第822回:大矢アキオの夏休み家庭訪問 フェルッチョ・ランボルギーニは生きていた
2023.08.24 マッキナ あらモーダ!主役ではなかったスーパーカー
今回はアウトモビリ・ランボルギーニの創業者、フェルッチョ・ランボルギーニ(1916-1993)の生家と、彼が生きた町の訪問記を。
フェルッチョといえば、子息トニーノによる父の伝記を、筆者がイタリアの書店で発見したのは2000年代初めのことだった。『父と母を敬え』(1997年)というその本を開く前、筆者が想像したのは、エンツォ・フェラーリとの確執といった有名なエピソードや、「ミウラ」「エスパーダ」といった黄金期のクルマたちの開発秘話だった。
しかし同書を読み進めてみると、その舞台の中心は華やかなモーターショーではなかった。代わりに、冬の濃霧、夏の酷暑といったエミリア平原における典型的気候と、農村風景をバックに物語が展開されていた。
家族の一員という独特の視点で描かれたフェルッチョ像に魅せられた筆者は、トニーノ氏と交渉して翻訳を手がけ、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)として2004年に上梓(じょうし)した。
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フェルッチョの生家は今
2023年夏、久々にフェルッチョの故郷であるチェント町を訪ねた。ボローニャからは県道を北上してわずか32kmだが、行政区分としてはボローニャ県ではなく、フェラーラ県に属する。
実際にはフェルッチョの生家は、チェントの町からさらに5kmほど離れたレナッツォという地区にある。向かう途中のロータリーには、古いランボルギーニ製トラクターが数台飾られていた。そして地区の入り口にある標識には「フェルッチョ・ランボルギーニの生誕地」という文字が。さらに広場には、彼にささげる彫刻が建立されていた。ロータリーのトラクターは2016年に、広場の彫刻は2006年に置かれたという。かつてより、フェルッチョを町興しに用いようという気概が感じられるようになった。
フェルッチョの生家は畑のなかだ。そこに至る道は、今日も未舗装である。実は前述の翻訳を手がける際のこと、トニーノ氏から「他の所有者のものになっているが」と説明されたうえで、氏のクルマの中から通り越しに見たことがあった。邸内を訪問するのは今回が初めてである。
現在、フェルッチョの生家を所有しているのはコレッティさんという家族であり、当日は同家のマッティアさんが迎えてくれた。ランボルギーニ家は数百年にわたってこの地で農業を営み、フェルッチョの両親は自己所有の畑と小作農園で、麻や牧畜を手がけていた。いっぽう、コレッティ家の家業は、マッティーアさんの父・チェーザレさんが1973年にチェント市内に興した各種ギアおよびシャフトの製造会社である。
チェーザレさんは、入手に至った経緯を説明する。「フェルッチョは4人兄弟でした。末っ子シルヴィオの、その息子が家を相続していました」。マッティーアさんが続ける。「ただし実際の登記簿には、別にもうひとりの名前が記されていました。上屋・土地いずれもです」。
そもそも前所有者たちは、ここがフェルッチョの生家であったことを、あまり意識していなかったという。先に記したロータリーや広場が近年になって完成したように、この家もあまり尊ばれなかったのである。自動車専門ウェブサイトである『webCG』の読者諸氏には理解しがたいだろうが、長い歴史をもつイタリアである。20世紀を生きた人物の扱いはたびたび軽んじられる。
前所有者たちが売却の意向を示しても、煩雑な所有形態ゆえに、ランボルギーニ家、チェントの町役場とも購入に関心を示さなかった。「やがて不動産業者が所有権をひとつにまとめる作業に成功。それを父が2000年7月に購入したのです」。
以後、コレッティ家は修復を続けてきた。イタリアで家屋の修復は、数十年をかけて丹念に行うことが多い。ゆえに購入から23年がたった今もレストア中というのは、大いに納得できる。
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新所有者のもとでの幸運
敷地内では、母屋も含め3棟が庭を囲んでいる。長男であったフェルッチョ・ランボルギーニが、「お前が農業を継ぐのがしきたりだ」と主張する父アントニオと口論を繰り広げたのは、ここだったのか。
フェルッチョが若き日に工作作業にいそしんだオフィチーナ(作業小屋)のファサードも、コレッティ家の人々によって美しく修復されていた。
フェルッチョが10歳だった1926年のことだ。畑仕事を手伝わず、作業小屋にこもってばかりいる彼のもとを、小学校の教師をしていた村の神父が訪ねてきた。フェルッチョは、こう振り返っている。「しばらく俺が工作しているのをじっと眺めていたよ。そして暖炉の炭をひとかけらつかんでから、俺に外に出るよう言ったんだ」(『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』より)。しばらくしてから呼ばれて行ってみると、大きなブドウの葉が描かれていた。そして脇には、こう記されていた。『希望をもって働けば、葉のあと必ず実を結ぶ』。そして神父は再び、霧のなかに消えていったという。それがフェルッチョの座右の銘となったことは、本欄第806回でも紹介したとおりだ。チェーザレさんは説明する。「工作室のあとは、1960年代まで牛12頭の飼育に使われていたと聞いています」。
今日、コレッティ家は一族3世代で敷地内に暮らしている。人が住んでいるということは、維持も行われる。フェルッチョの生家が美しくよみがえっていくことが期待できる。年間予算の過多によって放置、もしくは閉鎖されてしまうこともある自治体の所有・管理よりも恵まれている。没後30年を迎えた2023年には、地元ライオンズクラブの尽力で、フェルッチョの生家であることを示す石板もファサードに掲げられた。
さらにコレッティ家は、愛好家クラブによるツーリングのルートなどに、自分たちの敷地を公開している。ちなみにマッティーアさんと彼の3人の兄弟、そしていとこはバンドを組んで演奏活動を繰り広げている。そうした開放的・社交的な家風が、フェルッチョの生家の認知度を、かつてなく向上させているに違いない。同時に、彼らはあくまでも自然体だ。マッティア―ノさんは話す。「私たちは、ごく普通の生活を営みながら、訪れる人がいるたび、この場所の大切さを認識しているのです」。なんといい持ち主に当たったことだろう。
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伝説の男の日常
チェントの町に戻れば、その後のフェルッチョの足跡もしのぶことができる。例えば、彼が小学校を卒業後、親の反対を押し切って入学したタッディア職業訓練学校(現:タッディア工業工芸高校)が現存する。トラクター製造の草創期にフェルッチョは、この学校すなわち母校の卒業生をかき集めた。
第806回で紹介した伝記映画の撮影に用いられたカフェ・イタリアも、地元の人に聞きながら探し当てた。残念ながら2022年頃に閉店したようだが、ガラス越しにのぞけばリバティ様式の内装に往時のにぎわいをしのぶことができた。今でもフェルッチョが生きていて、なかから「よう、青年。カフェをおごるぜ」と筆者に声をかけてきそうだ。
ピアッツァ(広場)に立って思い出すのは、フェルッチョと、彼の仕事を支えた妻アンニータの出会いである。彼女はボローニャで小学校教師をしていて、毎日広場からバスに乗っていた。フェルッチョは回想している。「彼女を見たいばっかりに、何度チェントの広場に通ったか」。
広場といえば、草創期の自作トラクターを展示していたのも、市が立つ日のピアッツァだったという。いっぽうチェント貯蓄銀行は、金策に苦労していたフェルッチョが、父親の畑を担保に経営資金を借りに駆け込んだ場所である。
メインストリートのグエルチーノ通りにある映画館も、関係者の計らいで、内部を見せてもらうことができた。フェルッチョは、ランボルギーニの名前が広く知られるようになってからも、リストランテで夕食を楽しんでから映画館に繰り出すのが週末の家族行事だった。
後年、フェルッチョの奔放な女性関係がたたり、アンニータとの関係は冷えきる。しかし、同じスーパースポーツカーの創造主でありながら、「サーキット」「子息ディーノの死による苦悩」といった印象がつきまとうエンツォ・フェラーリとは明らかに異なる人物像が浮かんでくるのだ。
ベーカリーのウィンドウには、フェラーラ独特のパン、コッピア・フェラレーゼが。正直なところ、筆者自身はそのパサパサ感が、あまり口に合わない。しかし「なぜ高性能GTは皆、エミリア地方の製品なのか」と質問した著名ジャーナリスト、ジーノ・ランカーティ氏に対して、フェルッチョは「世界一うまいパンは、ここフェラーラのパンでしょうか。生えてる草だって、ここのが一番ですよ」と豪快に答えたという。
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きっと、新たなランボルギーニ観
実はフェルッチョ・ランボルギーニが、新たにサンタガタ・ボロネーゼに工場を興し、スーパースポーツカーづくりに没頭した時期は極めて短い。「350GTVプロトタイプ」のベアシャシーを公開した1963年秋から、51%の株式を売却した1972年まで、わずか9年間なのである。
いっぽう、1916年生まれの彼が、第2次世界大戦でギリシアに招集された時期を経て、1974年に58歳でウンブリア州の農園に引っ越すまで、人生の大半はここチェント周辺で展開されたのである。76年にわたる彼の生涯で、故郷で過ごした時間は、スーパースポーツカーの時代より、はるかに長いのだ。
チェント町の人口は2010年から3万5000人台と、横ばいが続く。チェンテーゼ(チェントの人々)のなかには、町がもっと変貌を遂げながら発展・拡張してほしかった人も少なくないだろう。しかし、郷土の偉人が眺めていたのとほぼ同じ風景が、今もそこにある。この地を訪問した人誰もが、新たなランボルギーニ観を獲得することは間違いない。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/大矢麻里<Mari OYA>, Akio Lorenzo OYA/編集=堀田剛資)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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