第230回:自動車の街は滅びても、モータウンサウンドは滅びず
2012.02.03 マッキナ あらモーダ!第230回:自動車の街は滅びても、モータウンサウンドは滅びず
古いホテルで
「昼間なら歩いて行けるよ」。
デトロイト。夜空港からタクシーで着いたホテルでフロントのおじさんは、ボクにそう教えてくれた。昼間なら。その理由は翌日わかった……。
大西洋をはさんだイタリアで、ホテル予約サイトをみてデトロイトショー会場との距離、そして安さだけで宿を選んだことが、いかに無謀なことであったことかはすぐにわかった。
そのホテル、予約サイトの「以前は大手チェーン系だった建物です」という言葉を信じて申し込んだものの、もはや老朽化しすぎていてその面影はまったくない。
キーを受け取ったあと、部屋の階まで古いエレベーターに乗った。止まったので降りようと思ったら、ケージ(箱)側のドアは開いたのに、フロア側のドアが開かない。思わず目を疑ったのはいうまでもない。
下手な素行は危険だと思ったボクは、「閉」ボタンを押して1階に戻り、もう一度上がった。するとようやく無事フロア側のドアも開いた。パソコンにおける「リセット」の要領だ。
翌朝そのエレベーターは、もっととんでもないことをしでかしてくれた。今度はケージとフロアとの間に、飛び移るのが怖いほどの高低差でドアが開いたのだ。つまり完全に1階に“着地”する前に、ケージ側とフロア側のドアが開いてしまったのだ。再び目が点になった。
気を取り直して、フロントのおじさんから缶詰入りスープパスタを買う。イタリア人だったら激怒するであろう風味だったが、前夜からの空腹のあまり思わずかっ込んでしまった。
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都市計画の失敗
その後ボクは、翌々日向かわねばならないデトロイトショー会場までのルートを予行演習してみることにした。ミシガン州は過去にも数回訪れたことがあるが、考えてみたらクルマを借りないのは初めてである。
あらためて地図で確かめると、ホテルからショー会場までは1キロもない。おじさんも徒歩10分程度で着くという。
しかし、歩き続けるうち、空きビルと空き地ばかりの殺伐とした風景は、デイロイトのダウンタウンは全米屈指の治安が良くない街であるということを想像させるに十分だった。
極力目立たぬ格好で、持ち物を最小限にカバンさえ持たずに来たにもかかわらず、怖い。足早に歩く。同時に、この街は、極めて限られたエリア以外歩いてはいけない街だということを無言で語りかけていた。おじさんが「昼間なら歩いて行ける」と言ったのは当たり前で、夜などは想像しただけでも危険だ。
デトロイトは10年ほど前に自動車メーカー首脳の邸宅が立ち並ぶ美しい郊外を訪れたことがある。しかし、ダウンタウンに足を踏み入れるのはほぼ20年ぶりである。その頃もたしかにデモ行進に遭遇するなど、工業都市衰退のムードは漂っていたが、人影はもう少しあった。
後日データを見てみると、市街地の人口は90年代の102万人から今日では71万人にまで減少しているのだから、見たとおりなのである。ショー会場で会ったデトロイトをよく知る知人は、「都市計画の失敗」と指摘した。さらに調べてみるとそれも正しかった。前回冒頭で紹介したデトロイトのA.コボ市長は1950年代、膨張する郊外とは対照的に停滞する中心部の都市機能を強化させるため、両者を結ぶ高速道路網を整備した。だが、逆に郊外への移転を加速させてしまう結果となった。
1970年代に入ると、ヘンリー・フォード二世がダウンタウンの復興(ルネッサンス)を目指して再開発高層ビル「ルネッサンスセンター」を建設するが、効果は極めて限られたものだった。
今日ゼネラル・モーターズ本社ビルが入るルネッサンスセンターを見て図らずもボクが思い出したのは、以前訪れた板門店の北朝鮮兵舎だった。韓国側兵舎が質素な兵舎然としているのに対して、北朝鮮側のそれは国内の窮状をみじんも感じさせない、より立派な造りになっていた。
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ルネッサンスセンターの摩天楼も、川の対岸にあるカナダに荒涼としたダウンタウンを見せないための、いわばカーテンに見えてしまうのだった。
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日本にもあった? モータウンサウンド
もちろんデトロイトにも、活発な商業地域はある。モーターショーのあとに訪れた歴史街区グリークタウンは、そのひとつだ。しかしその中心は大型カジノであり、その手のものが苦手なボクとしては、どうも居心地が悪い。
そんなときふと思い出したのは、デトロイトショー会場のパフォーマンスだった。往年のコーラスグループ「シュープリームス」に扮(ふん)した女性3人が、音楽をバックに“くちパク”を繰り広げていた。そうだ、デトロイトはモータウンサウンドを確立したモータウンレコードの発祥地だ。
お姉さんたちの背後にあったチラシを見ると、「モータウン歴史博物館」と書かれていた。それを持参すると入場料10ドルが9ドルになるという。ボクは「フォード・クラウン ヴィクトリア」のタクシーに乗って、博物館へと向かった。その道中も車窓には朽ち果てた家々が無数に現れる。まさに映画『グラン・トリノ』の世界だ。
旧GM本社ビルの周辺も通った。ジョンZ.デロリアンの語録「晴れた日はGMが見える」や映画『ロジャー&ミー』などさまざまな作品に登場したビルだ。GMが引き払ったあとはミシガン州庁舎となっているが、周囲は荒れ果て、暗い影が漂う。
だが博物館に一歩入った途端、荒涼たる風景を忘れさせる、極めてフレンドリーなスタッフがボクを迎えてくれた。音楽ファンには釈迦(しゃか)に説法だろうが一応記しておくと、モータウンレコードの前身「タムラレコード」は、ベリー・ゴーディ・ジュニアによって1959年デトロイトに設立された。彼はその後、シュープリームス、スティーヴィー・ワンダー、ジャクソン5、テンプテーションズをはじめ、数々の伝説に残るアーティストを世に送り出した。
しかしながらそのスタートは現在博物館である一軒家で、スタジオは車庫を家族で改造したものだった。ガレージのスタジオがわずか10年でアメリカを代表する音楽レーベルに成長するとは。まさにアメリカン・ドリームである。イタリアの同じ家で12年も前からほそぼそと原稿を書いている自分の情けないことよ。
設立年の1959年といえばアメリカ車のテールフィンが一番高く華やかだった時代だ。当時のデトロイトの繁栄がしのばれる。
モータウンレコードは1972年にロサンゼルスに本拠地を移すが、デトロイト時代の作品はアメリカのポップス音楽史に大きな足跡を残した。自動車の街は滅んでも、モータウンサウンドは残った、というわけだ。
おっと、日本でも自動車産業の街・浜松がデトロイトとすれば、近くの掛川で1969年から86年まで開催されていたヤマハポピュラーソングコンテスト、通称「ポプコン」は、日本のモータウンサウンドだったと言えるのか!?
そんな冗談はともかく、産業空洞化が進む日本で工業都市をデトロイト化させてしまうか、世界本社所在地および海外工場にできない高級ブランドの生産地としてうまく存続できるかは、企業と政治にかかっている。デトロイトは、それを無言のうちに教えてくれる街である。
(文と写真=大矢アキオ、Akio Lorenzo OYA)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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