第881回:未来は「縦車を押して」開かれる! これがイタルデザインの新モビリティーだ
2024.10.17 マッキナ あらモーダ!自動車+エレベーターという発想
「横車を押す」ということわざがあるが、縦車を押すクルマがある。その名を「クライムビー(Climb-E)」という。自動車/プロダクトデザイン開発で知られるイタリア・トリノのイタルデザイン社が提案した、次世代モビリティーのコンセプトである。
端的に説明すると「横の移動」と「縦の移動」を統合したモビリティーだ。計画にはトリノ工科大学、シンドラーエレベーター、そして新興エンジニアリング企業であるイージーレイン社も参加している。
装置の中心は、人が乗る「カプセル」部分と、道路を移動するための「ドライブトレイン」である。カプセルは集合住宅のバルコニーに共用部分を介することなく横づけされる。戸別のエレベーターに乗る感覚だ。ドアが閉まるとカプセルは建築物に設置された昇降装置を用いて垂直に下降。地上階に待つドライブトレインと合体する。そして自動運転で目的地へと向かう。
オフィス、ホテル、別荘など目的地に到着すると、カプセルはドライブトレインと切り離され、昇降装置を介して上昇。目的階まで乗員を運ぶ。「戸口から戸口へ」とは旧・国鉄コンテナの懐かしい広告スローガンであるが、まさにその近未来版である。
このクライムビーをイタルデザインは「地域の持続可能な都市モビリティーへの進化と、環境、社会、ガバナンス問題への対処に直接対応でき、可能性ある未来の都市シナリオ予測に完璧なプロジェクト」と定義する。
初公開は、イタルデザインの創立55周年にあたる2023年、米国ラスベガスのエレクトロニクス/IT見本市「CES」で行われた。この構想について今回筆者は、後日の進展も含めて、トリノのイタルデザイン本社で話を聞く機会を得た。
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美容院が、診療所がやって来る
クライムビーを導入するにふさわしい都市は? 同社のインダストリアル部門でビジネス開発を担当するフィオレンツォ・ピラッチ氏は、「すべてが白紙から建設される都市です」と答える。また、もうひとつの開発の意図としてピラッチ氏は、「創業以来イタルデザインが両輪とする、デザインとエンジニアリングの双方の力量を提示するためでした」と振り返る。加えて「デモ用車両のインテリア素材は、慎重に選択しました」と強調する。たとえ技術中心のプレゼンテーションであっても手を抜いていない。
同席したイタルデザインの広報担当者は、前述したような個人移動以外の用途も示唆する。「クライムビーが“媒体”として変化することで、社会に変化をもたらすのです。今日、市民はサービスを享受するために外出する必要があります。いっぽうで、クライムビーのある社会では、顧客は家にいればよくなります。美容院やショークッキング(ゲストの前で調理するサービス)が顧客の家まで来てくれるのです。しかし、より重要なのは医療用です。サービスを望む人の多くは、移動に支障がある、もしくは困難な人なので、重要度はさらに増します」
ピラッチ氏同様、インダストリアル部門でビジネス開発に従事しているコッラード・ベッキオ氏は「今日『自動車』という言葉は、もはや明確な言葉ではなくなりつつあります。代わりに『モビリティー』という言葉があるからです」と語る。そしてこう続けた。「モビリティーのエコシステム的観点からすると、個人的移動手段であるスクーターから公共交通機関である飛行機までが含まれ、いずれも相互に関連しあっています」。ゆえに、社会全体という規模で考える場合、もはや車両開発という枠を当てはめるのは困難であるという。自動車とプロダクトデザイン双方を手がけてきたイタルデザインにとっては、まさに真骨頂といえる。
CES公開後の進展は? その質問に対して、まずベッキオ氏は、導入が期待できる地域としてアラブ首長国連邦を挙げた。「同地では工業地帯、都市とも成長しようとしています。その代表例がサウジアラビアのユニークな『ザ・ライン』です」。ザ・ラインとはサウジアラビア北西部に建設中のスマートシティーである。運営会社NEOMの会長はムハンマド・ビン・サルマン皇太子が務めている。幅200m、高さ500mの建物が170kmにわたって続くという、想像を絶する巨大建築物だ。170kmといえば東京から静岡までの距離に相当する。完成時には総面積34km2のなかに9万人が居住する。あらゆる生活インフラには徒歩5分以内で到達可能で、従来の自動車は禁止され、代わりに高速鉄道が移動手段となるという。
ベッキオ氏は「現在までに、さまざまな国、都市、地域から、どのようにクライムビーを導入できるか、私たちに問い合わせがありました」としたうえで、「現段階ではこれ以上お話しできません」と結んだ。
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イタリアではできない、でもイタリアらしい
イタリアは、長い歴史と都市文明に裏づけられた素晴らしい国である。しかし、地下鉄の新設や延伸工事を開始すると、必ずといってよいほど遺跡が発掘され、その調査が終わるまで工事が中断してしまう。残念ながらクライムビーのようなモビリティーの導入は難しい。
しかし、そうした国の企業だからこそ、持ち前のデザインに対するセンスとアイデア能力を武器に、常に外に目を向けてチャンスをうかがう能力にたけているのだと筆者は考える。
それはレオナルド・ダ・ヴィンチがフィレンツェ郊外出身の芸術家でありながらミラノ公国に渡り、同国がフランスに敗れるとヴェネツィア共和国で軍事技術者として奇想天外ともいえる兵器群の開発にあたったのを思い起こさせる。
ある日、われわれの想像をはるかに超えた新興都市で、クライムビーを体験できるかもしれないと今から楽しみではないか。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=イタルデザイン、Akio Lorenzo OYA/編集=堀田剛資)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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