第900回:そろそろ「履歴書」になるビルを建てようよ ―ホンダ本社解体に思う―
2025.03.06 マッキナ あらモーダ!黒の「レジェンド」
東京・港区のホンダ青山ビルが2025年春から解体される予定だ。新しい社屋の完成は2030年度を目指すという。
ホンダ青山ビルは椎名政夫氏の設計で、1985年8月の竣工(しゅんこう)である。冒頭から個人的な思い出を記すと、完成後間もなく同ビル脇の駐車場をのぞいたことがあった。すると、ビル竣工と同年に発表された「レジェンド」がずらりと待機していた。印象的だったのは車体色だ。レジェンドとしては市中であまり見かけない黒だった。当時のホンダは今日以上にとがった印象があった。にもかかわらず、役員専用車になると黒塗りになってしまうのだな、と思うと、なにか見てはいけないものを見てしまった感じがしたものだ。
同時に、1階の「Hondaウエルカムブラザ」に陳列されていた「ホンダ社食のカレーうどんの素」を、笑うだけでなく買っておけばよかった、と今になって後悔している。
現在の地下3階・地上17階に対して、跡地に建てられる新しい本社ビルは地下2階・地上25階となる。高さは72.12mから150mに増える。それにともない、床面積も4万0224m2から5万3000m2へと広がる。
いっぽうで、イタリアにおけるフィアットの建築物は? というのが今回のお話である。
フィアットの場合
2024年に創業125年を迎えたフィアットにまつわる建築物は、ゆかりの地トリノに数々残っている。
最も古いものはダンテ通り周辺にある。今日「フィアット歴史センター(チェントロ・ストリコ・フィアット)」として使われている建物は、創業8年目である1907年の拡張にともなってつくられたものだ。2025年で築118年ということになる。周囲にもリバティ様式(アール・ヌーヴォー様式)のファサードをもつ、当時のフィアット関連社屋が残る。
いっぽう本連載でたびたび紹介してきたリンゴット旧本社および工場ビルは、1923年の竣工だが計画自体は1915年に開始されている。マッテオ・デル・トゥルッコによるその設計は、アメリカのフォード式生産ラインを5階建て建築に凝縮するという、世界にも類をみないアイデアだった。20世紀を代表する建築家のひとり、ル・コルビュジエは、このビルを複数回訪れて絶賛している。
リンゴットに続くかたちで計画されたミラフィオーリ旧本社ビルは1939年の竣工である。こちらはフィアットのお抱え建築家的存在だったヴィットリオ・ボナデ・ボッティーノの設計だ。工場棟の落成式には、時の首相ベニート・ムッソリーニが視察している。筆者も何度か訪れたことがあるが、本社棟の中央階段と、その左右にひたすら続く廊下を歩くたび、ファシズム時代の合理主義建築が目指した荘厳(そうごん)さに圧倒された。
「Mirafiori」とはもともと地名であるが、フィアットは1974年のベルリーナ「131」において、「ミラフィオーリ」「スーペルミラフィオーリ」といったかたちでバージョン名としても使用した。話は脱線するが、日本カルチャーのファン多き昨今、日産もこれにならって「スーペルオッパマ」仕様を設定すれば、外国人ユーザーに受けるに違いない、と筆者はひそかに思っている。
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効率が悪いのはイタリアも同じ
ホンダ青山ビルに話を戻そう。予定どおりに解体工事が着手されると、建築物としてその姿があったのは40年にも満たなかったことになる。日本で鉄筋コンクリート造りの事務所に定められた法定耐用年数は50年だ。それを超えると減価償却できなくなるから、税務上適切な建て替え時期であることはたしかである。トリノ郊外のミラフィオーリと比較して地価が高額な東京・港区にとどまる以上、容積率を増すべく改築するのは有効な一選択肢といえる。
新しい建築物は空調効率もいい。それは2020年にステランティスがカルロス・タバレスCEO体制となり、経費節減が模索されたミラフィオーリ工場が反面教師だ。「更衣室の暖房が切られ、寒くてたまらない」と従業員から抗議の声があがったのだ。同工場は1939年の落成当時、最先端の空調設備を備えていた。いっぽう今日、稼働率と従業員数は最盛期と比較して著しく少ない。にもかかわらずセントラルヒーティングに代表される昔からの方式では、広い面積を暖めるか切にするかどちらかで、局所的な温度調節が難しい。省エネルギーのためにはスイッチオフするしかなかったのである。
ステランティスのイタリア国内本部も、すでに前述のミラフィオーリの本社棟を後にして、約5km離れたプラーヴァ通りの平屋社屋へと移転している。FCA時代に本社を税制上有利なオランダに移転したうえ、グループPSAとの統合以降はブランドが米、伊、仏、独、英各国にまたがることとなったため、フィアット時代の古く大きな本社棟は、要らなくなってしまったのである。近年のリモートワークの浸透も、それに拍車をかけた。筆者が記憶しているかぎり、2020年以降、正門は閉ざされたままだ。
さらにいえば、イタリアでも商法会計基準における鉄筋コンクリート建築物の減価償却期間は30年から50年だ。日本とあまり変わらない。古い建物に固執する理由はない。
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そろそろ、ありでは?
それでも一般的に、イタリア企業は選択肢として、古い建物を保存する手段をとることが少なくない。
第1は、「建物は古いほど味がある」という認識の浸透だ。それは彼らが一般家屋を探すときでもわかる。コンクリート造りよりもレンガ造り、レンガ造りよりも石造りに心理的親しみをもつ人が多い。実際、筆者が歴史的旧市街のレンガ造りから、エレベーター・地下駐車場完備というスペックにひかれてコンクリート造りのレジデンスに引っ越したとき、近隣の人々の反応は「また、なんで」という感じだった。古い建物がある=長年信頼されてきたものの証しなのである。
第2は、たとえ経営上の理由で自社の手から離れても、当時どのような理念をもって社屋を建てたかを後世に伝える手段になると認識しているからである。いわば“企業の履歴書”としての価値だ。長持ちし、いつか記念建築物になるようなビルを計画することは、未来を見通す彗眼をもつ企業として、顧客の敬意を集めることができる。そうした考え方はフィアットのみならず他社にもみられ、評価の獲得に成功している。事務機器のオリベッティの歴史的本社所在地であるイヴレアの社屋群、パスタで有名なバリッラのパルマ本社工場が好例だ。
第3は市民の誇りの創出だ。自分たちとなんらかの関わりがある建築物が残存していることは、心の支えにもなる。
今日、リンゴット工場棟の内部は、オフィス、ホテルそしてショッピングモールなどの複合施設に姿を変えている。一角にはトリノ工科大学の自動車工学専攻のキャンパスも移転している。ミラフィオーリには学園都市になろうとする計画があるのだ。すべての人とはいわないが、買い物をする人も学ぶ若者も、それらの建物がかつて欧州最新鋭かつ最大級のファクトリーであったことを思い出す。
前述のフィアット歴史センターは退職者組織の集いの場にもなっていて、催しによっては彼らが解説員役を務めている。素晴らしい生きがいだろう。いっぽう、旧リンゴット工場の真向かいでは、カルロさんという紳士が軽食堂「オステリアF.I.A.T.」を営んでいる。彼はリンゴットの元工場従業員だ。毎晩、昔からの仲間が彼に会いにやってくる。自分の過去と関わりのある建物をいつまでも愛(め)でることができる、この国のお年寄りがうらやましい。
数年先の効率追求も結構。しかし、そろそろ日本企業も世紀を見据えた建築物を残すという選択も、ありではなかろうか。長きにわたって愛される企業市民となるために。
(文と写真=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/編集=堀田剛資)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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