第598回:人の心を穏やかにするクルマ
大矢アキオ、ランチアLOVEな魚屋さんに出会う
2019.03.29
マッキナ あらモーダ!
激レア高級車に遭遇
イタリア・トスカーナ州のオルベテッロは潟に面していることから、ボラのからすみやウナギの産地として知られる。わが家からは、スーペルストラーダ(自動車専用道路)で約130kmの距離にある。
先日、同地に赴いたときのことだ。普段はスーパーマーケットや鮮魚店で土産を買ってゆくのだが、漁協の直営売店があると聞いたのでのぞいてみることにした。
店舗だと思って入ると、そこは水産加工場だった。働いている人は「店はあっちだよ」と奥の入り口を指さす。売店のほうが目立たない場所にあるその商売っ気のなさが、逆にプロっぽい。
それはともかく、店先には「ランチア・ガンマ ベルリーナ」がたたずんでいた。1976年のジュネーブモーターショーで発表され、1984年まで約8年間にわたりランチアの“トップ・オブ・ザ・レンジ”として君臨したモデルである。製造終了から27年が経過していることに加え、生産台数が2万台ちょっとと少なかったことから、今日イタリアの路上ではほとんど見かけないクルマだ。
オルベテッロの対岸にあるモンテ・アルジェンターリオは、夏のリゾート地として知られる。参考までに、オランダのユリアナ元女王は毎年この地でバカンスを過ごしていた。夫のベルンハルト王配は警護もつけず、自らフェラーリを運転して、地元の市場にやってきたという。
そうした土地柄だ。ガンマは、夏の喧騒(けんそう)を避けて早めにやって来たヒストリックカー好きな富裕層の秘蔵車だろう……と考えながら店に入った瞬間、内部に異様な雰囲気を感じた。
店内にクルマの写真がベタベタ
なぜ異様な雰囲気かといえば、レジの周囲に古いランチアの写真やイラストがいくつも貼ってあるのだ。「もしや」と思ってカウンターの人物に聞く。そう、ガンマは従業員である彼のものだった。
「ガンマって、よくわかったねえ。うちのお客さんで初めてだよゥ!」とうれしそうだ。普段、異分野の人から話を聞く機会を大切にすべく、仕事時間以外では極力クルマの話を避けている筆者だが、そう言われてはハッスル(古い!)してしまう。
掲げられた写真の中の「ベータ モンテカルロ」も、彼のものだという。その彼がパソコンをいじり始める。なにか急ぎの経理処理かと思いきや、画面には「ランチア・フルヴィア」の「ベルリーナ」のスナップが大写しにされた。彼はそれも所有しているのだと教えてくれた。
もう一度言うが、ここは漁協の売店である。いち従業員である彼が、あたかも自分の部屋のように、ランチアの写真やイラストを貼りまくり、パソコンにも愛車の写真を保存しているのだ。
興奮気味の彼から、ようやく名前を聞くことができた。彼の名はヴァスコ。「母はリトアニア人、父はイタリア人です」。リトアニアの首都ヴィリニュスから40kmほど離れた町で育ったという。
なぜランチア、なぜガンマなのか?
中古車店主が知らなかった
1971年生まれのヴァスコさんは語る。「もともとボクが子どものころ、父がガンマの同型車に乗っていたんだ」
ちなみに父親はクルマに特段興味があるわけでもなかったという。「室内灯が時差をもって消えるのを、えらく不思議がっていたくらいだからね」と笑う。
クルマはその後、不幸にも事故に遭遇し、彼の家から消えていったが、ヴァスコさんの心の中にガンマは残り続けた。
2014年、ヴァスコさん43歳の年のことだ。ある金曜日、中古車検索ウェブサイトを見ていて、思わず息をのんだ。あの思い出のガンマがあるではないか。ただし、それは売り物ではなかった。
「別の展示車の写真の片隅に、廃車状態でちらっと写っていたんだよ、これが」
ヴァスコさんが慌てて店に電話をしたものの、当初はまったく意思の疎通が不可能だったという。「店主はランチア・ガンマという名前さえ知らなかったんだよ。それどころか週明けの月曜日にスクラップにするつもりだというんだ」
ヴァスコさんは月曜日、その中古車業者に飛んで行き、800ユーロで廃車のガンマを手に入れた。そして数カ月かけて丁寧な修復を施した。完了後、両親に見せに行ったら大喜びしたという。
ドローンを落とされても笑顔
近日、ヴァスコさんのもとには、4台目のランチアである「テーマi.e.ターボ」がやって来るという。
テーマといえばフェラーリエンジンを搭載した「8.32」が有名だが、それは彼にとってやはり永遠の夢なのだろうか。その質問にヴァスコさんは首を横に振る。「高価なこと以上に、あまりにデリケートなので興味が薄いんだよ」
彼は所有すること以上に、走ることに喜びを感じている。実際、ガンマはレストア完了後、7万5000kmも走破した。
「ランチアの魅力? 十分に速いが、速すぎないこと」とヴァスコさんは、熱っぽく語る。すでに店番どころではない。「1000km連続で走っても、まったく疲れない。まだまだ運転したくなるのが、ランチアだ」。アウディも所有している彼だけに、説得力のある言葉である。
往年のランチアが醸し出す高貴なムードは、ヴァスコさんのガンマからひしひしと伝わってくる。それは高級車がアグレッシブなデザインとなってしまい、それが路上に跋扈(ばっこ)する今日においては、貴重なキャラクターといえる。
そんな話をしながら外で撮影していると、彼の友人が通りかかった。ヴァスコさんは笑顔であいさつしたついでに、「ちょっと前、あいつはボクのクルマに誤ってドローンを落とした大ばか野郎なんだ」と言って笑った。
もし筆者が自分のクルマにそのような行為をされたなら、相手とは一生絶交ものであろう。やはりランチアは乗る人の心を穏やかにするようだ。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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