第427回:元F1ドライバーのアレッサンドロ・ナンニーニは今
2015.12.04 マッキナ あらモーダ!元F1パイロット、市議会議員に
先週、ボクが住むシエナ市内の駐車場でクルマから降りようとしたときだ。隣に止めた「フィアット・ブラーボ」のあるじもドアを開けようとした。目が合った相手は誰あろう、アレッサンドロ・ナンニーニ氏であった。
皆さんはアレッサンドロ・ナンニーニ氏を覚えておられるだろうか。彼はイタリアを代表するロック歌手の姉ジャンナ・ナンニーニとともに、シエナ生まれシエナ育ちである。F1ドライバーとして1986年にミナルディでデビューし、その後ベネトンに移籍。しかし1990年、シエナでヘリコプターが着陸に失敗して右腕に重傷を負ったのを機にF1から引退した。
一時はドライバー生命を絶たれたと思われたが、事故からわずか2年後の1992年、アルファ・ロメオでイタリアツーリングカー選手権にドライバーとして再デビュー。続いてドイツツーリングカー選手権でも戦った。1997年には、AMGメルセデスでFIA GTチャンピオンシップに参戦した。
ボクがナンニーニ氏と最初に会ったのは、1998年ごろだったと思う。そのころのボクは、イタリア人料理研究家が主宰する教室で、日本人向け講座のオーガナイズ兼通訳の仕事をしていた。プログラムの中に伝統菓子の工場見学を盛り込む際、相談に行ったのが「ナンニーニ菓子店」だった。ナンニーニ氏の祖父が1902年に創業した店である。
ツーリングカーレースから引退したばかりのナンニーニ氏は、経営危機にあった家業である菓子店およびカフェの復興を図るべく、そのころ住まいがあったモンテカルロとシエナを往復しながら、海外フランチャイズ展開をスタートしつつあった。菓子店の近くにある事務室に赴くと、ガラス張りのオフィスの中に時折ナンニーニ氏がいて、机上にはF1のスケールモデルが置かれていたものだ。
やがて2001年、ナンニーニ氏は、シエナのメインストリートにある、長年人手にわたっていた本店の買い戻しに成功した。地元の新聞は「孝行息子」と書き立て、ボクもそのリニューアルオープン祝いにかけつけたのを覚えている。ただしその後はボクが物書き専業となったこともあり、ナンニーニ氏とは夕方の散歩で、たまにすれ違う程度となってしまった。
2011年、ナンニーニ氏は51歳のとき、シエナ市長選に中道右派系4政党の推薦を得て立候補。伝統的に左派勢力が強い地域という事情もあり、結果は落選だったが、同時に行われた市議会選挙にも立候補していたことから、議員として当選した。ボクのナンニーニ氏に関する知識は、そこでとどまっていた。
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カプチーノを傾けながら
さて、偶然再会したナンニーニ氏とは、その日の夕方にコーヒーを飲むことになった。彼が指定した待ち合わせ場所に向かう。シエナ旧市街をわずかに出たところにあるカフェ「NANNINI」の支店である。約束の時間より早く行ってみると、すでにナンニーニ氏はバーカウンターのそばに立っていて、バリスタと話をしていた。写真を撮りたいとボクが告げると、すかさずカウンターの中に入って、業務用エスプレッソマシンの前に立ってくれた。サービス精神に富んだ人である。さすがカフェの御曹司、マシンさばきが鮮やかだ。
カプチーノを飲みながら、まずは、近況を聞く。
「すでに、すべての菓子店およびカフェのビジネスは運営会社に任せました。私はコンサルタントに専念しています」
最近では、以前から販売してきた「A.NANNINI」コーヒーを、家庭用エスプレッソマシン用のカプセルで販売する企画に携わったという。
ところでその後、市政活動のほうは?
「およそ1年半にわたって市議会議員を務めたあと、引退しました」
かつてナンニーニ氏は市長選に立候補したとき、事実上供用されていない地元飛行場の積極的活用を公約のひとつに掲げていた。
「シエナには特急列車もアウトストラーダ(高速道路)もない。飛行場をまずは物流の拠点にすればと訴えたのですが」と振り返る。
ちなみに、彼のアイデアは実現に至らず、飛行場は休眠状態だ。それに限らずナンニーニ氏は、「政治の世界は、私にとって、決して居心地の良い場所ではありませんでした」と振り返った。
サーキットへの情熱は今も
ところで、今朝のクルマはフィアット・ブラーボでしたね。
「イタリアの地方都市はコンパクトなモデルで、きびきび走るほうが楽しいですからね。家にはもう1台、キアもあります。キアのモデル名? 忘れてしまいました」と語る。そして「昔からピスタ(pista イタリア語でサーキットのこと)以外のクルマには、まったくもって無頓着なのですよ!」と付け加えて笑った。往年のイケメンF1パイロットは、なんとも飾らない人だ。
「最初に運転したのはシトロエンの『ディアーヌ』でした。日本ブランドに関していえば、ホンダの400ccバイクでモトクロスを始めました。そのあとはランチアでラリーの世界に入りました。『ベータ モンテカルロ』をはじめ、さまざまなモデルを操りましたよ」と、カフェの片隅で振り返る。クルマの話になると、先ほどの市政の話の時とはまったく別人のように、少年のような目を輝かせ始めた。
ナンニーニ氏の父君が1990年代末に「ランチア・テーマ」に乗っていたのをボクは覚えている。ご両親もクルマのたしなみがあった?
「父はクルマ好きでした。『パナール・ディナ』などでラリーに出たくらいです。いっぽう母は、速いクルマは怖がっていましたね(笑)。彼女は菓子工場で働く姿のほうが印象に残っています」
ナンニーニ氏本人はプロ引退後も、数々の地方級ラリーでステアリングを握り、イタリアの新聞をにぎわせてきた。
「経営の第一線から退いた今、いつか再びツーリングカーに乗りたいですね。サーキットは常に私のパッション。そのために、今でも日々のトレーニングは欠かしませんよ。こう見えて、最近だけで数キロ減量しました!」
クルマ以外のホビーは?
「スキーを続けています。好きなエリアはコルティナ・ダンぺッツォですね」
ナンニーニ氏は1959年7月7日、日本なら昭和34年七夕生まれの今年56歳である。それでもなおバイタリティーにあふれ、レースへのパッションを抱き続けているのには恐れ入った。
アミーコに囲まれながら
ところでナンニーニ氏といえば、1989年のF1日本GPで、アイルトン・セナとアラン・プロストの接触事故に起因した繰り上がりで初優勝したことを思い出す。
その時の東京の思い出は?
「とりあえず祝賀会をやりましたが、すぐに移動が待っていたので、慌ただしい思い出のほうが強いのです」と振り返る。そのうえでこう付け加えた。「東京も素晴らしい。しかし、私自身は、別の機会に見た富士と鈴鹿の間ののどかな田園風景のほうが、今も脳裏に焼きついています。私は常にカンパーニャ(田舎)のほうが好きなのですよ」
田舎といえば、かつてF1パイロットとして世界をめぐり、モンテカルロにも住まいを構えたことがあるナンニーニ氏が、仕事の事情はともかく、再び人口5万3000人の町シエナを選んだのは?
「いつも幼なじみがいて、いとしい家族がいる。それは他でもない、シエナなのです」。
そう熱く語るナンニーニ氏の姿は、成功してもいつか故郷に住むことを夢見る他のイタリア人と変わらないものだった。
参考までにボクがシエナに住んでいると、「高校時代、アレッサンドロ(ナンニーニ)と一緒にバイクを飛ばしたもんよ」といった昔話をするおじさんたちにたびたび出会う。彼らは常に不屈だったナンニーニ氏を誇りに思うと同時に、何年たっても良きアミーコ(友達)として認識している。町の外には、若き日にディアーヌを駆ってドライビングテクニックを磨いたカントリーロードが、まるでタイムスリップしたかのように今も残る。こうした雰囲気が、ナンニーニ氏に望郷の念を駆り立たせたに違いない。
カプチーノを飲み終わり2人で出口に向かうと、入店しようとした地元の女性客がナンニーニ氏と気づいて足を止めた。するとナンニーニ氏は、今も自分が仕切る店のごとく丁寧に女性を通した。そしてボクに「ドウモアリガトウ!」と言いながら握手をしたあと、26年前の鈴鹿ウィナーは夕暮れの中に消えていった。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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