第854回:「黒いテール」流行の兆し その功罪
2024.04.11 マッキナ あらモーダ!バスまで波及
近年、後部の広い面積を黒いパネルやガラスで覆うクルマを散見するようになった。2020年「フォルクスワーゲン(VW)ID.3」、2022年「トヨタ・アイゴX」といったクルマがその一例である。その潮流はバスにも及び、VWグループの重商用車ブランド、MANの観光バス「ライオンズ コーチ」もそうした後部をもっている。
黒い後部には、ひとつの欠点がある。「汚れが目立つ」ことだ。それに気づいたのは、2021年2月にイタリア・トリノのイタルデザインで、「日産GT-R50 by Italdesign」を試乗したときである(参照)。黒い樹脂製パネルで覆われた後部は、少し走っただけでも汚れが浮く。借り出したのはいいものの、さまざまな場所で撮影のたび、埃(ほこり)を拭き取るのに苦労した。
白い麻のスーツは、手入れに手がかかるのをいとわない人のみ着られるように、GT-R50 by Italdesign級の自動車になれば、常にきれいにしておく人が乗るから問題はなかろう。しかし、VW製EVの入門モデルであるID.3や、アイゴXのような日常車の後部を汚れが目立つ黒にしてしまうというのは、いささか疑問である。今回は、この「黒いテール」について考えたい。
黒が秘める神秘性
後部にガラスや黒いパネルを用いて視覚的に引き締める手法は、かなり以前から用いられてきた。1983年「ホンダ・“ワンダー”シビック」、1985年「アウトビアンキY10」には、いつくかのメリットが見いだせた。デザイン的観点からすると、テールゲートを同色にするよりも、大胆にテールを切り落とした感を強調できた。加えてY10の場合、テールゲート全体が黒かったので、特別仕様車などを除き、どのような車体色にも対応できた。すなわち部品点数や工数の削減を実現できたのである。
その後、面積の広いガラス製ハッチによって黒いテールが強調されるようになった。2005年初代「トヨタ・アイゴ」、2011年「VW up!」がその例である。これには通常のテールゲートよりもコストダウンできるという利点があった。
黒い色に人々が神秘性を見いだすのは、自動車に限ったことでないのは、美術史を見ればわかる。ロシア・シュプレマティスム(絶対主義)の代表である画家カジミール・マレーヴィチによる1915年の絵画『黒の正方形』だ。キャンバスには物が描かれていない。黒く塗りつぶされただけである。ただし彼はそれまでの絵画とは異なり、描写対象から鑑賞者を解放することで、新たな視覚的概念を開拓した。黒には無限の広がりがある。
米国で活躍したロシア出身の画家マーク・ロスコによる1963年『No.14(闇の上の茶)』もしかり。収蔵されているパリ・ポンピドゥー・センターを夜間開館日に訪れるたび、その作品は窓外に広がる夜闇に増幅され、霊妙なる闇となる。
プロダクトデザインで黒といえば、アップルの「iPhone」であろう。2007年にその初代が発表されたとき、タッチボタン式携帯電話に慣れていたわれわれは戸惑いと同時に、通電時に黒い画面に浮かび上がるアップルマークの神秘性に取りつかれたのである。
「黒」に頼るな
こうした黒の特性を考えると、自動車後部におけるその応用が極めて有効な手段であることがわかってくる。マレーヴィチ流に考えれば、デザイナーは私たちに「どう見えるか」を託してしまえるのである。
加えて、開発段階のプレゼンテーションにおいては、ひと目で「クール」に映る。採否の決定を下す経営陣も、「クリニック」といわれる事前アンケートに招集された顧客も、一見したときの見栄えに気をとられる。走るのが舗装路ばかりとは限らないこと、北アフリカからの砂を含んだ雨が一瞬にしてクルマを汚してしまうこと、そして筆者のように数カ月に一度しかクルマを洗わないユーザーがいることなど、忘れてしまうのである。
したがって筆者は、逆に「黒」に頼らないデザインができることこそ秀逸なデザイナーだと信じている。例として挙げるのは、くしくも同じ1974年に発売された2台の欧州車、「シトロエンCX」と初代「VWゴルフ」であろう。前者はロベール・オプロン、後者はジョルジェット・ジウジアーロの作である。CXの凹型リアウィンドウは個性的、かつ(それが今日における最適解かは別にして)雨滴の流れを助けるという効果をともなっていた。ゴルフのテールゲートの造形は、車両の強固さを見る者すべてに印象づける。
蛇足ながら、2012年英国ナショナル・モーターミュージアムで開催された007ボンドカー企画展の解説によると、俳優ショーン・コネリーがオーディションに現れた際、スタッフが抱いた第一印象はあまりよいものではなかった。だが、彼が立ち去る姿を見た瞬間、「ジェームズ・ボンド役にふさわしいのは、彼しかいない」と確信したという。後ろ姿は、常に大切なのである。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA> /写真=Akio Lorenzo OYA、大矢麻里 Mari OYA、フォルクスワーゲン、トヨタ自動車、ステランティス/編集=堀田剛資)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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