ホンダS660 β(MR/CVT)
孤高の人よ、迷わず選べ 2015.05.11 試乗記 発売されるや自動車ファンからの大喝采を浴びた、ホンダの新型2シータースポーツ「S660」。実際に乗ってみたら、どうだった? CVTのベーシックモデルで、その実力を試した。雨の中では実力が出ない
落胆なんてものじゃなかった。ホンダS660にやっと乗れると喜んでいたのに、望んでいたのとまるで違う。白とかブルーとか魅力的なボディーカラーがあるのに、なぜよりによって地味なグレーなのか。しかも、グレードは「β」。確かに200万円を切ったのはえらいけど、どうせなら豪華仕様の「α」に乗りたかった。そして、トランスミッションがCVTとは! 圧倒的なコレジャナイ感が押し寄せてくる。
試乗できるチャンスは3日間。天気予報を見ると、見事に雨マークで埋めつくされている。もしかすると、一度もオープンにすることなく試乗を終えることになるかもしれない……。心はどんよりした空よりも重苦しく、過酷な運命に表情は沈む。
都内でクルマを受け取ると、スマホで雨雲レーダーを確認して、少しでも雨雲が少ない方向へと走らせる。西に向かうと雨粒が大きくなってきたので、途中でアクアライン方面に方向を変えた。長い海中トンネルを抜けると、そこは、やっぱり雨だった。かすかな希望にすがり、房総半島の反対側まで走る。雨脚はさっきより強くなったようだ。逃げるどころか、雨雲の動きに合わせて走ってしまったのか。
諦めてハードウエアの評価に徹しようと思ったが、雨の中でのドライブは少しも楽しくなかった。ロールトップはしっかり取り付けられていて雨は完全に防いでくれるが、パラパラという雨音は盛大に頭上から降ってくる。音楽を楽しむのは無理というものだ。ぬれた路面を走っていると、ハンドリングの俊敏さが裏目に出る。VSAがあるのだから実際には危険性は低いのだろうが、神経質な動きがどうしても気になる。思い切って飛ばす気にはなれなかった。
ふてくされて一晩寝ると、状況は一変していた。頭の上は真っ青な空である。予報は外れたのだ。気象庁もたまにはいい仕事をする。
ミドシップのスタイルに似合うグレー
まずは屋根開けの儀を行う。ロールトップは意外に重いから気をつけるようにと言われていたが、なんのことはない。最後にルーフを収納するフロントのフードを、あらかじめ開けておくようにすれば楽勝だ。ちょっと離れて全体を見ると、グレーというのは悪くない色だ。雨の中では物憂げに見えたが、陽光の下にいると控えめなたたずまいが好ましく見える。むしろスポーツカーらしい、威厳のある色だ。派手さに走るより、よっぽど大人の選択じゃないだろうか。
いかにもミドシップという戦闘的なスタイルに、鈍いメタリックのボディーカラーが迫力を増す効果を与えている。ランプ類などのレッドが差し色となり、全体を引き締めるアクセントとなった。光の具合でサイドにシャープな線が走り、軽自動車とは思えない彫刻的な表情を生み出している。
コックピットにも光が入り、ブラック内装に陰影が生じて立体感が強調されていた。シートは本革×ラックス スェードの「α」とは違ってファブリックだけれど、それで困ることはなにもない。ゼブラ柄じゃないだけでももうけものである。いい感じでタイトな、それでいて上方は開放的という、オープンスポーツの理想的な場所が出現した。
朝の幹線道路は交通量が多く、ストップ&ゴーを繰り返す。少々空気は悪いものの、もちろん気持ちよさのほうが勝る。人通りの多い道を行くのでなければ、大きめな音で音楽を流すのも悪くない。こういう状況では、CVTはありがたいものだ。パドルを使うことなく、イージードライブを決め込む。アイドリングストップからの発進も、スムーズにコントロールされている。
デートには向かないクルマ
高速道路では、サイドウィンドウを上げることにした。このクルマで、風の巻き込みを完全に押さえ込むのは難しい。面倒だからそのまま走ったが、80km/h以上のスピードを出すときは、ほろを装着したほうがいいだろう。簡単に開けたり閉めたりできないのがタルガトップの宿命だが、オープンカーの気持ちよさは不便さと引き換えに生まれるものでもある。
スペースはもちろんミニマムであり、普通のクルマのようには使えない。ドリンクホルダーはセンターコンソールの一番後ろに位置しているので、ドライバーひとりで乗っている時には役立たずだ。センターコンソール前方の助手席側にドリンクホルダーを後付けできるようだが、それならCVTモデルはセレクターを小さくしてスペースを確保すればよさそうなものである。
「ビート」の伝統を受け継ぎ、収納スペースはほとんどないと思っていい。フロントフード内のユーティリティーボックスは、畳んだロールトップで満杯になってしまう。リアのエンジンルーム内にちょっとしたスペースがあるのでなんとか使えないものかとも考えたが、熱がこもるので到底実用にはならない。2人乗車なら、助手席の人は荷物係である。
恋人がよほど性格のいい人でなければ、デートには向かないクルマだ。あくまで走りをストイックに追求する孤高の人のために作られている。都合のいいことに、“リア充”向けには「N-BOXスラッシュ」の用意がある。値段もちょうど同じぐらいであれもいいクルマなので、デート用途が中心ならそちらをオススメする。走りに最高の価値を求めるなら、迷わずS660を選べ。
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くねった小道が最高のステージ
街なかで乗っていても十分に楽しかったけれど、やはり山道を走ってみたくなった。横浜でひと仕事終えたのは午後4時を過ぎた頃だったが、箱根まで足を伸ばすことにする。ターンパイクにたどり着くと、もう日は陰っていた。急いで登ろうとアクセルを踏み込む。しかし、なかなか加速してくれない。きつい勾配では64psの制限が恨めしい。無理やり高回転でのトルクを抑えているわけで、もったいない話だ。坂道をものともせずにかっ飛んでいければ、もっと楽しいはずなのに。
ターンパイクの登りではパワー不足を露呈してしまったが、芦ノ湖スカイラインで下りの道に入ると、S660は本来の実力を発揮し始めた。なにしろ、重量物が回転中心に近い位置に集中したミドシップレイアウトをとるので、タイトなコーナーでは水を得た魚だ。ここではCVT仕様のメリットがはっきりする。ステアリング操作に集中できるのがうれしい。大きなクルマだと閉口する、道幅が狭くタイトターンが連続する長尾峠も、S660にとっては最高のステージとなる。コンパクトで強靱(きょうじん)なボディーを走らせるには、狭くてくねった道はうってつけなのだ。
CVT仕様では、SPORTボタンを押すことでレスポンスを向上させることができる。アクセルペダルの操作量に対してスロットルが素早く反応し、変速プログラムを変えて回転数の高まりに応じてスピードがリニアに増すようになる。SPORTモードになると、メーター内の瞬間燃費表示がターボブースト表示にかわり、照明も赤色に変化する。オプション装備のセンターディスプレイにも連動していて、時計表示にしていても真っ赤になった。CVT仕様はMT仕様よりも700rpm低い7000rpmがレブリミットになっているが、このボタンで回転数を一時的に上げられるようになっていればもっとうれしかったのだが。
走っているうちに完全に日が落ちてしまい、春とはいっても肌寒くなってきた。S660には、そんな時にありがたい装備がある。ルーフを開けていてもエアコンの効きがダイレクトに感じられる「ミッドモード」が設定されているのだ。このモードを選ぶと、ももから腰や腹部にかけて集中的に送風され、効率的に温度調整を行うことができるという。
しかし、なかなか効果が感じられない。せっかくの暖気が上に抜けてしまっているのだ。ふと気がついて、リアウィンドウを開けてみた。すると劇的に空気の流れが変わり、暖気が体のまわりに滞留するようになった。後ろに空気の逃げ道を開けてやることで、整流効果が生まれたのだ。オープンカーは、風とうまく付き合うことが肝要である。
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最新の軽は“音”にも注目
リアウィンドウを開けると、エンジンの音がダイレクトに聞こえるようになる。ビートと違ってはっきりとデザインされたエンジン音が響き、オープンカーに乗っている実感が味わえる。エンジンにタービンの音が加わり、アクセルオフ時のブローオフバルブが発生させるパシュ音までがリズムをとるから、にぎやかなことこの上ない。たまにこの音が「ハァ……」というため息にも聞こえ、もっと高回転を維持して走れと叱咤(しった)されているような気になったりもする。
音の楽しみは重要な演出であり、「Sound of Honda バージョンS660」というスマホアプリを使って「マクラーレン・ホンダMP4/5」や「NSX-R」の排気音に“変換”する計画もあるようだ。面白い機能ではあるが、大排気量のエンジンではリアリティーがなさすぎる。ホンダには「S500/600/800」という素晴らしい資産があるのだから、“4気筒のフェラーリ”と評されたあのエンジン音を活用すべきだ。ホンダのサイトではS600のサウンドを聞けるようになっていたので、きっと採用してくれると期待している。
10年ほどの間、S600だけでプライベートから仕事まですべてをこなしていたことがある。よく壊れたし不便だったけど、楽しくも充実したカーライフだった。S660は、あれに比べれば天国のように快適なクルマである。荷物が載らないなんて、小さな話だ。S660の受注は好調だと聞く。とてもいいことだ。リア充生活に背を向け、ハングリーであり愚かであろうとする若者を応援したい。オープンカー生活は楽しいぞ。
(文=鈴木真人/写真=田村 弥)
テスト車のデータ
ホンダS660 β
ボディーサイズ:全長×全幅×全高=3395×1475×1180mm
ホイールベース:2285mm
車重:850kg
駆動方式:MR
エンジン:0.66リッター直3 DOHC 12バルブ ターボ
トランスミッション:CVT
最高出力:64ps(47kW)/6000rpm
最大トルク:10.6kgm(104Nm)/2600rpm
タイヤ:(前)165/55R15 75V/(後)195/45R16 80W(ヨコハマ・アドバンネオバAD08R)
燃費:24.2km/リッター(JC08モード)
価格:198万円/テスト車=206万6400円
オプション装備:センターディスプレイ(4万8600円)/シティブレーキアクティブシステム(3万7800円)
テスト車の年式:2015年型
テスト開始時の走行距離:1292km
テスト形態:ロードインプレッション
走行状態:市街地(3)/高速道路(6)/山岳路(1)
テスト距離:572.3km
使用燃料:39.7リッター
参考燃費:14.4km/リッター(満タン法)/15.0km/リッター(車載燃費計計測値)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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