第177回:あの美女が中古フィットに乗る中年女を演ずる
『タリーと私の秘密の時間』
2018.08.15
読んでますカー、観てますカー
駐車場でわかる階層格差
2階から階段をだらしないパジャマ姿の中年女が降りてくる。足取りは重く、顔色はさえない。はだけた上着からは、パンパンに張ったおなかが見え隠れする。臨月のようだ。生気のない表情で子供たちの世話をするが、疲れ切っていてダウン寸前に見える――。事前の知識がなければ、このボロ雑巾のようなヨレヨレの女性がシャーリーズ・セロンだということに気がつかなかっただろう。
『タリーと私の秘密の時間』は、『ヤング≒アダルト』に続いて彼女がジェイソン・ライトマン監督とタッグを組んだ作品である。思えばあれも相当にイタい役柄だった。田舎ではイケていた女性が都会に出て作家になったのはいいものの落ち目になり、しかもバツイチ。田舎に帰ってきても、かつてのようにもてはやされることはない。それでもプライドだけは高いから、自意識と現実のギャップを受け入れられないのだ。この主人公が離婚していなかったら、『タリーと私の秘密の時間』の主人公マーロになっていたかもしれない。
娘のサラと息子のジョナを育てる専業主婦で、もうすぐ3人目が生まれる。家事に追われて自分の時間などないに等しい。しっかりしたお姉さんキャラのサラは手がかからないが、ジョナは情緒不安定で突発的に叫んだり暴れたりすることがある。学校でも問題を起こしていて、校長からは彼をサポートする専属教師を自費で雇うように要請された。そんな金があるはずもない。
マーロは中古の「ホンダ・フィット」に子供2人を乗せて学校に送り届ける。駐車場に並ぶのは、ピカピカのアウディやレクサス。上流の子弟が通う学校なのだ。彼女の兄クレイグ(マーク・デュプラス)が口を利いてくれたおかげで入学できたが、マーロは場違いである。
ビュイックは貧乏暮らしの象徴?
クレイグはマーロと違って裕福な暮らしを送っている。援助してくれるのはありがたいが、関係は微妙だ。マーロの夫ドリュー(ロン・リヴィングストン)は、ディナーに招待されてもあまり乗り気ではない。「どうせメルセデスの新車を見せたいだけだろ……」とひがみ根性全開だ。しがないサラリーマンという引け目を感じていて、階層の違うクレイグとはしっくりいかない。
「スバル・アウトバック」に乗って4人でクレイグ宅を訪れる。クルマ2台持ちではあるのだが、どちらも中古の日本車というのが寂しいところ。玄関前にはマットブラックの「メルセデス・ベンツGクラス」が鎮座していた。ドリューは「Gワゴンか。ジャスティン・ビーバーと同じだ」などと言っていて、やはり成り上がり系金持ちだと思っているのだろう。実際、Gクラスに乗っている有名人にはブラッド・ピット、パリス・ヒルトン、マライア・キャリーなどがいて、確かにセレブ感バリバリの面々だ。
クレイグの邸宅は上質なインテリアで飾られていて、生活感があふれているマーロの家とは好対照。東洋系の妻がセンスよく家庭内を仕切っているようだ。ディナーを始めるとSiriを使って感じのいい音楽をかけ、子供たちには別メニューでトリュフ入りのパスタを振る舞う。サラとジョナは目を丸くしている。2つの家庭では、カルチャーがまったく違うのだ。
クレイグも自分の成功がマーロとドリューのプレッシャーになっていることは自覚しているから、「俺も昔はビュイックに乗っていた」などと話す。貧乏暮らしだったこともあると言いたいのだろうが、素直に受け取れないのが人情だ。だから、出産祝いとして夜だけのベビーシッターを雇うことを提案されても断ってしまう。
想像を絶する肉体改造
3人目が生まれると、マーロの日常は地獄と化す。夜泣きのたびに起きて授乳するから、慢性的な睡眠不足。日に何度もおむつを替え、おっぱいが張ってくると搾乳して冷蔵庫に保存する。食事の用意をして後片付けをして、洗濯物は山のようだ。2人の子供の送り迎えをし、ジョナの件でまた校長に呼び出された。床に散らばっていたレゴのパーツを踏みつけてしまうし、子供の夕食に冷凍ピザを出していると帰宅したドリューから皮肉を浴びせられる。しかし彼は子育てを手伝うわけでもなく、ベッドでゾンビゲームを楽しんでいるのだ。Fuuuuuuuuck!と叫んでしまうのは責められない。
お産が終わったのに、マーロの体は緩みきったままだ。出っ張ったおなかを見たサラに「お母さん、どうしたの?」と驚かれてしまう。なんともリアルな中年経産婦の体つきである。これは特殊メイクでもコンピューターグラフィック処理でもない。シャーリーズ・セロンは役作りのために18kgも増量したのだ。カロリーの高いファストフードを詰め込み、3カ月半かけて太ったという。2003年の『モンスター』でも増量したが、あの時は13kg。今回の肉体改造はさすがにきつかったようで、もとに戻すのに1年半を要したらしい。
『イーオン・フラックス』や『アトミック・ブロンド』では、キレッキレのアクションを披露していたし、『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』のフュリオサ様である。カッコいい女性の代表的存在となった彼女がこんなダルダルの体でスクリーンに登場するとは、誰が想像しただろう。トム・クルーズが地上7620メートルからダイブするのと同じかそれ以上のフィジカル的チャレンジである。
そういえば、ジェイソン・ライトマン監督作では、前に紹介した『とらわれて夏』でケイト・ウィンスレットがダルダルでむっちりセクシーな完熟ボディーを披露していた。監督の好みなのだろうか。
フィットで飲みに出掛けた結末は……
限界を自認したマーロは、ついに夜中のベビーシッターを雇うことに同意する。やってきたのは、へそ出しチビTを着たタリー(マッケンジー・デイヴィス)。一見してとても信頼できそうにない今どき女子だが、意を決してまかせてみると完璧な仕事ぶりだった。赤ん坊がおなかを減らしていることに気づくとマーロを起こして授乳させ、すぐに眠りにつかせて彼女の睡眠を妨げない。朝になると1階のリビングルームはきれいに掃除され、8年分のホコリが消えていた。
マーロは少しずつ快活さを取り戻していく。体を引き締めるため、朝のジョギングまで始めた。タリーは家事の負担を減らしてくれただけでなく、精神的な安定を与えてくれる。マーロがテレビでジゴロのリアリティーショーを観て現実逃避していることもおおらかに受け止め、自分をさげすむことはないと諭す。グチも優しく聞いてくれて、すべてを肯定してくれているように感じたのだ。
年齢の離れた2人だが、次第に女子的友情を育んでいく。2人で深夜にブルックリンへ遊びに行こうと盛り上がったのも自然なことだ。BGMはシンディ・ローパー。ノリノリである。ただ、フィットに乗って出掛けたのだから、散々飲んで踊った後も運転して帰らなければならない。飲んだら乗るな、乗るなら飲むなという戒めはアメリカでも同じである。カタストロフィーが待ち受けているのは当然のことだ。
うれしいことに、ただの悲劇的結末ではない。この映画には、秘密がある。柳下毅一郎の言う“副音声映画(登場人物が自分の気持ちや状況をすべてセリフで説明する超親切設計の作品)”ばかり見慣れている人には理解できないかもしれない仕掛けが隠されているのだ。そのステキなトリックを話したくて仕方ないのだが、それはできない。大ヒット中の『カメラを止めるな!』と同様、からくりを明かしてしまっては映画を観る楽しみが半減してしまう。いい映画の悩ましい共通点である。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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