第42回:あるバイパー乗りのコルベット評(後編)
2021.08.28 バイパーほったの ヘビの毒にやられまして![]() |
MR化にDCTの搭載、そして右ハンドルの設定と、話題に事欠かない新型「シボレー・コルベット」。しかし、そもそもこのクルマの魅力は、外の声におもねらないドメスティックな存在感だったはず。C8はコルベットか否か? webCG編集部唯一のアメリカ車乗りが、実車に触れて抱いた思いを語る。
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モチーフはジェット戦闘機
(前編に戻る)
webCGが日本仕様のシボレー・コルベットを借り出したのは、7月初めのこと。活字系ウェブメディアの間では、比較的早いほうだったのではないかと思う。機械式の駐車場が満杯だったため、雨のなかを編集部まで走ってきた真っ赤な「3LT」は、地下の平置きスペースに鎮座ましましていた。
わたくし、先行公開の左ハンドル仕様を含め、新型コルベットに見(まみ)えるのはこれで3度目である。さすがに新しい発見はないかと思っていたが、お立ち台や照明などの“演出なし”で見た印象は、やっぱり違った。ハレの日のC8は、明るい有彩色も似合う陽キャなスポーツカーという趣だったが、暗い地下駐車場で見たC8は、「トーチレッド」のボディーカラーがほのかにくすんで、なんというかドスが利いていた。このデザインについて「ジェット戦闘機を意識した」と語っていたのは、エグゼクティブチーフエンジニアの“御大”タッジ・ジェクター氏だったか? 確かにそんな感じだ。
乗り込んでみても、運転席を囲うように配されたドアコンソールやセンタークラスター、デジタル式のインターフェイスがいかにも単座のジェット機である。ただ、案の定というかなんというか……このデザイン、助手席側の疎外感がハンパない(笑)。先代の「C7」でもその気はあったが、新型になって一気にハジけた感じだ。隣にお連れさんを乗せる御仁は、自身の魅力で車内の空気を持たせてください。
「……ま、独身の俺には関係のないことだし」と独り言ちつつ、ステアリング左奥の丸いイグニッションスイッチを押す(C7はなぜか四角かった)。ずわん! と車体を揺らす「LT2」の寝覚めに、これよ、これこれ、これなのよとマツコ・デラックスのように感動する。「ああ、C8もコルベットであった」と当たり前のことを実感しつつ、同時にそれが、後ろから伝わってきたのが新鮮だった。目と耳と、背中でミドシップを感じながら、編集部を出発する。
アシが変われば乗り心地も変わる
駒沢通り・山手通りと渋谷区を時計回り。甲州街道を横切ったらそのまま新宿をスイングバイし、まずはAカメラマン邸へと向かう。いにしえのアメ車のイメージが更新されていない御仁におかれては、「早朝の住宅街にコルベットで突撃して大丈夫?」なんて思われるでしょうが、ここ最近のアメリカ車は、アクセルを踏み込まなければその振る舞いは紳士的。低回転域で粛々と走る理知的なクルマなのだ。
しかしである。それにしたってC8はマナーがよい。どうしたことかと首をかしげるまでもなく、これは乗り心地がスバラシイのだ。ホイールトラベルの小さな感じはまさにスポーツカーのそれなのだけど、路面の凹凸を逐次なぞるような強情さはないし、段差を越えてもイタい系の突き上げもなく、デカいタイヤをぶるるんと持て余す詰めの甘さもない。ひたすらに、ヒタリと路面に足をつけて走る。
そしてやはり、過去のコルベットとは違うクルマなのだなあと実感する。
皆さんご存じの通り、C7以前のコルベットは、サスペンションのスプリングにコンポジットリーフを使っていた。車体をジャッキアップすると、底部を横断するデカい板バネがつり下がっていたのである。それもあって、過去のコルベットのライドフィールには、他のクルマには見られないほのかなツッパリ感と横方向の揺らぎがあった。
それが、新型にはないのである。これまた皆さんご存じの通り、C8のサスペンションは前後ダブルウイッシュボーン+コイルスプリング。そりゃあ乗り味も変わって当然である。洗練されたその振る舞いに感嘆するとともに、ちょっとだけ、あの大陸的乗り心地を懐かしく思い出す。
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雨でも安心して運転できる
そんなこんなでAカメラマン宅に到着。前後のトランクに機材を押し込み、撮影現場へと舳先(へさき)を向ける。ちなみに、C8のミドシップ化に際しては積載性の悪化を危惧する声も聞かれたが……これに関しては、記者は何ともイエマセン。FR時代のズドーンと広いラゲッジスペースが消えてしまったのは事実だが、プロカメラマンの撮影機材をしっかり飲み込んだのもまた事実。ミドシップのスポーツカーとして存外の積載性を有しているのは確かだろう。気になる人は、お気に入りのゴルフバッグでも持って、最寄りのシボレーディーラーに足を運んでみてください。
話を走りに戻しますと、この日は終日うっとうしい半夏雨だったのだが、悪条件の下でもコルベットの振る舞いは洗練の極みだった。操舵フィールはクリアで、舵の利きはリニア。コーナリングではみずすましのような姿勢のまま、ドライバーの思うラインをすいすいっとなぞっていく。ブレーキの操作性も文句なしで、踏み始めでいきなり「へこっ」と制動がかかるようなデリカシーのないまねはしない。そして皆さん、「LT2」……古式ゆかしきプッシュロッド式OHVの6.2リッターV8自然吸気ですよ。回転数が高まるにつれてトルクを増していくこのエンジンもまた、リニアの極み。いつまでに、どのぐらいのテンポで、どのぐらいまでパワーを上げるかというコントロールが、すごくしやすいのだ。
概してC8コルベットは、前後左右のすべての方向で、ドライバーの意思に忠実に動くクルマだ。切った以上に曲がることも、踏んだ以上に飛び出す/つんのめることもない。だからこそ、500PS級のミドシップのスポーツカーなのに、記者のようなへっぽこ野郎が雨の日に安心して運転していられるのだろう。いやはや。限界の高さがどうとか、エレキがどうとかも大事だけどさ、信頼できるクルマって、こういうもんでしょう。
日はあらたまって8月某日。今度は「コルベット コンバーチブル」を借り出していた記者は、前回試せなかったことをやってみることにした。フラットアウトである。
スネークダッシュなんかしなくても
アクアラインの料金所加速で、周囲を見計らってアクセルを踏んづける。またしても路面はウエット。トラクションコントロールで加速を絞られるかと思ったのだが、C8は遠慮がなかった。ナニかのスイッチでも入っちゃったかのようにLT2が雄たけびをあげ、車体が前に打ち出される。覚悟の甘かった記者とKカメラマンは、2人そろって首をドカン! とやられたのだった。イテテテテ。
それにしても、この加速感は過去のモデルとは異質だ。エンジンの発するトルクがそのまま推進力に変換される感じで、伝達過程でのロスや、あるいは左右への逃げなどが一切感じられない。だいたい、C7でこんなことしたらお尻がムズムズしたもんである。なるほどねえ。……C8はもう、スネークダッシュとか、しないんだね。
かように新型コルベットは、一介の編集部員が意地悪く何かを試してみても、そのたびに完成度の高さを思い知らされるクルマだった。ドライバーのささやかな操作にも意図をすくいとって反応してくれるし、何よりLT2の滋味深さである。その辺をちんたら走っているだけでも楽しいし、心地よい。
それでも、それでもである。この期に及んでも「FRのコルベットが惜しくない」と言えば、それは嘘になる。キャビンの真ん中をドラシャがぶち抜き、床下を排管が通ることからくる、得も言われぬ脈動感。アクセルを吹かすごとに揺さぶられる車体。厚かましいまでのブイハチの存在感と、その放埓(ほうらつ)ぶりを容認する、懐深い制御とシャシー設計。そうした、クルマの性能とは無関係な(モノによってはむしろマイナスな)どーでもいいあれやこれやが、ふと懐かしく思い出されるのだ。
ただ、そんな厄介系オタクの曇ったまなこを通してみても、一個のスポーツカーとしてのC8のすばらしさには、疑念を挟む余地はない。それに、「C7の進化版か?」と問われれば個人的に「NO!」なC8だが、それでもこのクルマは、確かにコルベットなのだ。シボレー特有のインテリアの匂いに、おなじみのBOSEサウンド、内外装に色濃くただよう益荒男(ますらお)ぶりな趣。そして何より、背中で感じる“ご本尊”LT2の存在である。えんえん走り続けるのを苦にさせないグルーヴ感みたいなものは、C8でも確かに健在だった。
C8はアメリカ人がデザインしたフェラーリでも、“スモールブロック”を積んだマクラーレンでもない。このクルマを的確に言い表せる形容はやはり、「ミドシップのコルベット」なのである。
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やっぱりまぶしくて直視できない
特に前世で徳を積んだ覚えはないのだが、ありがたいことに記者は、公私において初代を除くすべてのコルベットのハンドルを握ったことがある。そして僭越(せんえつ)ながら、このクルマの波乱万丈を人よりちょっとだけ詳しく理解している……と、勝手に思っている。
「現存する世界最古のスポーツカー銘柄」ということもあって、コルベットというと保守的でかたくななイメージを持たれがちだが、実際には存外に変化に柔軟なクルマだった。気合で曲げる豪快野郎から、峠も得意なハンドリングマシンへと宗旨替えした「C4」、あるいはGMのサーキット復帰を担うワークスマシンとして、世界基準のスポーツカーに脱皮した「C5」あたりの“衝撃”は、記者よりむしろ、当時を知る読者諸兄姉のほうが詳しいに違いない。
もしこうした変化を嫌っていたら、コルベットは68年も(!)歴史を重ねてはこられなかっただろう。それこそC3の終わりあたりで、「ファンに怒られるのやだし、やーめた」なんてことになった可能性もあるわけで、つくづく年輪を重ねることと、変化することは同義なのだと思う。
それでも、今回のミドシップ化がコルベット史上最大の事件であったのは間違いなく、それだけにC8からは、「次の時代はこれで行く」というGMの強い意志を感じるのだ。やがてはこのモデルもファンに受け入れられ、歴史に組み込まれ、「コルベットといえばロングノーズとコークボトルライン」という世代の記者は、原始人になっていくに違いない。
C8を見ていると、世評を恐れずクルマづくりに取り組んできたGMにも、変化をおおらかに受け入れてきた懐の深いファンにも、敬服の念を禁じ得ない。純粋なコンセプトに殉じ、2017年に絶版となったダッジ・バイパー乗りの目には、未来へと血をつないだミドシップのコルベットが、やっぱり、ちょいとまぶしく映るのだ。
(webCGほった)
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堀田 剛資
猫とバイクと文庫本、そして東京多摩地区をこよなく愛するwebCG編集者。好きな言葉は反骨、嫌いな言葉は権威主義。今日もダッジとトライアンフで、奥多摩かいわいをお散歩する。