第556回:トゥトゥトゥトゥ~♪
日産の懐かしCMソングのルーツを探る
2018.06.01
マッキナ あらモーダ!
記憶に残るあのメロディー
読者の皆さんは絶景の中をドライブしているとき、どんな歌を思いだし、口ずさんでいるだろうか。
筆者の場合、気がつくと歌っているのは、かつて日産グループのテレビCMで盛んに流れていた音楽だ。女性グループのスキャットで「トゥトゥトゥトゥ、トゥトゥトゥトゥトゥートゥ~」というものである。
北米と思われる、広大な風景の中、直線路をひたすら走っている映像に「日産車体、愛知機械、厚木自動車部品・・・」といった日産グループの社名がスーパーインポーズされる。日立グループの「この木なんの木」の日産版といってもよい。
もしかしたら、撮影した人は炎天下で大変だったのかもしれない。だが、見る者にとっては映像とスキャットのマッチングが心地よかった。そのため、この映像とはまったくかけ離れた風景でも、美しい景色の中を走っていると、つい口ずさんでしまうのだ。
そのCMソングは、日産グループの提供番組だけでなく、70年代末から80年代にかけて日産のさまざまな企業PR用CMに使われていた。例えば「日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞」といった告知のときにも流れた。それ以前に、海外ラリーで優勝したときは、スキャットでない別アレンジが挿入されていた。
AMラジオでは、当時日産のイメージキャラクターであったタレント、ロイ・ジェームスのナレーション ――ボクなどは中学生のとき、「ロイの日産インフォメーション!」などと、休み時間に教室でその声色をまねてふざけていたものだ―― にかぶせるかたちで、BGMとして使われていた。
それはともかく後年、多磨霊園でロイの墓を偶然発見したときは、神聖な場所にもかかわらず、思わず日産のCMソングを口ずさんでしまった。
例のスキャット+直線路映像はその後、オルゴール風アレンジ+メリーゴーラウンドの映像に変わった。いったいあの曲はなんというタイトルだったのだろうか。
その名は『世界の恋人』
インターネットで検索してみると、『世界の恋人』というタイトルであることが判明した。
ボクが知らない時代の旧バージョンには「山並み遠く晴れて あなたを呼んでいる」で始まり、「日産 その名はいま 世界の恋人」と結ぶ歌詞も付いていることがわかった。
そこで2018年4月、東京に立ち寄った機会に、図書館で日産自動車の社史をひもといてみた。
まずは1965年発行の『日産自動車三十年史』から。さらに、その後に発刊された『日産自動車社史1964-73』、1983年発行の『21世紀への道-日産自動車50年史』も調べてみる。1934年の創立時における従業員数は500人。しかし、4年後の1938年には一気に3800人にまで増えている。今日でいうベンチャー企業の勢いだ。
ところが肝心の世界の恋人については、どこにも記録されていない。前身である戸畑鋳物時代に始まり、国内・海外の膨大な史実を網羅するなかで、CMソングに紙幅を割く余裕などなかったものと思われる。年表には、「昭和35年(1960年) 牛乳を毎日1本全従業員に無償配布実施」などという、愉快な話題がひっそりと記されているだけに、惜しい。
作曲は芥川也寸志
ここはひとつ、横浜にある日産自動車広報部の手を煩わせることにした。筆者の仕事とはいえ、新型車の販売に直結しない、こうした歴史的な話題を自動車メーカーに照会するのは、いつも恐れ入る。にもかかわらず丁寧に対応してくれたところに、日産の懐の深さを感じた。
同社によると世界の恋人は1963年、2代目「ダットサン・ブルーバード」(410型、モデルイヤーでは1964年)発売に合わせて誕生した。
作詞は児童書の著作や翻訳を多く手がけた野上 彰、作曲は芥川龍之介の子息で『赤穂浪士のテーマ』などで知られた芥川也寸志という豪華コンビである。例の初期バージョンは、男声コーラスグループ、ボニー・ジャックスによって録音されたものだ。
後日、筆者の記憶に一番残っている、スキャットに関する記述も見つけた。かまち潤著『TVコマーシャルと洋楽コマソンの40年史 1970-2009年』(2010年 清流出版刊)によると、歌ったのはシンガーズ・スリーで1977年と記されている。たしかに、ボクの記憶にあるCMが流れ始めた時代と一致している。
日産グローバル本社で面会した1990年代初頭入社の広報スタッフによると、当時社内に存在した硬式野球部においては、世界の恋人が応援歌として盛んに球場でマーチングバンド演奏されていた。
ところが、面会の席上でのことである。この日のためにわざわざ出向いてくれた日産OBが、ある重要なことを教えてくれた。
日産は一流アーティストがお好き?
OB氏は「世界の恋人は社歌ではありません」と言う。これだけブランドを代表するメロディー、かつ錚々(そうそう)たる顔ぶれによる作品でありながら、実は社歌ではなかったのだ。
氏によると、社歌は「ああ、日産のこの誇り、国産の王者 日産」という歌詞という。
社史によると、この社歌は詩人・大木惇夫の作詞、歌謡曲『隣組』で有名な飯田信夫の作曲によるもので、1953年に制定された。誕生の背景が興味深い。第2次大戦後における日産の労使紛争は日本労働史上に残る対立であるが、そうした感情をやわらげるため、社歌をつくることにしたという。
OB氏は回想する。「創立記念日には、この社歌を斉唱したものです。当時は紅白まんじゅうも配られました」
さらに調べてみると、日産にはそれ以前にもうひとつ社歌があったことがわかる。1938年に定められたものだ。
「弓張りて、アジアをまもる大八洲」で始まり、「科学の牙城 おおわれらのニッサン」と締める、戦前ムードを漂わせるものだ。こちらの作曲は『蒲田行進曲』で知られる堀内敬三だ。対して歌詞は社内公募で選ばれた千々松清という、主計課勤務の社員によるものであった。
さらに、販社である日産自動車販売の社史にも、第2次大戦中の1940年に制定された独自の社歌が掲載されているではないか。こちらは「東亜の盟主日本の」で始まる。
加えて、その名もずばり『ダットサン』という童謡も存在していたことがわかる。「おぢさん小児科、子ども好き 自転車売ってダットサン買った」という歌詞だ。初期のダットサンは、医師の往診に重宝がられたという逸話と合致する。こちらはなんと作詞が北原白秋、作曲は『シャボン玉』『てるてる坊主』で知られる中山晋平である。
日産系の歌のアーティストは、一流ぞろいであるのが面白い。
社歌でなかったからこそ
最後に、今回の本題である世界の恋人に話を戻そう。
先ほどの日産訪問のときに同席していた90年代初頭入社の広報スタッフは、例のOBの「社歌ではない」という発言に際し、「私は世界の恋人が社歌だと信じていました」と思わず口にした。
本来の社歌が歌われなくなり、また正式に廃止されていないこともあるのだろう。世界の恋人を今も社歌と信じている日産社員は、少なくないと思われる。
やや飛躍するが、それはイタリア国歌を取り巻く環境と似ていて面白い。
今日のイタリア国歌は、F1でフェラーリが優勝した際に演奏される“マメリの賛歌”といわれるものだ。しかし、2012年に正式な国歌として制定手続きが開始されるまでは、ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『ナブッコ』の中で歌われる『行け、わが思いよ、黄金の翼に乗って』が ――複雑な政治的絡みはあるものの―― 地域によってはマメリの賛歌と同等、もしくはそれ以上に国歌扱いされてきた。そして今も、戦意高揚を想起させる国歌よりも、より平和的な「行け、わが思いよ」のほうが国歌にふさわしいとするイタリア人は少なくない。
世界の恋人は、社歌という対外的に閉ざされたものでなく、かつ強制される歌い方がなされなかったからこそ、一般人・社員双方に親しまれてきたといえる。日本のCM史に残る独特の作品であることは間違いない。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、日産自動車/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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