マクラーレン720Sスパイダー(MR/7AT)
極楽スーパースポーツ 2019.03.01 試乗記 マクラーレンの新たなオープントップモデル「720Sスパイダー」に試乗。先行デビューしたクーペ「720S」とは違ったドライビングプレジャーや、両車に共通する走りの特徴について、アメリカ・アリゾナ州から報告する。コンバーチブル特有のネガがない
「スパイダーでもクーペとまったく同じドライビングプレジャーが得られる」 これが有名な“マクラーレン・スパイダーの定理”である。皆さん、ご存じだっただろうか? いやいや、申し訳ない。誰も知らなくて当然。なぜなら、私がいま勝手に定めた定理だからだ。ただし、「マクラーレンのスパイダーはクーペとまったく同じドライビングプレジャーが得られる」というのはウソ偽りのない真実。2011年に発表された「MP4/12C」以降の、すべてのマクラーレンロードカーに試乗したことのある私が自信をもって言うのだから、これはぜひとも信じていただきたい。
クーペをコンバーチブルに改めるとボディー剛性が低下して、ハンドリングや乗り心地に悪影響が出るのがスポーツカー界の常識。これを嫌って入念に補強すれば重量がかさみ、運動性能の低下や重心高の上昇を招く。つまり、どこまでいっても同じ性能にならないのがクーペとスパイダーの宿命なのである。
ところがマクラーレンは例外。彼らがボディー構造の基本にカーボンモノコックを用いていることはご存じのとおり。カーボンモノコックは別名“バスタブ(湯船)”と呼ばれることからもわかるように、屋根に相当する部分に構造体が存在しない。したがってルーフを切り取っても剛性の低下は基本的にゼロ。ただし、マクラーレンのスパイダーには格納式ハードトップが装備されるため、クーペに比べて40~50kg重くなるのはやむを得ないところ。もっとも、これは車重に対して3%ほどの重量増のため、その影響は実質的に感じられなかった。これこそ、私が“マクラーレン・スパイダーの定理”を提唱するゆえんである。
ポイントはドアヒンジ
ただし、720Sに関してはそれほど簡単にスパイダー化できない事情があった。
マクラーレンロードカーの中核であるスーパーシリーズに720Sのクーペ版が投入されたのは2017年のこと。エンジン排気量を拡大したり次世代の電子制御式サスペンションを搭載したりと大進化を遂げた720Sは、新開発のカーボンモノコック「モノケージII」を採用していた。その特徴は、通常のバスタブ形状をしたモノコックの上部に柱を一本追加した点にある。
これは横転時の安全性を確保するとともに、ここにドアヒンジを設けることで新たなドアの開閉機構を生み出すのが目的。マクラーレンロードカーの代名詞でもあるディヘドラルドアは、フロントタイヤ後方に設けられたドアヒンジを中心とし、ドア全体が回転するように上方に開くのが特徴。ところが720Sでは、この従来のドアヒンジに加えてルーフ部分にもヒンジを追加し、この2点を結んだ直線を回転軸として斜め前方に開く形態とされた。このほうが、ドアを開けるために必要な横方向と天地方向のスペースが少なくて済むからだ。
しかし、720Sスパイダーのルーフ部分にはドアヒンジを設ける構造体がない。では、どうすればいいのか? 私が720Sのスパイダー化は容易ではないと指摘したのは、これが最大の理由である。
さまざまなアプローチで差を吸収
アメリカ・アリゾナ州の試乗会に展示されていた720Sスパイダーを見て、「なんだ、こんな簡単な解決方法があったのか!」とわれながら情けなくなった。というのも、ドアヒンジのメカニズムを、先代の「650S」と同じフロントタイヤ後方の一点支持方式に戻したのである。もっとも、このままではドアを開けるときに必要な上方のスペースが拡大してしまう。そこで720Sスパイダーではクーペよりほんの少しドア長を短くして、この問題を解消。ドアを開くのに必要な天井の高さはクーペとほとんど変わらないという。
さらに、シートのヘッドレスト後方にカーボンコンポジット製のロールオーバーバーを追加。横転時の安全性を確保するとともに、軽量設計を心がけることでクーペに対する重量増を49kgに抑えた。
スパイダー化に伴う重量増がごくわずかだったため、スプリングやアンチロールバーを含んだサスペンションのセッティングはクーペそのまま。ただし、電子制御式ダンパーのソフトウエアを見直すことで49kg分の車重の違いを吸収した。なお、重心高の違いは数mmにすぎないそうだ。
ルーフをワンタッチで開閉できること以外にも720Sスパイダーが手に入れた機能がある。それはリアウィンドウの開閉機構。それがどんな効果をもたらすかは、次のインプレッションコーナーで紹介しよう。
魔法のような乗り心地
まったく残念な話だが、乗り心地やハンドリングは720Sクーペとまったく変わらなかった。やはり“マクラーレン・スパイダーの定理”は正しかったのだ。
それにしても、ルーフを閉じたときの最高速度が341km/h(!)、ルーフを開けた状態でも325km/h(!!)の最高速度をマークするスーパースポーツカーの乗り心地がこれほど快適でいいのだろうか? もちろん、圧倒的なコーナリングパフォーマンスを実現するため、ローリングやピッチングといったボディーの動きは最小限にとどめられているものの、路面からの衝撃をしなやかに受け止めるとともにボディーをフラットに保つマクラーレンの「プロアクティブ・シャシー・コントロールII」はやはり“魔法のサスペンション”と呼ぶにふさわしい。
その上質な乗り心地を味わいながら、早朝のワインディングロードを飛ばす爽快感はこれまでに味わったことのないものだった。優れた機械を操っているという圧倒的な満足感が、目に映る景色をここまで変えてしまうことにも心を揺り動かされた。周囲の安全が確認できたときには、さらに思い切ってスロットルペダルを踏み込んでみたが、クルマはまだ余裕たっぷりで、頭上を流れる風の勢いが増したことを除けば危ういところはなにひとつ見当たらない。一般公道でその限界を試すことは無謀以外のなにものでもないだろう。
楽しみ方はさまざま
朝の気温は7度と低かったが、ヒーターさえ効かせればオープンのまま制限速度の65mph(約104km/h)で走っても寒さはほとんど感じない。それでも助手席に腰掛けた大切な人を思いやるなら、一度50km/h以下までスピードを落とし、ルーフを閉じてから再び加速するのもいいだろう。ちなみにルーフ開閉に必要な時間は11秒にすぎない。
そんなときにお勧めしたいのがリアウィンドウを開けること。キャビン後方のごく小さな窓ガラスだが、ここを開けるとサンルーフをチルトアップしたときと同じように空気が換気され、エキゾーストノートがほどよく聞こえてくる。
もともとジェット機のような軽い金属音を響かせる720Sだが、開いたリアウィンドウ越しに聞こえる音色はそこにかすかな迫力を付け加えたもので、新たな喜びをもたらしてくれる。しかも、このリアウィンドウはルーフを開けたときには一種のウインドディフレクターのような効果を生み出し、キャビン後方からの風の巻き込みを防止する。クーペとの違いは最小限ながら、オープンエアドライビングの楽しみ方をいくつも提示してくれるのが720Sスパイダーのもうひとつの醍醐味(だいごみ)といえるだろう。
スパイダーになってもマクラーレンらしく視界は良好で普段遣いにもほとんど不自由は感じないはず。こんなぜいたくな時間をいつでも手に入れられるのなら、日々の雑事を煩わしく思うこともなくなるだろうと、つかの間夢想してしまった。720Sスパイダーは、それほどまでに人の心を豊かにするスーパースポーツカーなのである。
(文=大谷達也<Little Wing>/写真=マクラーレン・オートモーティブ/編集=関 顕也)
テスト車のデータ
マクラーレン720Sスパイダー
ボディーサイズ:全長×全幅×全高=4543×1930×1196mm
ホイールベース:2670mm
車重:1468kg(DIN)
駆動方式:MR
エンジン:4リッターV8 DOHC 32バルブ ツインターボ
トランスミッション:7段AT
最高出力:720ps(537kW)/7500rpm
最大トルク:770Nm(78.5kgm)/5500-6500rpm
タイヤ:(前)245/35R19 93Y XL/(後)305/30R20 103Y XL(ピレリPゼロ)
燃費:11.6リッター/100km(約8.6km/リッター 欧州複合モード)
価格:3788万8000円*/テスト車=--円
オプション装備:--
*=日本市場での車両価格。
テスト車の年式:2019年型
テスト車の走行距離:--km
テスト形態:ロードインプレッション
走行状態:市街地(--)/高速道路(--)/山岳路(--)
テスト距離:--km
使用燃料:--リッター(ハイオクガソリン)
参考燃費:--km/リッター
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大谷 達也
自動車ライター。大学卒業後、電機メーカーの研究所にエンジニアとして勤務。1990年に自動車雑誌『CAR GRAPHIC』の編集部員へと転身。同誌副編集長に就任した後、2010年に退職し、フリーランスの自動車ライターとなる。現在はラグジュアリーカーを中心に軽自動車まで幅広く取材。先端技術やモータースポーツ関連の原稿執筆も数多く手がける。2022-2023 日本カー・オブ・ザ・イヤー選考員、日本自動車ジャーナリスト協会会員、日本モータースポーツ記者会会員。