第48回:主人公はマツダ・デミオ! 伊坂幸太郎の仰天クルマ小説 − 『ガソリン生活』
2013.03.27 読んでますカー、観てますカー第48回:主人公はマツダ・デミオ! 伊坂幸太郎の仰天クルマ小説『ガソリン生活』
クルマ版『吾輩は猫である』
“読んでますカー、観てますカー?”というのが当連載のシリーズタイトルだが、看板に偽りありとそしられても反論はできない。“読んでますカー”を先にしておきながら、小説が登場するのはこれがまだ3回めなのだ。クルマの登場する映画はいくらでもあるのに、小説となるといささか数が少ない。クルマ好きの小説家はいなくなってしまったのかと嘆いていたら、ようやくおあつらえ向きの作品が現れた。
『ガソリン生活』は、語り手がクルマなのだ。『吾輩は猫である』方式の小説である。朝日新聞の連載小説というところも、漱石の『猫』と同じだ。クルマが主人公の子供向け絵本なら驚かないが、小説でこの手法をとるのは画期的なことと言っていい。作者はヒットメーカーの伊坂幸太郎である。人気作家だからこそできた冒険だろう。
主人公は、望月家の自家用車である緑色の「マツダ・デミオ」。“緑デミ”と呼ばれている。この小説では、自動車が意識を持っていて、互いに会話をする。『猫』は、主人公の名無し猫が苦沙弥先生宅を訪れる迷亭や寒月君、東風君たちの会話を記述するという形式だった。猫はあくまで聞き手であって、猫同士の会話は本筋とはあまり関係がない。“緑デミ”は、もっと主体的な存在である。クルマ同士の会話が物語を進行させる役割を持ち、人間が知らない情報をもたらすこともある。
“ザッパ”こと白いカローラが活躍
望月家は母親の郁子、20歳の長男・良夫、17歳の長女・まどか、10歳の次男・亨の4人家族だ。良夫と亨がデミオに乗っていた時に、事件は起きる。停車していたら、結婚して引退した女優の荒木翠が突然乗り込んできたのだ。不倫疑惑を追っかけているマスコミから逃げていたらしい。言われるままに安全な場所に送り届けるが、その数時間後に悲劇が襲う。彼女が浮気相手の丹羽と乗っていたクルマがトンネル内で横転し、炎上したのだ。週刊誌記者の玉田憲吾に追いかけられ、スピードを出しすぎて側壁に接触したといううわさが、クルマの間でささやかれた。
一方、まどかは恋人の江口がチンピラのトガリに脅されている。小学生とは思えない知識と思考力を持つ亨は、かわいげのなさが災いしてクラスの不良グループに目をつけられている。こういったトラブルをすべて把握しているのが、“緑デミ”だ。関係なさそうに見える出来事が、実は裏でからみ合っていることを知っている。ただ、クルマは人間と話をすることができない。
望月家の隣には小学校の校長先生である細見氏が住んでいて、ガレージには白い「トヨタ・カローラGT」がいる。こちらは“白カローラ”とは呼ばれず、通称は“ザッパ”だ。持ち主の細身氏がフランク・ザッパの大ファンであることに由来している。“緑デミ”と“ザッパ”の掛け合いを軸に、物語は進んでいく。
荒木翠の事故はクルマの間でも大きな話題になっていて、お互いに情報交換している。登場するクルマたちは車種名で呼び合うことが多いが、親しくない場合には単に“ステーションワゴン”と呼び捨てにされることもある。通称はいろいろで、「BMW 6シリーズカブリオレ」は“6カブ”、黒いロゴマークを持つ宅配便トラックは“黒ニコ”と呼ばれている。
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“ガルウイングドアの気分”って?
クルマ同士は会話できるが、二輪車とは言葉が通じない。呼びかけても、「○※●×□★※▼!」などと意味不明の返事が返ってくる。この世界では、車輪の数が多いほど知性が高いとされていて、オートバイや自転車は軽んじられているのだ。逆に尊敬されているのが、たくさんのコンテナが連結されている貨物列車だ。彼らは思慮深く、知識量も多いと考えられている。
クルマがしゃべるのだから、奇妙な表現も現れる。“僕にエンジンをかけた”なんていうフレーズは、人間が主体だと成立しない。クルマならではの言い回しも多い。“ワイパー動く”というのは、驚きのあまり興奮した、ということ。混乱したときは、“ナビが壊れる感じ”。あきれたときは、“開いたボンネットがふさがらない”。“ガルウイングドアの気分”と言えば、お手上げということだ。
クルマの世界では、タチの悪い乱暴者のことを“ミスター・タンクローリー”と呼ぶ。かつて自家用車を追い回してひどい目に遭わせたというタンクローリーの話がその名の由来だ。これはもちろん、スティーブン・スピルバーグの初期作品『激突!』のことを言っているのだろう。ほかにも、人間を襲った「プリムス・フューリー」の話も出てきて、これはジョン・カーペンターのホラー映画『クリスティーン』だ。『ミニミニ大作戦』のエピソードもあった。いずれも、クルマ映画としては外せない名作である。
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知らず知らずクルマに感情移入
「シトロエン・エグザンティア」と「アルファロメオ156」が出会うシーンでは、“燃費が悪い”“故障が多い”とののしり合う。お互いにプライドが高く、相手を認めないのだ。それを見ている“緑デミ”は、似たようなものじゃないかという目つきで見ている。
こういう描写をするところをみると、伊坂幸太郎は相当クルマに詳しいようだ。彼は「ポルシェ911」を愛してやまない島田荘司から大きな影響を受けていて、クルマ好きなところも受け継いだのかもしれない。頼もしい限りだが、ひとつだけ気になったのが「どこか不完全燃焼の様子で、今にも、バックファイアの音を鳴らしそう」という文章だ。正確には、アフターファイアだろう。
物語は、収束に向けてさまざまなエピソードがもつれ合って加速していく。なんということのない小さな描写が、ちゃんと意味を持ってくるのだ。アフリカに墜落した飛行機も、世間を驚かせたATM強盗も、見事に配置された伏線だった。クルマたちが交わすダイアナ妃についての会話も重要な役割を果たすし、おとなりの細見氏のところへ黒ニコが届けた雑誌だって後で生きてきた。
主役ではないクルマについても、優しい目配りがされている。ほんの脇役としか思えなかった“白ブルーバード”が終わり近くに再登場したときは、本当にうれしくなった。クルマが意志を持つという非現実的な設定なのに、知らず知らずのうちにクルマに感情移入してしまったようだ。
もちろん、これはファンタジーである。でも、長い間乗っていて、ふとクルマの“心”を感じたような気がした経験のある人は多いはずだ。そろそろ売ろうかと思った途端に故障したという話はよく聞く。運転するという行為は、クルマとの対話でもある。無機質な機械だと割り切れるのなら、これほど人を魅了する存在になれるはずがない。読み終えた後も、クルマたちのにぎやかな“ガソリン生活”が頭の片隅で続いている。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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