さようなら「日産シーマ/フーガ」 自動車史を彩る日産プレミアムセダンの系譜を振り返る
2022.04.29 デイリーコラム日産の高級セダンの系譜が途絶える
日産が「シーマ」と「フーガ」の販売を終了するという。理由とされているのは、2022年9月1日から適用される騒音規制だ。両車に搭載されるハイブリッドシステムでは、新たな規制値を達成することができないらしい。同様のシステムを使っている「スカイライン」のハイブリッド版も生産終了が決まり、ガソリン車のみが残るということだ。
筋の通った説明ではあるが、納得するのは難しい。“技術の日産”なのだから、システムの改良で対処することは可能なはずだ。両車の廃止は、そこまでガンバる必要がないという判断があってのことなのだろう。セダンというジャンルが衰退していることは明らかであり、そこに資金と人材を注ぎ込むことをやめるのは企業としては正しい決定なのだ。日産はすでに「シルフィ」や「ティアナ」をラインナップから落としており、既定の方針だったといえる。
ライバルを見ても、ホンダは2022年1月に「レジェンド」の販売を終了。トヨタも2020年8月に「レクサスGS」の生産をやめた。「トヨタ・クラウン」は健在だが、次期モデルはSUVになるといううわさも流れている。海外でも、フォードが2018年に北米でのセダン販売から撤退するという姿勢を明らかにしている。世界的に乗用車の主流はSUVになっており、日本ではコンパクトカーやミニバンも売れ筋だ。2021年に販売されたシーマは75台で、フーガが580台。クルマの出来うんぬんではなく、セダンを選ぼうというユーザーがいなくなったのだ。
先進性を武器に王者に戦いを挑む
かつてはセダンがクルマの王様だった。トヨタは「カローラ」「コロナ」、クラウン、日産は「サニー」「ブルーバード」「セドリック/グロリア」を並べて競い合ったのだ。エントリークラスから高級車へとステップアップすることが、人生の階段を上ることのわかりやすい表現となっていた。
クラウンは1955年にデビューしている。当時は日本の道を走っていたセダンは輸入車ばかりで、国産車はほとんどがトラックなどの商用車だった。日産、日野、いすゞが欧米メーカーのノックダウン生産でセダンを製造していたが、トヨタは純国産車の開発にこだわる。日本の自動車産業にとって、クラウンは画期的な製品だった。
一方、日産はノックダウン生産で自動車製造のノウハウを蓄えた。クラウンより小型の「ダットサン110」を販売したが、トヨタの牙城を崩すべく1960年にセドリックで参戦する。クラウンより高出力な最高出力71馬力の1.5リッター直列4気筒OHVエンジンを搭載し、4段マニュアルトランスミッションを採用。日本初となるモノコックボディーは軽量で高剛性を誇り、先進性をアピールした。
セドリックはクラウンのライバルとして、長きにわたって勝負を繰り広げることになる。相手は絶対王者のクラウンであり、勝つのは容易ではない。販売台数で上回ったのは、1971年に発売された3代目モデルのみ。対するクラウンが当時としては先進的すぎるデザインを採用して不人気だったからだった。この間、日産は1966年にプリンス自動車と合併し、プリンスが1959年から販売していたグロリアがセドリックの姉妹車に。両車は合わせて「セドグロ」と呼ばれるようになる。
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社会現象を引き起こした「シーマ」の登場
日産が一矢を報いたのは1988年のこと。セドグロの上級版としてシーマ(当時の名称は「セドリックシーマ/グロリアシーマ」)を発売したのだ。3ナンバーの専用ボディーに3リッターV6エンジンを搭載した、優雅で堂々とした4ドアハードトップである。1980年代の日本ではいわゆる“ハイソカー”が人気になっており、トヨタの「マークII」3兄弟や「ソアラ」などがもてはやされていた。シーマはその頂点に君臨するモデルと受け止められたのである。
当時はバブルの最盛期で、『君の瞳をタイホする!』『抱きしめたい!』といったトレンディードラマが高視聴率を誇っていた頃だ。世の中は浮かれ気分で、ハイパワーでゴージャスなクルマがトレンドだった。シーマは時代の空気にジャストマッチしたのだ。500万円を超える高価格だったが、1年間で3万6400台を売り上げる。“シーマ現象”という言葉が生まれ、その年の新語流行語大賞で銅賞を獲得した。
翌年は“日本車のヴィンテージイヤー”と呼ばれる1989年。「トヨタ・セルシオ」「ユーノス・ロードスター」「日産スカイラインGT-R」が発売され、世界に日本車の実力を知らしめた。今になってみれば、シーマは露払いのような役割だったように思える。しかし、この年の暮れに日本では株価が大暴落。1990年代は長い後退の時期となり、ハイソカーブームは一気に収束した。
セダン衰退を加速させた社会の変化
フーガが登場したのは2004年。セドリック/グロリアの後継車という位置づけである。この年はクラウンとレジェンドの新型モデルが発表されていて、日本の高級セダンがそろって次世代像を提示するかたちとなった。フーガは「高級車のパフォーマンスをシフトする」というキャッチフレーズを掲げ、走りを売りにする。当初は3.5リッターV6エンジンモデルがトップグレードだったが、翌年に4.5リッターV8エンジンを追加。北米では「インフィニティM」として販売されるプレミアムサルーンだった。
2009年にモデルチェンジを受けて2代目となり、翌年にハイブリッドモデルが誕生した。3.5リッターV6エンジンとモーターに2つのクラッチを組み合わせたシステムである。シーマは2010年に生産終了となるが、2012年にハイブリッド専用車として復活。フーガをベースにホイールベースを延長したモデルだった。
マイナーチェンジはあったものの、シーマもフーガも販売は先細りで新型を開発する機運は生まれなかった。セダン以外でも新しいモデルの開発が進まず、日産の販売は低迷する。明るい話題は、シリーズハイブリッドの「e-POWER」が設定されたコンパクトカー「ノート」がスマッシュヒットを放ったことだろう。電動化が喫緊の課題となっている状況で、e-POWERは日産の貴重な武器となった。
SUVが主流となり、モビリティーに新しい課題が突きつけられているなかで、伝統的な4ドアセダンが旧時代の遺物として扱われるのも致し方ないだろう。悲しむことはない。シーマの名は、日本の自動車史に刻まれている。“現象”と呼ばれたクルマは、後にも先にもシーマだけなのだ。
(文=鈴木真人/写真=日産自動車/編集=堀田剛資)
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鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。