない肉を欲する身体になってしまった。アドリアンが半裸でサッカーをしているのを見る時、彼女はその“肉体”にばかり注目している。
同じテーマを扱った映画は、これまでにもたくさん作られている。『羊たちの沈黙』のレクター博士を思い出すかもしれない。ただ、彼はかなり特殊な人物である。『生きてこそ』や『野火』は、そうせざるを得ない過酷な状況に置かれた人々の話だ。『ソイレント・グリーン』は知らずに食べさせられただけ。最近では『グリーン・インフェルノ』や『東京喰種 トーキョーグール』があるが、どちらも笑いながら騒いで観るタイプの作品である。『RAW~少女のめざめ~』の鮮烈な恐怖は、これまでになかったリアルさなのだ。
ヴィーガンと呼ばれる厳格なベジタリアンは、乳製品すら拒絶するそうだ。生き物を大切にしようという姿勢は尊ばれるべきだろう。ただ、ヴィーガンで最も先鋭的な人々の中には、アンチナタリズムを唱えるグループもある。日本語では反出生主義と訳されていて、要するに出産は悪だという思想なのだ。人間さえいなければ地球は平和だと考えている。気持ちはわからないでもないが、そこまで突き詰めなくてもいいんじゃないかとも思う。
肉ばかりをもてはやす最近のグルメ記事にも閉口する。肉も野菜もおいしいではないか。すき焼きを食べる時は、「肉・野菜・焼き豆腐・野菜・肉・しらたき」のローテーションが望ましい。映画の内容があまりにもショッキングだったので、気持ちを落ちつけるためにぬるい話で締めることをお許しください。あー、ほんとに怖かった……。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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