第546回:ジウジアーロが語る「ショーカーを会場まで運転していった、あのころ」
2018.03.23 マッキナ あらモーダ!出世作を手に入れた巨匠
イタリアのカーデザイン界の巨匠ジョルジェット・ジウジアーロ氏とその長男ファブリツィオ氏が率いる「GFGスタイル」が、2018年のジュネーブモーターショーに作品を出展したことは前回記したとおりである。
今回彼らが発表した新作はラグジュアリーEV「Sibylla(シビラ)」だったのだが、ブースにはもう1台、懐かしのモデルが展示されていた。
その名は1963年「テスチュード」である。正しくは「ベルトーネ・シボレー・コーヴェア テスチュード」という。名前のとおり、GMシボレーのリアエンジン車「コーヴェア」をベースにしたものであった。
今回は、それにまつわるお話をしよう。
テスチュードは、当時若干24歳でベルトーネのチーフデザイナーを務めていたジウジアーロ氏が手がけ、1963年のジュネーブモーターショーで公開された。ジウジアーロ氏にとっては、ベルトーネから初めてプロジェクトのすべてを任されたクルマであった。
その後テスチュードは長年、トリノ郊外グルリアスコのベルトーネ本社ミュージアムに収蔵されていた。
しかし2008年から始まったベルトーネの経営危機に伴い、債権者によってほかのコンセプトカー5台とともにRMオークションズ社に預けられた。そして2011年5月、コモ湖畔ヴィラ・エルバで開催されたセールに掛けられた。
そのときテスチュードを36万6000ユーロで落札したのは、誰あろう、当時イタルデザイン・ジウジアーロ社の会長だったジウジアーロ氏であった。
かくして“生みの親”のもとに返ってきたテスチュードは、2015年に彼が新たに立ち上げたGFGスタイル社のショールームにおさめられた。
コンセプトカーを運転して峠越え
今年80歳を迎えるジウジアーロ氏のマイルストーンとしてジュネーブショー2018に展示されたテスチュードには、ちょっとしたエピソードがある。
「ベルトーネの2代目社主ヌッチオ・ベルトーネとジウジアーロはテスチュードを運転し、雪のアルプスを越えてジュネーブの会場に乗りつけた」というものである。
1990年代、東京で自動車誌の編集記者だったボクは、外国の文献でそれを知った。
調べてみると、トリノからフランスを経由してスイス・ジュネーブに至る、最も快適かつ効率的な陸路であるモンブラントンネルは1965年の開通だ。テスチュード完成の年である1963年には、まだ通れない。そこで当時のボクは、「アルプス越え」すなわち「険しい峠越え」をしたのだと思い込んだ。
そして「雪のアルプス」という記述から、横殴りの雪が降りしきるなか、全高1mちょっとのテスチュードがヘッドライトを照らしながら、ワインディングロードを抜けていく姿を思い浮かべた。ついでにいえばBGMは、松任谷由実のBLIZZARDだった。
ところがイタリアに住み始めてから、ジウジアーロ氏にその話を聞くと、事実は異なっていた。
彼とヌッチオは、イタリア~フランスの国境越えに、モンブラン回りではなく、もっと西のフレジュス峠に向かって走っていったというのだ。今日のモンブラントンネル回り(約260km)よりやや長い約280kmのルートである。ジウジアーロ氏によれば、テスチュードの後方には、スタッフが乗った「フィアット600」が追従していたという。
当時フレジュス峠に自動車用トンネルはなかった代わりに、クルマを貨車に載せてフランス側に運ぶカートレインが運行されていた。「そこで、テスチュードをカートレインに載せて、トンネルを越えたんだ」と、ジウジアーロ氏は振り返る。
フランス側に到着して貨車から下ろすと、再びテスチュードでジュネーブに向かったというのだ。モンブラン越えではなかったのか。ボクは心の中で、テスチュードのヘッドランプとBLIZZARDを消した。
スリップしながらジュネーブ到着
今回のジュネーブショーではテスチュードの実車を前に、ジウジアーロ氏からその陸送に関して、さらなる思い出話を聞くことができた。
彼によると、1963年にベルトーネは、テスチュードのほかにもう1台、アルファ・ロメオをベースにしたショーカーをジュネーブに出品することになった。
「ラジオニエーレ(筆者注:生前ヌッチオ・ベルトーネは、その保有資格から社内でragioniere<会計士>と呼ばれていた)はテスチュードに乗り、私はアルファ・ロメオに乗ってついていった」
ともにフレジュス峠越えは、例のカートレインを使った。
トンネルを越えた直後のフランス側からジュネーブに向かう道は、かなりの雪だったという。ボクの頭の中では、再びBLIZZARDが流れ始めた。
ジウジアーロ氏は「見てわかる通り、テスチュードは空力的なスタイルをしているので、雪がウィンドウにまったく付着しない。代わりに、後続する私のアルファ・ロメオのウィンドウに、雪が飛んでくること飛んでくること!」と、派手な身ぶりとともに語る。
「そのうえ周囲の人々は、皆テスチュードに注目してしまい、私の乗るアルファ・ロメオには目を向けなかったんだ。ハハハ」と笑った。
ジュネーブも大雪だったため「タイヤをスリップさせながら到着した」という。
そして、当時ベルトーネのボディー製作技師長で、後年ジウジアーロ氏が設立した会社に移籍するエツィオ・チンゴラーニ氏とともに準備を整え、現在のショー会場であるパレクスポが完成する以前の旧会場に乗り込んだ。
カロッツェリアの心意気
今日、ジュネーブにコンセプトカーを運転して搬入するなどということは到底考えられない。
日本の道路運送車両法にあたる法律がイタリア、フランスそしてスイス各国に存在していて、コンセプトカーが一般道を走るためのハードルは決して低くない。
それ以前に、ときにはコラボレーターも巻き込んで、円換算で億単位の開発・製作資金を投じたコンセプトカーに何かあっては一大事である。
例えば今年2018年のGFGスタイルによるコンセプトカー「Sibylla」は、中国のクリーンエネルギー企業・エンビジョンとの協業である。パーツ供給や技術協力したサプライヤーの顔もつぶすことになる。
モーターショーでは2000年代に入って実走可能なランニングコンセプトカーが数多く試みられたが、ここ1、2年は再び大手メーカーでもモックアップで済ませるようになってきた。それは今回のジュネーブでも同様だった。いわゆるCASE化を目前に、研究開発投資の軸足をコンセプトカーからCASEのエンジニアリングに集中しているためだ。
当時ヌッチオ・ベルトーネ自身が、どのような判断で陸送を決断したかは、彼が天界の人となってしまった以上わからない。しかし、自社が手がけたクルマが、たとえコンセプトカーとはいえ、完全に実走可能な技術と品質を持つことを証明したのは事実だ。
ジャンルは変わるが、毎年2回フィレンツェで開催される世界屈指の紳士モード見本市「ピッティ・イマージネ・ウオモ」では、ブースを持たずとも、自ら仕立てた作品をまとって現れ、フラッシュを浴びるサルト(仕立て師)が少なくない。
有名ブランドのマネキンが、背中をピンでまとめて無理やり細身にしているのと明らかに違う説得力がある。同時に、サルト自身もシェイプアップを欠かさず、フォトジェニックでいなければ、さまにならない。
もちろん1963年のベルトーネはブースを持っていた。しかし、ピッティにふらりと訪れるサルトに例えれば、スーツはテスチュードであり、着こなしはレースに打って出たこともあるヌッチオのドライビングテクニックである。
ジウジアーロ氏が話してくれたテスチュードの逸話は、往年のカロッツェリア・イタリアーナの心意気をひしひしと感じさせるのである。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA> 写真=Akio Lorenzo OYA、Bertone、RM Auctions/編集=関 顕也)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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