第614回:欧州でも吹き荒れる「ジムニー」旋風
スズキは“不吉数字”も恐れない!
2019.07.26
マッキナ あらモーダ!
納車は年明け
ヨーロッパで新型「スズキ・ジムニー」の販売が好調である。欧州域における2019年5月の販売台数は1488台。先代モデル末期であった前年同月(673台)と比較すると、2.2倍に増えている。
いっぽう、イタリアの2019年6月のブランド別登録台数を見ると、スズキは前年比52.9%増の3738台である。日系ブランドでは日産(3372台。前年比18.8%減)を抜き、トヨタに次ぐ2位だ。このままいけば、年間でも2位は難しくない。ジムニーの好調が貢献しているのは確かだろう。
ところで前回は、2019年6月19日から23日までトリノで開催された「パルコ・ヴァレンティーノ・モーターショー」について記した。
会場で、とりわけ来場者の注目を浴びていたブランドのひとつといえば、ずばりスズキであった。
スズキにおける今年のテーマは、ずばり「KATANA(刀)」である。二輪ファンならご存じのとおり、「カタナ」は1980年代にスズキが生産した、主に「GSX」系に設定したシリーズ名である。
2019年5月には、日本で新型が発表された。今回は、それにタイミングを合わせたもので、3種のカタナコンセプトが展開された。
ひとつは、新型カタナにチタン製エキゾーストパイプなどを追加したスペシャルバージョン「カタナJINDACHI」だ。
さらに「ビターラ(日本名:エスクード)」をドレスアップした「ビターラ カタナ」と、カタナ風のカラーリング&ロゴを施した船外機も展示した。
しかし、大半の来場者のお目当てといえば、やはり新型ジムニーであった。
車両の横にいたスタッフのひとりに、納期を聞いてみた。すると「仕様を選ばなければ比較的早く納車できるが、細かいオーダーをした場合、年を越す場合がある」という。2019年4月に筆者が住むシエナのスズキ販売店でも納期を確認したことがあったが、その時点でも納車は約半年後の9月だった。人気ぶりがうかがえる。
ところが、展示されているジムニーをよく観察すると、市販型よりもどこか勇ましいではないか。
あえて「忌み数」
そのジムニーはリフトアップされ、車名プレートには「頑」と漢字が記されていた。何ですか、これ?
答えてくれたのは、当日会場当番をしていた、トリノ郊外モンカリエリのスズキ販売店アウトグループSのセールスマンであるマッテオ氏だった。
「『頑』は今回のショーのために、イタリアのスペシャルカー工房『ザンフィ』が手がけたフォーリセーリエです。公道走行用ホモロゲーションは受けていませんが、2台を製作しました。1台はここにある展示用、もう1台はデモ走行用です」
スズキ・イタリアのプレスリリースを後日確認すると、「頑」と名付けた理由が記されていた。
「『頑』は強い・難しい・頑固な・動じないを意味し、行く先々で妥協や障害物にびくともしない頑固さを表現した。独特のスタイルのエッジ、モダンと伝統が融合した比類なきデザインは、『斬る』という言葉で代弁することができる」とある。
いきなり「斬る」とは! ハリウッド映画に出てくる日本人のような気分になってくる文章であるが、熱意は伝わってくる。
ところで実際に手がけたザンフィとは?
同社は、イタリア北東部レッジョ・エミリア郊外バルコ・ディ・ビッビアーノにあるオフロードカー用チューニングパーツのスペシャリストである。ブランド名は「Z.MODE」だ。
ジープ用なども手がけているが、スズキ・ジムニー用パーツに関してはすべて、技術・安全認証であるドイツ・バイエルン州Tüvに適合している。
今回のジムニー頑は、足まわりではスプリングとダンパー、ラテラルロッド、アームを変更。最低地上高を標準より100mmプラスの310mmにまで高めている。強化ドライブシャフトと溶接されたスカットルによるディファレンシャル・ギアのプロテクトなども採用されている。アンチロールバーは着脱式だ。
フロントフード上にはゴムバンドによる「ケーブルホルダー」が装着されている。室内を見ると、バックレストにも「頑」のロゴが記されている。
ロゴといえば、ドア下部のストーンガードに記された数字にも注目したい。1台は「13」、もう1台は写真にはないが「17」だ。
13は西洋社会に広く流布している忌み数である。いっぽうの17もしかり。ローマ数字を分解すると「XVII」で、それを組み替えるとラテン語の「VIXI(生きていた=死んだ)」になることから、イタリアでは嫌われる数字だ。参考までに1970年代、フランスのルノーは「R17」を、イタリア市場では「R177」と、わざわざ改名して販売していた。
リリースによると、「ジムニー頑に怖いものはない」という意味らしい。ルノーが恐れた迷信もスズキにとっては取るに足らないものなのだ。
ジムニー頑は、ローカル工房に作品発表の場を提供した好企画だ。同時に、ゼロからコンセプトカーをつくることができない規模のショー向けに、こうした企画は格好といえる。
前回記したように、パルコ・ヴァレンティーノ・モーターショーは大成功でありながら、2020年以降はどのような経緯をたどるのか予断を許さない状況に置かれている。願わくば、こうしたローカル作品を発表できる場だけは、今後も確保されてほしいものである。
フェラーリに比肩?
ところでイタリアにおけるスズキ車の輸入は1969年、空冷2サイクルの二輪車「GT-500」から始まり、それに続くかたちで船外機の販売が開始された。
1980年になると、ロマーノ・アルティオーリ氏によってスズキ四輪車の販売もスタート。後年、新生ブガッティをモデナ郊外に設立する、あのアルティオーリ氏である。
トリノを本拠とした彼の会社が輸入した最初のスズキ車は、800ccエンジンを搭載したLJ80型ジムニーであった。やがて1990年代初頭、彼の興したスズキ・イタリアは、スズキの現地法人となる。そして1995年には、船外機や発電機などすべてのスズキ製品を一括してオペレートするようになり、現在に至っている。
再びスズキ・イタリアのリリースを読み返すと、「ジャポネジタ」の文字があることに気づく。「Giapponesità」とは英語でいうところの「Japaneseness」=「日本らしさ」だ。
さらにスズキのことを「カーザ・ディ・アママツ(浜松の会社の意。イタリア語読みのHamamatsu)」と表現している。イタリアで「カーザ・ディ・マラネッロ」は、フェラーリを指す。それを意識したかどうかは知らぬが、日本ブランドで本拠地をここまでアピールするのは珍しい。
1873年のウィーン万博や、19世紀中盤から複数回開催されたパリ万博は、ヨーロッパの美術界にジャポニスムをもたらした。
今回筆者が観察したところでは、シートに座るのに順番待ちができていたクルマといえば、“地元ブランド”アバルトの創業70周年記念モデルと、何を隠そうジムニー頑であった。
「カーザ・ディ・アママツ」は、プチ・ジャポズムの風を初夏のトリノにもたらしていたのであった。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、スズキ・イタリア/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
コラムニスト/イタリア文化コメンテーター。音大でヴァイオリンを専攻、大学院で芸術学を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナ在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストやデザイン誌等に執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、22年間にわたってリポーターを務めている。『イタリア発シアワセの秘密 ― 笑って! 愛して! トスカーナの平日』(二玄社)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。最新刊は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。