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第561回:ブランド撤退からはや5年……
イタリアにおけるダイハツ車の“いま”

2018.07.06 マッキナ あらモーダ! 大矢 アキオ
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イタリア人が見たミラ トコット

日本では2018年6月25日に、ダイハツの新型車「ミラ トコット」が発売された。いっぽうヨーロッパでは、ダイハツは2013年1月末で新車販売を終了している。2018年6月末で、はや5年5カ月も過ぎたことになる。

ミラ トコットを話のタネに、かつてダイハツ車を取り扱っていたシエナの地元自動車ディーラー、ユーロモータースに顔を出してみた。現在はトヨタの販売店である。所長のジャン・カルロさんにミラ トコットの写真を見せると、早速関心をもって観察し始めた。

ボクが印象を聞くと、「ヨーロッパ人向けというよりも、やはり日本市場で歓迎されそうなクルマですね」と彼は語る。理由を尋ねると、「スクエア基調のデザインですよね。イタリアでは今も、ボディーのコーナーを湾曲させたクルマが主流ですから」と、目の前にあった「トヨタ・ヤリス(日本名ヴィッツ)」の形を手でなぞりながら語った。

ボクの目からすると、ミラ トコットからは過去のダイハツ製市販車にたびたび見られた「どこかで見たデザイン」的要素がほとんどなく、高いオリジナリティーを感じる。独自のマス(塊)感は、軽としては太めのA・B・C各ピラーと相まって、セリングポイントである安全運転サポートデバイスの存在を見る者に予感させる。

しかしながら、その“マス感”がヨーロッパ的感性とは異なる。カテゴリー違いであることを承知で記せば、ミラ トコットのそれは、「フォルクスワーゲンup!」にみられる、獲物を狙うかのような躍動感とは異なるのである。

こればかりは正解がないので、これ以上記すと不毛な議論になってしまう。言えるのは、ヨーロッパの人々の感性は、ミラ トコットとは別の次元にあるということだ。

「ダイハツ・ミラ トコット」
「ダイハツ・ミラ トコット」拡大
パリ・オペラ座前で、「ダイハツ・トレヴィス(日本名:ミラ ジーノ)」。2018年2月撮影。
パリ・オペラ座前で、「ダイハツ・トレヴィス(日本名:ミラ ジーノ)」。2018年2月撮影。拡大
2011年のジュネーブショーにて。同ショーへのダイハツの出展は、これが最後となった。
2011年のジュネーブショーにて。同ショーへのダイハツの出展は、これが最後となった。拡大

互換パーツは多いが、ボディーが鬼門

ところで、イタリアにおけるダイハツのアフターサービスは、どうなっているのか? 2011年にメーカーが欧州販売終了を発表したときには、「アフターサービスは継続する」とのことだった。実際にジャン・カルロさんのディーラーではどうか?

「もちろん車検も含め、整備は受け付けていますよ」と言う。
「フィルター類など頻繁に交換するパーツは、トヨタ車用パーツと互換部品が少なくないので対応できるのです。ただし……」
彼は続ける。「ボディー用のパーツは、ものによって品薄になりつつあるのも確かです」

参考までに後日、フィレンツェの元ダイハツ販売店に聞いても、「カロッツェリア(ボディー)は、過去のように迅速には手配できないのが現状です」と同じ答えが返ってきた。

ではボディーパーツはどうすればいいのか。ジャン・カルロさんの店のサービス部門に足を向けてみると、スタッフが追加情報を教えてくれた。「ランドローバーの販売店に行ってみてください」

なぜダイハツのパーツがランドローバーに? 一瞬驚いたが、よく話を聞くと理由がわかった。ボクが住むシエナのジャガー/ランドローバーの販売店は、80km離れた街に本社があって、同地でダイハツも扱っていたのだ。

こうした昔の販売店ネットワークを通じて、今もダイハツのお客さんに便宜を図っているというわけである。

念のため、そのジャガー/ランドローバー販売店に赴いてサービス工場で聞くと、そこにいたスタッフはボクをダイハツの客と思ったか、本社におけるパーツ係の電話番号を紙に書いてくれた。

「ダイハツ・コペン」。以下、2018年7月ドイツ・ザールブリュッケンにて。
「ダイハツ・コペン」。以下、2018年7月ドイツ・ザールブリュッケンにて。拡大
「ダイハツ・テリオス」
「ダイハツ・テリオス」拡大
城の近くに佇んでいた「ダイハツ・クオーレ」。
城の近くに佇んでいた「ダイハツ・クオーレ」。拡大
こちらも「クオーレ」。
こちらも「クオーレ」。拡大
楽器を練習する音が聴こえる劇場横で。「ダイハツ・ムーヴ」。
楽器を練習する音が聴こえる劇場横で。「ダイハツ・ムーヴ」。拡大
こちらも「ダイハツ・ムーヴ」。
こちらも「ダイハツ・ムーヴ」。拡大

ブランド消えても愛着は消えず

元ダイハツディーラーの所長、ジャン・カルロさんに話を戻せば、「ダイハツのヨーロッパ復帰予定は?」とボクに聞く。そうした情報は目下聞いていないと答えると、彼は残念そうな顔をみせた。聞けば彼の販売店では、最盛期にダイハツ車を年間120台売っていたという。

「特に『テリオス』は受けましたね。そのコンパクトさと走破性の高さが人気の秘密でした」と振り返る。確かに当時の欧州では、ライバルが見当たらないタイプのクルマであった。

いま、ジャン・カルロさんのディーラーでは、トヨタのほかに、2015年から隣の建物で販売を始めた、フォルクスワーゲンの1ブランドであるシュコダ、2017年から開始したフォルクスワーゲンも扱う。

前述のランドローバー販売店では、ブランドのCI戦略に従って、よりモダンなショールームにすべく大改装の真っ最中だった。

イタリアでダイハツは、多くの販売店において経営の基礎固めの一助となったブランドであることは間違いない。

最後の写真は、ある元ダイハツ販売店のサービス工場の片隅に置かれていた社用の3輪トラック「アペTM」である。フロントウィンドウ下には、なんとダイハツのバッジが貼り付けられていた。

製造元であるピアッジオはこれまでの歩みの中で、「ハイゼット」のイタリア版を手がけるなどダイハツと縁があったからミスマッチではない。従業員は、そこまで考えずにジョークとして貼ったのだろうが、ブランドへの親しみなくして、この行為はあり得ない。

ちなみに、イタリアにはテリオスや「コペン」のオーナーズクラブがあって、ウェブ上ではパーツや整備に関する情報交換が活発に行われている。

ブランド消えても愛着は消えず。販売終了から5年後の、イタリアにおけるダイハツの印象である。

(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、ダイハツ工業/編集=藤沢 勝)

シエナのユーロモータースでは、トヨタのショールームにダイハツのコーナーが併設されていた。2007年撮影。
シエナのユーロモータースでは、トヨタのショールームにダイハツのコーナーが併設されていた。2007年撮影。拡大
ユーロモータースには、今もダイハツ販売店時代のカーペットが残る。
ユーロモータースには、今もダイハツ販売店時代のカーペットが残る。拡大
こちらはフィレンツェの元ダイハツ販売店、ムニャイーニ・アウト。現在はスバルとマツダの販売店だが、ダイハツのツール用ラックが残されていた。
こちらはフィレンツェの元ダイハツ販売店、ムニャイーニ・アウト。現在はスバルとマツダの販売店だが、ダイハツのツール用ラックが残されていた。拡大
ある元ダイハツディーラーに残されていたオフィシャルグッズ。退色はさておき、手前の携帯電話ケースが時代を感じさせる。
ある元ダイハツディーラーに残されていたオフィシャルグッズ。退色はさておき、手前の携帯電話ケースが時代を感じさせる。拡大
元ダイハツのサービス工場にたたずむ「ピアッジオ・アペTM」。
元ダイハツのサービス工場にたたずむ「ピアッジオ・アペTM」。拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。

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