第230回:純真な青年が乗るクルマは凶器と化す
『藁にもすがる獣たち』
2021.02.19
読んでますカー、観てますカー
日本の小説が原作の韓国映画
登場人物は、悪い女とバカな男。どいつもこいつも金に目がくらんだ連中だが、ツメの甘い男たちに勝ち目はない。ストレートにおのれの欲望を貫く女の強さはすがすがしいほどだ。たくさん人が死ぬけれど、なぜか陰惨ではない。観客は獣たちの必死な姿を安全地帯から眺めるという、優雅な楽しみを満喫する。結末は、一応ハッピーエンドである。見方にもよるが。
『藁にもすがる獣たち』の原作は曽根圭介の小説。キム・ヨンフン監督の長編デビュー作である。日本と韓国はいろいろな問題を抱えているが、相互の文化交流は結構盛んだ。パク・チャヌク監督の傑作『オールド・ボーイ』は日本の漫画が原作だし、『ゴールデンスランバー』は日韓競作となった。逆のケースもたくさんあって、『SUNNY 強い気持ち・強い愛』は『サニー 永遠の仲間たち』のリメイク版である。このコーナーで紹介した『見えない目撃者』は、韓国で作られたものを中国と日本がリメイクした。
こういう関係が可能なのは、どの国も似たような問題を抱えているからだろう。それぞれの国で人々は社会のひずみに苦しみ、幸福を得ようと七転八倒している。人間の普遍的な関係性を描くことで、共感が生まれるのだ。この映画は韓国で話題を呼び、興行収入ランキング初登場1位を獲得した。
基本的なストーリーは原作どおりだが、いくつか設定や展開を変えた部分もある。別々の物語が進行していき、最後につながるという構成だ。みんな金に困っていて、札束の詰まったバッグをめぐって争奪戦になる。
みんな借金まみれ
ジュンマン(ペ・ソンウ)は家業がうまくいかなくなり、サウナでアルバイトをしている。風采の上がらないしょぼくれた男だ。支配人から嫌がらせを受けているが、生活のために耐え忍ぶ毎日。家には認知症の母がいて、妻をいびり倒している。まったく希望の持てない生活だが、彼にも運が回ってきた。サウナのロッカーに置かれたままのバッグの中に、10億ウォンという大金が入っているのを見つけたのだ。
公務員でありながら怪しげな事業に手を出して失敗したのがテヨン(チョン・ウソン)。共同経営者で愛人だった女に逃げられ、莫大(ばくだい)な借金を抱えることになった。金を借りていたヤクザから返済を迫られていて、なんとか工面しないと命が危ない。知り合いをだまして金を奪おうとするが、彼とは連絡がとれなくなる。何らかの犯罪に関係していたようで、刑事がつきまとうようになった。どうやら、そのやさぐれた刑事にも裏の顔があるらしい。
ミラン(シン・ヒョンビン)は素人投資に失敗して借金を作った。薄幸顔の美女である。家庭は崩壊状態で、夫から激しいDVを受けている。ひそかに働いているデートクラブで、彼女は若い男に出会う。中国から不法入国したジンテ(チョン・ガラム)である。ほぼD.T.のウブな彼は、年上の女性が放つ色香に夢中になった。一緒に暮らすためには邪魔な存在があると思いつめたのは自然な成り行きだ。純真ゆえの短絡的な考えである。
都合のいいことに、ジンテはうってつけの“凶器”を持っていた。「ヒュンダイ・ソナタ」である。異国での生活で、唯一の息抜きはクルマに乗ってスピードを楽しむことなのだ。大きなウイングの付いた走り屋仕様なのが不思議に思えたが、これは原作の設定をそのまま使ったからだった。
トレノの代わりにウイング付きソナタ
小説では、若い男が乗っているのは白い「スプリンター・トレノ」である。「二十五年も前の車なので状態のいい中古車を探すのに苦労した。何たらいう漫画の主人公が乗っており、後輪駆動だから峠道ではどうのこうの……」という描写があったから、藤原とうふ店モデルだろう。韓国車にはトレノに相当するクルマが見つからなかったのか、ソナタが起用されることになったようだ。
この映画では、カジュアルに人が死ぬ。ソナタで2人がひき殺されるだけでなく、交通事故死もある。包丁を使ったシンプルな手法もあり、ちょっとここに記すのがためらわれる残酷な殺し方も登場した。水際立った暴力性を帯びたキャラクターも登場する。見た目からして不穏な殺人マシンで、無表情で命令に従う様子は心というものを持っていないかのようだ。そして、一番怖いのが人を利用して利益を得ることに罪悪感を抱かない女である。
悪人博覧会のようだが、この作品はコメディーである。大金を前にして獣と化した人間たちは、なんとも珍妙な行動をとる。その滑稽さを笑っているうちに、自分の中に潜む邪悪さに気づかされるだろう。欲望を抑えることのできるものだけに幸運は訪れるのだ。
結末は小説とは少し異なっている。悪は報いを受け、正直な人間には天から恩恵が与えられる。見事な収束で、爽快感さえあるエンディングだ。原作者の曽根圭介が「私は今、本作を手本にして原作を書き直したいと、半ば本気で思っています」とコメントしているのもまんざらウソではないと思う。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。