第229回:肉体と機械が織りなす危険なフェティッシュの世界
『クラッシュ 4K無修正版』
2021.01.29
読んでますカー、観てますカー
クローネンバーグの問題作が復活
『恋する遊園地』に続き、人間と機械の関係性を描いた映画である。ファンタジー風味のあった前回とは違い、『クラッシュ』には本気でヤバい人々が登場する。自動車事故に性的高揚を覚えるというのだから、倫理的にも法的にもアウトなのだ。1996年の作品だが、4K無修正版が公開されることになった。
4Kリマスターということは、画質が向上しているはずだ。それはいいとして、“無修正”が気になる。この映画にはあからさまな性描写があり、成人映画として公開されたのだった。上映反対運動が起きたほどで、世界中で論議が巻き起こった作品なのだ。時代の変化でボカシは必要ないと判断されたわけだが、もちろん今回も18禁である。
監督はデヴィッド・クローネンバーグなのだ。『スキャナーズ』『ヴィデオドローム』『戦慄の絆』といった作品群を見ればわかるとおり、映画で感動させようなどとは一切考えていない。かつて彼は「芸術家は、あなたが今まで欲しいとも思わなかった何かをあなたに与えてくれる。それは、知る以前には欲しいとも思わなかったけれど、一度知ってしまったら、次回からは欲しくてたまらない何かなのだ」と語っていた。
クローネンバーグ作品を観た後では、ものの見方が変わってしまうかもしれない。影響されないように身構える必要がある。冒頭からいきなり不道徳だ。ジェームズ・バラード(ジェームズ・スペイダー)と妻のキャサリン(デボラ・アンガー)が登場するのだが、それぞれが別の相手と情事にふけっている。倦怠(けんたい)期で、互いに相手の不貞を知っていながらとがめることもない。
ポルシェ550の事故を再現するイベント
ジェームズは書類をチェックしながらハイウェイを走っている。忙しいようだが、ながら運転はもちろんダメだ。案の定ハンドル操作を誤って道を外れ、側道を逆走してしまうことに。正面衝突して相手のドライバーがフロントガラスを突き破って飛び込んでくる。即死だ。彼自身も足を骨折した。相手のクルマにはドライバーの妻ヘレン(ホリー・ハンター)が乗っていたが無事のようで、冷静にこちらを見つめている。
ジェームズは入院し、足に固定具をつけられている。生々しい傷があらわな肉体を、冷たく輝く金属が拘束しているのだ。対比することでフェティッシュの美が強調される。好きな人はうれしいが、嫌悪感を覚える人も多いだろう。鮮明な4Kだと、気味の悪さは倍増するに違いない。病院の中でリハビリしていて、ヘレンと再会した。彼女に連れ添っていた怪しげな男がジェームズを呼び止め、事故でケガをした人の写真を見せる。傷口に興味があるようで、骨折したジェームズの足をなめるように観察した。
退院してしばらくすると歩けるようになり、駐車場に事故車を見に行った。そこにはヘレンも来ていて、彼女をクルマに乗せて送っていくことに。ジェームズが乗っているのは、事故を起こしたのと同じ「ダッジ・ダイナスティ」である。色も同じマルーンだ。運転していると飛び出してきたクルマに接触しそうになり、ギリギリで事故を回避する。彼らは同じ思いを抱く。性的なハイテンションがシンクロしたのだ。ジェームズは帰宅すると、今度はキャサリンに情熱をぶつける。3人の嗜好(しこう)は一致していた。
ジェームズとヘレンは、クルマを使ったイベントに出かけた。用意されていたのは「ポルシェ550」。ジェームズ・ディーンが乗っていたマシンのレプリカである。1955年9月30日に彼が事故死した場面を再現しようというのだ。イベントの司会を行っていたのは、病院でヘレンと一緒にいた男ヴォーン(エリアス・コーティアス)。彼は自動車事故を愛好する秘密結社の主催者だったのである。
SLは安全すぎてガッカリ
結社の中には、交通事故を繰り返してギプスが手放せなくなったガブリエル(ロザンナ・アークェット)もいた。ミニスカートからのぞく太ももには、深い傷が刻まれている。彼女はメルセデス・ベンツのディーラーで「SL」を見せてもらうが、「このクルマはとても安全です」と説明されるとガッカリした表情を浮かべる。評価軸が普通とは正反対なのだ。
彼らは夜な夜なクラッシュの映像を見て興奮し、金属同士の衝突が作り出す美しさについて語り合う。性的エネルギーを増大させた彼らは、性別さえも超えて求め合うようになっていく。その瞬間に生きる意味を見いだしているようだが、同時に死への誘惑が生じていた。欲望を追求した先には、悲劇的な結末が待っているのは必然である。
ヴォーンは「自動車事故は破壊的でなく生産的な出来事だ、性的エネルギーの解放なんだ」と語る。常人には理解しがたい考え方だが、この映画が傑作としてたたえられているのは、そこに何らかの真実が含まれているからだろう。クルマが持っている魅力には、非日常の快楽が関係している。それを完全に否定するのは難しい。
この映画では、ハイウェイはサバイバルフィールドだ。運転マナーが悪いドライバーが多くてぶつかりそうになるし、クルマのコントロール性にも難がある。この映画が撮影されてから四半世紀が過ぎ、状況は様変わりした。自動ブレーキの装備が普通になれば、事故は起こりにくくなるだろう。自動車のフェティッシュ性は減じていき、このような映画は二度と作られなくなる。クローネンバーグは不満だろうが、喜ばしい変化である。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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