第641回:さらば日本人以上の日本車愛好家! あるフランス人自動車ジャーナリストにささげる言葉
2020.02.07 マッキナ あらモーダ!あの男はもう現れない
そのフランス人は、初代「ダイハツ・シャレード」について熱く語った――。
2月のパリといえば、ヒストリックカーショー「レトロモビル」である。2020年の会期は2月5日から9日までだ。
このイベントは毎年、古いクルマを愛好するヨーロッパの人々にとって、本人と愛車の元気を確かめ合う新年会的な役割も果たしている。
しかし2020年は、悲しいことにひとりの人物がやって来ないことになった。フランス人自動車ジャーナリスト、ティエリー・アスティエール氏である。彼は昨2019年の10月15日に死去した。42歳だった。
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シトロエンの若き生き字引
彼は、フランスを代表する自動車誌のひとつ『オトピュルス』のスタッフを経て、ちょっと古い自動車の専門誌『ヤングタイマー』のライターとして活躍していた。
恐るべきは、駄作と烙印(らくいん)を押されたような過去の自動車にも、異様といえるほど詳しかったことだった。実際、ヤングタイマー誌は追悼記事の中で「(英国の)『オースティン・マエストロ』や(ポーランドの)『FSOポロネーズ』について、間違えることなく語ることができた」という表現で彼の博識を振り返っている。
ティエリーは、とりわけシトロエンに造詣が深かった。
そのパッシオン(熱意)が高じて、2013年秋にシトロエン専門誌『シェヴロネー』を創刊し、自ら編集長を務めた。六十数ページの季刊誌で「DS」「CX」「SM」といったメジャーなモデルはもちろん、「2CV」を基にベルギーのコーチビルダーが製作したバギー「ヴァンクレー・ミュンゴ」といった、フランスのシトロエニストの間でさえ忘れられがちなカルト車まで丁寧に紹介した。
SMとCX、そして「GS」をデザインしたことで知られるロベール・オプロン氏へのインタビューは、彼の自宅を訪れて行ったほどだ。
シェヴロネーの誌面で撮影の大半を担当していたのは、パートナーにしてフォトグラファーのカテル・リオウ氏だった。ファッションフォトグラファー出身である彼女の写真は叙情性に富むと同時に、各車の最も魅力的なアングルを毎回見事に捉えていた。走りのショットも自動車フォトグラファー並みに決まっていた。まさにティエリーと名コンビだった。
日本車にも詳しかった
実はティエリー氏には、もうひとつ詳しいジャンルがあった。それは「日本車」だった。
筆者が彼と初めて出会ったのは、レトロモビルにおけるヤングタイマー誌のブースだった。筆者が日本人と判明した途端、ティエリー氏は眼鏡の奥の目を輝かせ、その口からは筆者も忘れていたような日本車の話題が次から次へと飛び出した。それも欧州ではよほどのファンでも知らないようなクルマが大半だった。初代ダイハツ・シャレードや「日産バイオレット」「トヨタ・スターレット」などに関する知識は、彼があたかもそれらの車種が新車当時に日本に在住していたかのようだった。
日本メーカー各社の歴史に加え、日本ブランドが欧州に上陸した1960年代から70年代当時の車両について詳しく知るジャーナリストは、より先輩格の人々を含めても、欧州ではティエリー氏が唯一といっていいほどだ。
だから筆者は、東京でかき集めた古い日本車年鑑と最新カタログをセットでフランスに持参して、彼に贈呈するのが常だった。受け取るやいなや、すぐさま熱心にページをめくる彼の姿を見るたび、一時帰国中に通りがかりの客を装い、わが女房の実家近くのディーラーを回ってパンフレットを収集した苦労が吹き飛ぶような気分を感じたものだ。
そういえばあるとき、イタリアの筆者にティエリー氏からメールが舞い込んだことがあった。
初代「日産チェリー」の解説を執筆するにあたり、ボディータイプ別の生産・販売台数を知りたい、という内容だった。さすがに筆者の手元に該当する資料がないので、横浜の日産グローバル本社の歴史アーカイブ担当者にバトンタッチした。
後日出来上がった彼の記事は、日本の自動車雑誌に比肩するどころか上回るともいえる内容で、日産のスタッフも思わず声をあげた。
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雲の上でもきっと
ところで『ル・フィガロ紙電子版』によると、ティエリー氏が死に至った原因は「Aikido」、つまり合気道中の事故による脳出血だった。筆者が知る以上に、日本文化をこよなく愛していたのである。
シトロエンの創業1世紀の2019年に合わせた著書『Citroen 100 ans d’audace(シトロエン-大胆な100年)』は、彼の知識の集大成であり、かつ遺作となった。
自動車の歴史を調べ上げるのには知力と根気、そして体力を必要とする。メーカーの協力も十分に得られるとは限らない。日欧を問わず自動車会社というものは、新型車が誕生すると次の製品開発に注力する。そのため過去製品に対するアーカイビングは、ついおろそかになってしまうからだ。往年を知る人が時間とともに少なくなってゆくのも、書き手を焦らせる。
しかもそうした苦労の末に執筆した成果物は今日、派手な新車インプレッションの陰に隠れがちだ。だがその作業をティエリー氏は常に飄々(ひょうひょう)とこなし、苦労のかけらひとつ見せなかった。そしてイベントでは、その知識をもって同好の士と和やかに交流していた。
筆者と同じ視点から自動車というものを見つめ、楽しんでいた人間が、突然消えてしまった。
しかし、雲の上のティエリー氏本人は、神様にあいさつするよりも先に、アンドレ・シトロエンや豊田喜一郎といった人物を発見しては興奮しているに違いない……。そう信じなければ、あまりに寂しいではないか。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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