第31回:高級車の後部座席は、法律事務所に適しているか? − 『リンカーン弁護士』
2012.07.11 読んでますカー、観てますカー第31回:高級車の後部座席は、法律事務所に適しているか?『リンカーン弁護士』
タウンカーで裁判所を駆けめぐる
エンブレムが大写しになり、角ばったグリルやランプ、そしてホイールなどの細部を順番に捉えていく。全体像が見えて、「リンカーン・タウンカー」であることが明らかになる。到着したのは裁判所だ。ナンバープレートには“NT GUILTY”(無罪)と記されている。リアドアを開けて降りてきたのは、刑事弁護士のミック・ハラーだ。
『評決のとき』で社会の不正に敢然と立ち向かう熱血青年を演じたマシュー・マコノヒーが、久々に弁護士役を務める。しかし、今度は真摯(しんし)に正義を追い求めるタイプではない。法律の穴を突き、嘘も方便とばかりに巧みな弁論術で依頼人の刑の軽減を図る。だましや違法スレスレの行為も辞さない。犯人が実際に罪を犯したかどうかには関心がなく、司法取引を駆使して刑期を短縮させ、それによって報酬を受け取ることが目的だ。
リンカーン・タウンカーの後部座席を事務所代わりにし、裁判所を駆けめぐって犯罪者の弁護にあたる。広いロサンゼルス管区をカバーするためには、合理的な方法なのだ。ちゃんとした事務所を持つ余裕もない。運転手だって、元依頼人が弁護報酬を払えなかったので、代わりに働かせているのだ。タウンカーといえば高級車リンカーンのフラッグシップだが、その後部座席をオフィスにしているからといって、金があるわけではない。
主人公はリンカーンフェチ?
原作はマイクル・コナリーのベストセラーで、出版される半年前に映画化が決まっていたというから恐れ入る。スティーブン・キングが2005年のベストブックの1冊に選んでいるのだが、その褒め方はいただけない。「本書は、ほんもののキャデラックだ」と語っている。そのぐらい素晴らしいと言いたいのだろうけれど、GMにもフォードにも失礼というものだ。
アメリカの高級車の双璧がリンカーンとキャデラックだが、現在の日本では両ブランドとも存在感を示しているのはSUVとしてである。特に若い人の間では、「リンカーン・ナビゲーター」と「キャデラック・エスカレード」がブランドイメージだろう。
映画に登場するタウンカーは、1986年式である。「コンチネンタル」から独立車種になった最初のモデルで、角ばった細部が印象的だ。2代目からはマイルドな風貌になってしまったため、映画では押し出しのあるフォルムの初代を採用したのだろう。原作では年式ははっきりと特定されてはいないが、文脈から見ると2004年モデルのようだ。4台まとめて買って特別割引を受け、乗っていないクルマは倉庫に保管しているという設定である。ミックの執着ぶりには、フェチじみたものを感じる。
小説では、元妻が乗っているクルマを見て「ジャガーの安物モデルだ」と心のなかでばかにする描写がある。これはもちろん「ジャガーSタイプ」のことだろう。「リンカーンLS」とプラットフォームを共用していたモデルだから、格上のタウンカーに乗っているプライドが出てしまったようだ。ほほ笑ましいとも言えるが、別れた妻に対する微妙な感情も映しだされた男の悲しさでもある。
伝説は、記憶の中に……
ミックのもとに、保釈保証人から金のニオイのする案件が持ち込まれる。ルイス・ルーレ(ライアン・フィリップ)という青年が女性を殴って重症を負わせたとして逮捕されたというのだ。いつもケチな麻薬売人やギャングの弁護を請け負って小金を稼いでいるが、この依頼人は32歳にして年収60万ドルの資産家である。所有するクルマは「レンジローバー」と「マセラティ」(小説では「ポルシェ・カレラ」)の2台。うまくやれば、巨額の報酬が手に入る。
いつものように、検察との取引で刑を軽くしようと策を練るが、ルイスは拒絶する。やっていないのだから、無罪を勝ちとるしかない、というのだ。ミックにとっては、いちばん不得手な分野である。刑事弁護士だったミックの父親は、「無実の人間ほど恐ろしい依頼人はいない」と言っていた。しかし、やり遂げれば大金にありつける。調査を進めていくが、次第にルイスの裏の顔が見えてくる。そして、ミック自身に殺人の疑いが向けられるという事態に陥るのだ。
静かな法廷劇かと思いきや、後半はアクションシーンも多い。もちろんリンカーン・タウンカーの活躍する場面もある。しかし、いかんせん後席の乗り心地を最優先したラグジュアリーサルーンである。カーチェイスに向いているとは言いがたい。それどころか、Uターンにも苦労する有様だ。
もし、現行モデルのタウンカーを使っていれば、さすがにもう少し機動性を発揮しただろう……と思ったのだが、タウンカーは2011年で生産が終了していた。リンカーンのサイトを見ると、「リンカーンの時代は終わりました。しかし、その伝説は私たちの記憶の中に生き続けています」と書いてある。
実のところ、オフィスとして使うならば、タウンカーよりもナビゲーターのほうが使い勝手がいいだろう。しかし、それではこの映画の味わいは失われてしまう。ミックは、正義と実利、真理と感情、さまざまな要素が対立し矛盾する中でもがき続けるのだ。単純なものさしなど、どの世界にもない。
(写真=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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