クルマ好きなら毎日みてる webCG 新車情報・新型情報・カーグラフィック

第655回:巣ごもりに耐えるメンタルの原点は“自動車画”にあり!? 大矢アキオのウェブ児童絵画展

2020.05.15 マッキナ あらモーダ!

忍び寄るヤリスのパトカー

今回は、筆者が描いた幼年時代の絵の話に、しばしお付き合いいただこう。

前回お伝えしたように、イタリアでは2020年5月4日から新型コロナ感染症対策の第2フェーズへと入った。

外出規制も緩和され、同じ州内であれば、離れたところに住む両親や配偶者、子、きょうだい、祖父母を訪問できるようになった。

そこで国民から問題として浮上したのは、「恋人同士や、イタリアで多い内縁関係にあるカップルはどうしたらいいのか」ということだった。

最終的に政府は「安定した交際相手、安定した愛情がある者」という文言を用いて、弾力的運用を可能にすることで解決を見た。なお、友達の家を訪問するのは、引き続き禁止されている。

いっぽう、家の外に交際相手がいない筆者は先日薬局に行くのを機に、およそ2カ月ぶりにシエナ旧市街を訪ねた。

書店や新聞・雑誌スタンド、眼鏡店などは営業が許可されているものの、座席を伴った飲食施設や理容院・美容院などの解禁は5月18日まで待たなければならない。

何よりこの街において日常風景の一部であるはずの観光客がいない。したがって、街の活気はゼロに近い。

長年レストランが屋外テーブルを広げていた袋小路や、街の「顔」であるカンポ広場にも草が茂っていたのには驚いた。

旧市街を走るのはタクシー、もしくはパトロールカーだけである。

特に「トヨタ・ヤリス ハイブリッド」のパトロールカーは、無音のうちに背後に近づいていることがある。別に悪いことをしているわけではないのに、どこか気味が悪い。

日本では「欧州各地で規制緩和続く」と報道したメディアが多かったが、実際のムードはまだまだ平常時とは異なるのである。

夕刻のシエナ旧市街。元F1パイロットであるアレッサンドロ・ナンニーニの実家がかつて開業したカフェがあるメインストリートで。住み始めて以来、見たことがないほどの閑散ぶりだ。
夕刻のシエナ旧市街。元F1パイロットであるアレッサンドロ・ナンニーニの実家がかつて開業したカフェがあるメインストリートで。住み始めて以来、見たことがないほどの閑散ぶりだ。拡大
人気のない街路を「日産リーフ」のタクシーが音もなく走り去る。
人気のない街路を「日産リーフ」のタクシーが音もなく走り去る。拡大
普段は大勢の人々が憩うカンポ広場。2カ月にわたって人通りが激減したことから、レンガの間に草が生えていた。
普段は大勢の人々が憩うカンポ広場。2カ月にわたって人通りが激減したことから、レンガの間に草が生えていた。拡大
レストランがテーブルを広げていた袋小路にも雑草が。以上は2020年5月6日撮影。
レストランがテーブルを広げていた袋小路にも雑草が。以上は2020年5月6日撮影。拡大

「おんぶブーブー」が教えてくれたもの

ところで、新型コロナ問題以降、いくつかの自動車メーカーがクルマの「ぬりえ」をインターネット上で提供し始めた。家にいる子どもたちに自社ブランドに親しんでもらおう、という意図であろう。

自動車業界で最初に子ども向けグッズをプロデュースしたのはアンドレ・シトロエンだ。不世出ともいえる宣伝の才があった彼は、創業からわずか4年後の1923年に最初のモデルカーを発売している。

今回はぬりえ、かつ無料配布だが、「将来の顧客がターゲット」という目的は、ほぼ1世紀前から変わらないことになる。

自動車メーカーに企画を売り込む広告代理店・PR会社の発想に限界を感じてしまうのは筆者だけか。

そうしたことを考えながら、外出がままならぬ代わりに片づけをしていたら、筆者が幼年時代に描いた絵を発見した。裏に記された日付からして幼稚園入園前後、年代にして1970年前後のものである。

それらを見ていて最初に気づいたのは車両運搬車、当時の筆者が用いていた呼称で記せば「おんぶブーブー(クルマを背負うクルマの意味)」に対する執拗(しつよう)ともいえる興味である。

これは当時筆者が住んでいた地域に日野自動車の工場があったのが理由だ。ついでにいうと日野だったために、のちに「なぜ日野の工場からトヨタ車を積んだおんぶブーブーが出てくるのか?」といった疑問へとつながり、早期から業界の相関図に興味を抱くことになった。

シエナ市が各戸に配ったマスクに続き、トスカーナ州からも無料配給されるというので、駅構内の薬局に並んでみる。
シエナ市が各戸に配ったマスクに続き、トスカーナ州からも無料配給されるというので、駅構内の薬局に並んでみる。拡大
5枚入りの不織布マスクが2袋渡された。シエナ駅にて。2020年5月7日撮影。
5枚入りの不織布マスクが2袋渡された。シエナ駅にて。2020年5月7日撮影。拡大
1968年ごろ(筆者が2歳のころ)のスケッチブックから。車両運搬車を表紙の裏までひたすら描いている。市内に日野自動車の工場があって、「トヨタ・ハイラックス」を製造していたためである。
1968年ごろ(筆者が2歳のころ)のスケッチブックから。車両運搬車を表紙の裏までひたすら描いている。市内に日野自動車の工場があって、「トヨタ・ハイラックス」を製造していたためである。拡大
やや後年の作と思われるもの。他の幼児と同様、消防車やレッカー車等に興味を抱いていた形跡がある。
やや後年の作と思われるもの。他の幼児と同様、消防車やレッカー車等に興味を抱いていた形跡がある。拡大

バモス・ホンダからスズキ・キャリイまで

図Aの上の絵は、フロントにスペアタイヤが装着されていることからして1970年「バモス・ホンダ」を描いたものと思われる。同じく町内にホンダの二輪販売店があって、営業用としていち早く導入されたそのクルマのデザインに、いたく感激したのを覚えているからである。

下の絵には、クランクと思われるものが左側に見える。わが家にあった唯一の自家用車「モーリス・マイナー」は電気系統が弱く、父親がたびたびクランクで始動していたのを無意識のうちに観察していたのだろう。

ホイールのナット/ボルトにも関心をもっていたフシがある。

ここから後、幼稚園で描いたものはクレヨン画となる。色彩が豊かになった代わりに、それまでの作品に見られた偏執的といえるまでのディテールの大胆さには陰りが見える。

それでも、興味のおもむくままに描いた形跡が見て取れる。

図Bは2代目「トヨタ・カローラ」(E20系)である。近所の家にあったクルマを描いたものであろう。車体にも説明にも「1400」と排気量まで明記されている。前述のモーリス・マイナーや、その後わが家にやってきた「フォルクスワーゲン・タイプI(ビートル)」とは異なるバケットシートにも興味を抱いた形跡が見られる。

建機が頻繁に描かれているのは、当時の筆者の家の近くで大規模な橋の建設工事が始まったからである。

図Cは当時のスズキ販売店を描いたものと思われる。ウィンドウの「6」は車検ステッカーを表している。

後方には「キャリー(キャリイ)」と「中古車」ののぼりが寝かせてある。後者は漢字がすらすらと書けたわけではなく、図像として認識していたのであろう。その証拠に3文字の縦線が貫通している。

われながら面白いのは、人や動物、恐竜もしくは怪獣といった一般の子どもが描きたがるモチーフがほぼ見られないことである。

図A。上は、前部のスペアタイヤからして「バモス・ホンダ」に感激して描いたに違いない。
図A。上は、前部のスペアタイヤからして「バモス・ホンダ」に感激して描いたに違いない。拡大
バモス・ホンダ
バモス・ホンダ拡大
図B。幼稚園で描いた2代目「トヨタ・カローラ」は近所の家にあったクルマだ。
図B。幼稚園で描いた2代目「トヨタ・カローラ」は近所の家にあったクルマだ。拡大
2代目トヨタ・カローラ
2代目トヨタ・カローラ拡大
図C。スズキの販売店。窓の縦線は、軽トラック「キャリイ」の車室と荷台とを仕切るバー(鳥居)を表現したものである。
図C。スズキの販売店。窓の縦線は、軽トラック「キャリイ」の車室と荷台とを仕切るバー(鳥居)を表現したものである。拡大

ヴィラ・デステを目指せたか?

かくもクルマを描きまくっていた幼年時代の筆者であったが、以後自由にクルマを描く意欲が減退してしまった。他の園児の絵に影響を受けたり、クルマのことがわからぬ先生に忖度(そんたく)したりというのが原因だろう。これこそ絵画教育の難しい点であり、もしあのころ先生に褒められて発奮していたら、カーデザイナーになって今ごろヴィラ・デステ・コンクールのコンセプトカー部門にエントリーしていたかもしれぬ。まあ、今日のデザインダイレクターに求められるような協調性や統率能力がまるきしないので、その実現性は低かっただろうが。

ともかく、きょうだいがなく、かつ両親ともに働いていた幼年時代の筆者である。ブツブツ独り言をつぶやきながらクルマの絵を描いていれば、ひとりでも、何時間でもまったく退屈することはなかった。

おかげさまで、現在の巣ごもり生活でもくじけないのは、実はこのころに形成されたメンタルの力に違いない、と思ったのである。

(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、本田技研工業、トヨタ自動車/編集=藤沢 勝)

エアインテーク用シュノーケルや長いアンテナからして、ラリーカーであろう。
エアインテーク用シュノーケルや長いアンテナからして、ラリーカーであろう。拡大
近所の工事現場で見た建機やトラック。1972年、幼稚園の年長組(6歳)のとき。
近所の工事現場で見た建機やトラック。1972年、幼稚園の年長組(6歳)のとき。拡大
幼年時代の筆者。
幼年時代の筆者。拡大
車買取・中古車査定 - 価格.com

メルマガでしか読めないコラムや更新情報、次週の予告などを受け取る。

ご登録いただいた情報は、メールマガジン配信のほか、『webCG』のサービス向上やプロモーション活動などに使い、その他の利用は行いません。

ご登録ありがとうございました。

webCGの最新記事の通知を受け取りませんか?

詳しくはこちら

表示されたお知らせの「許可」または「はい」ボタンを押してください。