第386回:「デルタ」「ゴルフ」に「ロメオ」……
イタリアの工事現場に謎のサイン
2015.02.20
マッキナ あらモーダ!
完成したら時代遅れだった
イタリア半島は山岳地や丘陵地が多い。したがって国道やアウトストラーダは、橋や切り通し、トンネルを駆使したものだ。それらの多くは、イタリアの高度経済成長期をはさむ1950~70年代に計画・建設されたものである。深い谷あいにそびえる橋脚を目の当たりにすると、当時の経済力がしのばれる。
ただし、感心してばかりもいられない。後年多くの区間で交通量や通過するクルマの平均速度が上がったにもかかわらず、半世紀近く前に建設されたままで供用されているのだ。
読者の方々がイメージしやすいようにいえば、2代目「フィアット・チンクエチェント」でトコトコ走っていた高速道路を、現在は制限速度130km/hを優に超えるスピードで、ドイツ製SUVが列を成すように通過している。
もっと興味深い関係者の証言がある。数年前イタリア公共放送RAIで放映されていたアウトストラーダ1号線「太陽の道」に関するドキュメントによれば、1964年にミラノ―ナポリ間が開通した時点で、すでに予想を上回る速さでクルマの普及が進行していて、道路の規格は古いものになっていたという。そのため現在も各地で、道路会社や自治体によって拡幅や高規格化の工事が進められている。
幻のウイスキー醸造所
話は変わって少し前、ある読者の方から一通の便りが舞い込んだ。仮名は『宇宙戦艦ヤマト』に登場する軍医の名を借りて、佐渡酒造氏としておこう。
佐渡氏は、ボクが拙著のなかで紹介したトスカーナの露天温泉を実際に訪ねたおり、一枚の看板を発見した。そこには「Cantiere WHISKY」と記されていた。
スコッチ文化研究所認定のウイスキーエキスパートで、日本各地にたるも所有しておられるという佐渡氏は、Cantina(醸造所)というイタリア語もご存じだったため、「なんとなくウイスキーの蒸留所兼貯蔵庫が近くにあるのかと想像した」そうだ。
このWHISKY看板に限らず、昨今イタリアをドライブしていると、不思議な看板が立っているのに気づく。いずれも「OSCAR」「UNIFORM」といった、一帯の地名と関係ない名前が記されている。「QUEBEC」などというのもある。どう間違えたって、ここからカナダに行けるはずはない。
「BRAVO」「DELTA」「ROMEO」「GOLF」といった、クルマ系かよ? と思わせるサインもたくさん出てくる。 そうかと思えば「HOTEL」といった表示も出現するが、周辺に宿泊施設はない。
事実、佐渡氏も日本に帰国後ネット検索したものの、一帯に蒸留所らしきものを発見できず意気消沈した、という。
「朝日のア」だった
実は先述のCantiere、イタリア語では「工事現場」を示す。搬入・搬出口を表す関係者用のサインである。Cantiereとともに記されている前述の言葉は、道に沿ってアルファベット順になっている。「DELTA」の次は「ECHO」という具合だ。工事区間の末端に近づくと「YANKEE」という看板も出てくる。
現場で掘削した土砂を運ぶダンプトラックや橋梁を運搬するトラックの運転手は、地元の人とは限らない。ましてや今日イタリアの建設現場では、外国から出稼ぎに来ている作業員も少なくない。そうしたなか「今日の現場は、ここ」といった手順を示すのに、地名にあり得ないような名前にしておけば混乱を避けられる。もっとも効率的、かつ正確な方法なのである。
佐渡氏も後日、伊和辞典を調べて、Cantiere はCantinaではなく、「工事現場の入り口」であることを知ったという。だが佐渡氏の報告は続いていた。看板に記されていた建設会社名に問い合わせをして、なんと工事責任者から返答をもらっている。こういってはなんだが、仕事と直接関係がなく、また一般消費者と取引のないイタリア企業としては異例の対応である。佐渡氏のあくなき探究心が伝わったのだろう。
返答は「弊社にご興味を持っていただきありがとうございます。社内では、場所の名前に航空業界で用いられている国際的コードを使っています」というものだった。そのコード、正式名称は「NATOフォネティックコード」という。日本における「朝日のア」「いろはのイ」と同じ、というわけだ。
佐渡酒造氏は、ウイスキーのなかでもアイリッシュはWHISKEYとつづられるのに対し、スコッチは看板のようにKとYの間にEがない(WHISKY)ことを指摘。「工事責任者がスコッチファンなのでしょうか?」とジョークで結んでいる。
開通したら自動運転車?
ちなみに、佐渡氏が発見した“ウイスキー看板”は、シエナとティレニア海沿いのグロッセートを結ぶ国道の4車線化工事現場にある。先日ボクが、シエナのわが家から東に向かい、中部のマルケ州に運転して行ったときも、国道バイパス建設工事現場に、このNATOフォネティックコードが使われていた。
東京近郊で公共交通機関による南北移動が意外に手間取るのに似て、イタリアでは東西の海を結ぶ移動が自動車・鉄道とも困難だ。それを解決するために今、各地で工事が進められている。
ただし、冒頭のような山あい谷あいの地形に加え、常に不足する予算、さらにはマフィアの関与をいかに排除するかといった課題が山積し、初期計画どおりに進まないのが歯がゆいところだ。「全線開通した暁には、ボクは自動運転車で走っているんじゃないかい?」と、限りなく冗談と真面目の境があいまいな想像を巡らせてしまう。もうしばらくドレミの歌になぞらえて、「ウはウイスキーの、あ~ウーッ!」などとマンボボイスで発散しながら運転する必要がありそうだ。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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