第237回:アステカ神話が現代によみがえる壮大なノワール
『テスカトリポカ』
2021.08.30
読んでますカー、観てますカー
麻薬戦争から逃れた少女が日本へ
タイトルが発音しにくいうえに覚えにくい。最初は“テスカトポリカ”と読み違えていた。『テスカトリポカ』はアステカの神である。ナワトル語で“煙を吐く神”という意味だそうだが、まったくなじみがないからよくわからない。この小説は、アステカ神話をモチーフにしたノワールである。メキシコで起きた麻薬戦争を扱い、日本での臓器売買ビジネスへとつながっていく。グローバルな闇の世界を神話的なロジックで描く、大きな骨格を持つ作品だ。
物語はメキシコのシナロア州都クリアカンから始まる。町は麻薬カルテルに支配され、暴力と恐怖に覆われていた。1996年に17歳の少女だったルシア・セプルベダはアメリカに渡りたいと思っていたが、国境を越えるためには麻薬密売人に手引きを頼むしかない。それは、彼らにつけこまれる危険を冒すことになる。ルシアはひそかに町を脱出し、アカプルコへ。そこで出会ったペルー人のアドバイスで、稼ぎがいいという日本に渡った。
短期滞在ビザしか持っていないルシアは、正規の職に就くことなどできない。強制送還におびえながら闇カジノで働くようになる。読者は苦労を重ねてきた彼女が新天地で幸せをつかむことを心から願うが、現実は甘くない。ルシアが結婚したのは、川崎のヤクザだった。在留資格が認められたのはよかったが、故郷と切り離された地で孤独を深めていく。2002年に長男のコシモを出産するが、夫は家に寄りつかなくなった。
コシモは強靱(きょうじん)な肉体を持つ少年に育ち、暴力衝動を抑えきれなくなる。2015年に悲劇的な事件を起こして少年院に入った。同じ頃、メキシコでは麻薬組織同士の抗争が激化。強大な力を持っていたロス・カサソラスは新興勢力のドゴ・カルテルのドローン攻撃を受け、カサソラ四兄弟のうち生き残ったのは三男のバルミロだけ。命からがら逃げ出した彼はコンテナ船でリベリアに渡る。南アフリカ、オーストラリアを経てインドネシアにたどり着き、再起の機会をうかがっていた。
メキシコの都市と川崎の共通点
麻薬組織は、互いに相手を徹底的にたたきつぶそうとする。共存という考え方はないのだ。シカリオと呼ばれる殺し屋がターゲットを無慈悲に仕留めるのだ。方法は残虐であることが望ましい。恐怖を与えることで優位に立つことができるのだ。バルミロには<粉(エル・ポルボ)>という二つ名があった。コカインを扱っていることも関連しているが、もっと恐ろしい由来がある。彼は敵対する組織の構成員を生け捕りにし、生かしたまま液体窒素で……いや、思い出したくもない。
バルミロは敵対者を殺すとナイフで心臓を取り出す。死人を汚す行為ではない。心臓はいけにえとして神にささげられるのだ。自分の中に宿る聖なる力を強めるための儀式である。彼は祖母から祖先がアステカの戦士だったことを教えられており、神聖な使命を果たす義務があると信じていた。ただの殺人ではなく、宗教的行為なのである。信仰を持つ者は、現実の戦いにも強い意志で立ち向かう。
著者の佐藤 究は、アステカの歴史や神話について膨大な文献にあたったようだ。現代の麻薬戦争と神話的な戦いが二重写しにされており、濃密な物語が展開する。日本語の単語やセリフにスペイン語やナワトル語のルビが付いていて、情報量がやたらに多い。メキシコの麻薬事情、インドネシアの闇社会、臓器売買の実態などについてもよく調べられていて、執筆に3年半かかったというのも納得である。
バルミロはインドネシアで臓器売買に関わるようになり、より規模の大きなビジネスに育てるために日本に渡る。拠点としたのは川崎である。彼は地図を見て既視感を持つ。自分が生まれ育ったメキシコのヌオバ・ラレドに似ているのだ。ヌオバ・ラレドの北東側には大河リオ・ブラボーが流れ、川の向こうにはアメリカがある。川崎と東京・大田区の間には多摩川。「どちらも川を挟んだ北側に、資本主義の圧倒的な光が輝いていた」という記述は、もちろんただの比喩だと思う。
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六郷橋でSUVとミニバンの決戦
固有名詞の多さもこの小説の特徴だ。ちょい役の登場人物にもすべて名前が与えられているし、「レミントンM870」「H&KのMP5」「アサルトライフルAR-1」とかの武器名、そしてテスカトリポカ以外の神の名前もたくさん出てくる。クルマも具体的な車名が記されているものがほとんどだ。ざっと数えてみたところ、22台が登場していた。
麻薬組織の抗争では「ジープ・グランドチェロキー」「ランドローバー・レンジローバー」「ダッジ・ラム1500」などが活躍。舞台が日本に移ってからは「ホンダ・ストリーム」「三菱アウトランダー」「スバル・インプレッサ」といった穏健なラインナップになるが、後でそれらのクルマも邪悪な目的で使われたことがわかってくる。
地名もかなり詳細だ。コシモが11歳の時に6人の高校生をボコボコにした川崎区の公園はだいたい見当がつくし、彼がベトナム系半グレ集団を襲撃した場所は正確に特定できる。「トヨタ・アルファード」と「ジープ・ラングラー」が相まみえる最後の決戦となった六郷橋は、「東京都、大田区、神奈川県、川崎市、四つのカントリーサインが表裏一体となった標識の真下」という説明まである。GoogleMapを見れば、はっきりとその場所を確認できるのだ。
この作品は、第165回直木賞受賞作品である。選考では激論があったようで、林真理子は講評で「こんな描写を文学として許してよいのか」という反対意見があったことを明かしていた。『オール読物9・10合併号』に掲載された選評を見ると、「人間不在の反文学」「最後まで小説として認められなかった」という理由で反対していたのは想像していたとおりの人物だった。三浦しをんと宮部みゆきはかなり怒っていて、選評で彼らに小説の鑑賞の仕方を懇切丁寧に説いている。1998年の第5回ホラー大賞の選考で高見広春の『バトル・ロワイアル』を「こういうことを考えるこの作者自体が嫌い」と切り捨てた林真理子だって成長できたのだから、大御所男性作家には精進を求めたい。
エピローグを除くと、この小説は2021年8月26日で終わっている。リアルタイムの物語なのだ。読後に六郷橋をクルマで走ると、これまで見えなかった風景が立ち現れてくるような気がする。
(文=鈴木真人)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。