第220回:希望を描く『明日なき暴走』ミュージカル
『カセットテープ・ダイアリーズ』
2020.07.03
読んでますカー、観てますカー
豊作続きの音楽映画
『カセットテープ・ダイアリーズ』は、本来4月17日公開予定だった映画である。緊急事態宣言で映画館が閉鎖されて延期になっていたわけだが、ようやく観られるようになったことは喜ばしい。この作品は困難な社会状況が背景となっているが、未来を信じる人々によって最後に希望が示される。こういう時期にこそ観られるべき映画なのだ。
このところ、音楽映画が豊作である。2018年には『ボヘミアン・ラプソディ』と『アリー スター誕生』『COLD WAR あの歌、2つの心』、昨2019年は『ロケットマン』と『イエスタデイ』が公開された。日本映画でも『さよならくちびる』や『蜜蜂と遠雷』といった秀作が続いている。実在のミュージシャンを扱った作品がヒットしたことで、過去の名作が再び脚光を浴びるという現象も起きた。
『カセットテープ・ダイアリーズ』がフィーチャーするのは、ブルース・スプリングスティーン。ただし、本人を扱った伝記映画ではない。主人公はイギリスの田舎町に暮らすパキスタン系の青年で、1987年の出来事が描かれる。この微妙な設定が重要なのだ。地域的にも時代的にも、ブルース・スプリングスティーンのメインステージではない。
彼は1970年代の初めにデビューし、骨太なロックの旗手としてヒット曲を連発する。『明日なき暴走』を聞いて人生が変わったという人も多いだろう。日本の音楽界にも多大な影響を及ぼした。S、O、N、Hなどの面々は、オマージュをささげすぎて歌詞やメロディーが本家とほぼ同一になってしまうという黒歴史を持っている。
a-haが最先端だった時代
主人公のジャベド(ヴィヴェイク・カルラ)は内気な16歳の青年。ちょっと情けない顔つきだが、よく見るとイケメンだ。幼なじみのマット(ディーン=チャールズ・チャップマン)とは音楽仲間で、彼は作詞を担当している。スランプで、なかなかいい詞が書けないのが悩みだ。
ウォークマンで聞いているのは、ペット・ショップ・ボーイズやa-ha。当時の音楽シーンでは最先端で、シンセサイザーを駆使したサウンドが人気だった。この映画ではブルース・スプリングスティーンとの対比でカタキ役的に描かれるので軽くディスられているが、ポップミュージック史に重要な位置を占めていることは断っておこう。
ただ、ジャベドにとってはあまり共感できる要素がない。ポップでイケている彼らとは、あまりにもかけ離れた境遇なのだ。エロティックな彼女といちゃついているマットとは違い、バリバリのD.T.である。経験がないのに、どうやって恋の歌を作ればいいのか。
パキスタン系というだけで、いわれなき差別を受けている。移民排斥を主張するネオナチの国民戦線が勢力を伸ばしていた時期だ。サッチャー政権が続いていて、福祉はどんどん削られていた。英国病を克服するというかけ声のもと、大規模な民営化が進行。格差が拡大し、貧困層は切り捨てられていた。
ボクスホール勤務の父がリストラ
ジャベドの家も、もちろん貧乏である。父親が乗っているクルマは、ボロボロの「ボクスホール・キャバリエ」だ。エンジンがかからず、家族総出で押しがけするのは日常茶飯事だ。父が勤務しているのが、そのボクスホールの工場である。長年勤め上げてきたが、ついにリストラされてしまう。失業率が10%を超えていた時期で、こういうケースは珍しいことではなかった。
父がジャベドに期待するのは、学業で優秀な成績を上げてこの境遇から抜け出すことである。親としては当然のことなのだろうが、ジャベドは息苦しくてならない。古い価値観を押し付ける父にはうんざりなのだ。閉塞(へいそく)感に押しつぶされそうになっていた彼に、級友のルーブス(アーロン・ファグラ)が1本のカセットテープを渡す。
「俺たちは走るために生まれた」
「夢を語るのではなく、実現させるんだ」
「鎖から自由になれ、悪魔のように」
ブルース・スプリングスティーンのたたきつけるような言葉は、ジャベドの心をそのまま歌っているように感じられた。彼はようやく自分が何者であり、何を欲しているのかを理解したのだ。
実際には、当時のブルース・スプリングスティーンは少し難しい立ち位置にいた。相変わらず人気は高かったしレコードも売れていたものの、若い世代からは過去の人という扱いになっていたのだ。1985年の『ウィ・アー・ザ・ワールド』での熱のこもった歌唱は暑苦しいと受け取られ、パロディーのネタにされていたのである。
もうコルベットはいらない
当然、音楽仲間のマットにはまったく響かなかった。エレクトロポップが音楽の未来だと信じる彼にとって、ブルース・スプリングスティーンは汗臭くてダサいものでしかなかったのだ。好反応を示したのは、彼の父である。ど真ん中世代だから、ジャベドと一緒に大声を張り上げて歌う。『イタリアは呼んでいる』のロブ・ブライドンがノリノリで演じていて楽しい。
この映画にはブルース・スプリングスティーン本人も協力していて、ふんだんに名曲が使われている。『明日なき暴走』が学校内の放送で流されるシーンでは、そのままジャベドたちが町に走り出て踊りまくるのだ。シリアスな内容も含まれているが、ミュージカル仕立てのエンターテインメント映画でもある。
物語は実話ベースである。原作は『ガーディアン』紙で活躍するジャーナリストのサルフラズ・マンズールが書いた自伝的回顧録。監督は『ベッカムに恋して』のグリンダ・チャーダが務めた。異文化の衝突や交流を描きながら、青春期に誰もが経験する葛藤や喜びを浮かび上がらせる手法は共通している。
ジャベドの部屋には、若き日のブルース・スプリングスティーンが「シボレー・コルベット」の脇にたたずむ有名なポスターが飾られている。憧れのアメリカン・ドリームだ。しかし、偉大なる先達(せんだつ)のまねをするだけの段階はもう終わったのだ。古臭いセダンに乗って街を出ていくジャベドは、満ち足りた表情を浮かべている。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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