第175回:極寒の雪原では都会派高級SUVが立ちすくむ
『ウインド・リバー』
2018.07.27
読んでますカー、観てますカー
日本人の知らないアメリカを描く
日本人にとって、アメリカは特別な存在である。アメリカから来た黒船が明治の世をもたらし、大正に入るとハリウッド映画が大衆的人気を得た。第2次世界大戦では敵になったが、敗戦を迎えると圧倒的に豊かなアメリカ人の生活に人々は憧れるようになる。進駐軍が去っても日米同盟の強固な関係は保持され、経済の結びつきも発展していった。ファッションや食をはじめとする文化面でも、日本はアメリカの強い影響下にあり続けた。
だから、今も日本人はアメリカのことをよく知っている。どんなスポーツが好きで、どんな音楽が流行しているかがわかるし、地名や人名にも詳しい。お隣の韓国や中国以上に近しい存在である。しかし、日本人がイメージするのはニューヨークやロサンゼルスなどの都会だ。田舎町に行くと人も風景もまったく別物で、何も理解していなかったことを思い知らされる。
『ウインド・リバー』が描くのは、さらに想像を絶する状況に置かれている土地だ。いわゆるインディアン居留地、先住民のネイティブアメリカンが暮らす地域である。ウインド・リバー居留地はアメリカ中西部のワイオミング州に位置する。三方を険しい山脈に囲まれた盆地にあり、自然環境は過酷だ。冬は雪に閉ざされ、気温はマイナス30度まで下がる。
映画は、ネイティブアメリカンの少女が雪原の中で死亡していた事件を描く。フィクションではあるが、事実からインスパイアされた物語だ。この地域では、実際に少女への性犯罪や暴行、そして殺人事件が後を絶たないという現実がある。
主演は『アベンジャーズ』コンビ
野生生物局でハンターを務めるコリー・ランバートが、牛を襲ったピューマを探して山岳地帯を調査していた。街から数km離れた場所で、血を吐いて倒れていた少女を発見する。極寒の中、普通ならば歩いて到達することはできない場所だ。事故ではなく、何らかの事件である可能性が高い。
コリーを演じるのは、ジェレミー・レナー。『アベンジャーズ』シリーズでは弓の名手ホークアイとして悪と戦っていた。この映画では冷静沈着な銃の名手である。彼は発見した少女が友人のネイティブアメリカンの娘ナタリー(ケルシー・アスビル)であることを知って衝撃を受ける。彼もネイティブアメリカンの妻との間に生まれた娘を3年前に亡くしていた。暴行を受けて殺されたと考えられるが犯人は捕まっておらず、この悲劇が原因で妻とは別れている。
コリーは部族警察に通報するが、警官のベン(グラハム・グリーン)は捜査を始めることができない。殺人事件を担当する権限がないのだ。FBIに要請して捜査官を派遣してもらう必要がある。アメリカの警察組織はなんだか妙に複雑な制度になっているようで、こういう理不尽な事態が発生してしまうことがあるらしい。
猛吹雪の中、ようやく到着したのは新米捜査官のジェーン・バナー。いかにも頼りなげな若い女性だ。エリザベス・オルセンが演じている。彼女も『アベンジャーズ』にスカーレット・ウィッチとして出演しており、ジェレミー・レナーと協力して戦闘に参加していた。その時はテレキネシスを駆使していたが、今回は超能力には頼れない。
雪原では「タホ」より「シルバラード」
1人でやってきたジェーンは、現場に近づいたところで立ち往生。雪で視界がさえぎられて身動きがとれなくなった。彼女は「シボレー・タホ」に乗って長距離を移動してきた。フルサイズの高級SUVである。強力なV8エンジンを積んでいるが、ここでは無用の長物だ。都会派SUVでは、本物の厳しい自然環境には立ち向かえない。
ウインド・リバーで活躍するのは、本格的なヘビーデューティーSUVである。コリーの愛車はピックアップトラックの「シボレー・シルバラード」。豪華な内装や行き届いた便利装備はないが、タフなプロ仕様のモデルだ。働く男たちが乗っているのは、ほかに「ダッジ・ラム ヘビーデューティー」や「フォードFシリーズ スーパーデューティー」など。どんな場所でもどんな状況でも走破できるクルマだけが選ばれる。
しかし、いかに強力な4WD機構を備えていても、山岳地帯の雪原を走るのは難しい。森を抜けて稜線(りょうせん)を駆け抜けるには、スノーモービルを使うのがベストだ。だから、スノーモービルを荷台に載せたピックアップトラックが最強ということになる。コリーは後ろの席にジェーンを乗せ、事件現場に連れていく。南のほうから来たジェーンは薄着だったので、防寒具を借りなければ凍えてしまう。捜査官は犯罪に立ち向かう前に大自然と戦わなければならない。
広大な居留地は無法地帯
コリーとベンが協力しても、捜査は難航する。ウインド・リバー居留地はとてつもなく広大なのだ。面積は約8996平方キロメートル。2191平方キロメートルの東京都と比べると4倍以上である。全国11番目の面積を持つ広島県の8479平方キロメートルよりも広い。それでいて、常駐する警察官は10人に満たないという。警備の目が行き届くはずがなく、事件が起きても犯人を捕らえるのは至難の業だ。アメリカには、今もこんな無法地帯が残っている。
居留地には、白人によって強制移住させられたネイティブアメリカンが住んでいる。“開拓”の名のもとに武力で土地を奪っていったのが、アメリカの負の歴史なのだ。先祖の土地から立ち去ることを余儀なくさせられたネイティブアメリカンは、かつての豊かな文化からも切り離されてしまった。貧困と屈辱の生活を強いられ、今も多くの問題を抱えている。
ウインド・リバー居留地ではティーンエイジャーの自殺率が全国平均の2倍に達するという。失業率は70%を超え、肥満とアルコール依存症がまん延する。犯罪率は異常に高くてネイティブアメリカンの女性が失踪する事件が多発しているが、行政による統計データは存在しない。
監督は、テイラー・シェリダン。麻薬密売組織と戦ううちに善悪の境界が不明になっていく状況を描いた『ボーダーライン』で脚本を担当した。彼は『最後の追跡』を含めた3作を“フロンティア3部作”と称していて、現代の辺境をテーマにしている。『ウインド・リバー』が見せるのは、日本人が知らない、そしてアメリカ人が目を背けてきた現実なのだ。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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