第509回:「地下鉄ミュージシャン」をTOKYOにも!
2017.07.07 マッキナ あらモーダ!若気の至りの路上ライブ
音大生だった22歳のとき、“ストリートミュージシャン”をしたことがある。
ロンドンを初めて訪れたボクは、地下鉄の駅構内でさまざまな演奏をしている若者たちを何人も見かけた。
にわかに「自分にだってできるぜ」とムラムラ闘志が湧いてきたボクは、ちょうど立っていたサウス・ケンジントン駅の改札前通路で、それを実行に移すことにした。旅人のボクは楽器を持っていない。アカペラの歌で勝負することにした。
まずは人通りが絶えたのを見計らって、自分の財布から出して用意した「見せ金」を前に置いた。チップが何もないと、あまりにも不人気っぽいからである。
最初は高校のとき習ったドイツリートを歌っていたが、やがて『荒城の月』『さくらさくら』『お江戸日本橋』などを歌ったほうが、お客さんがお金を置いてくれることがわかってきた。
調子にのって歌っていると、近くでフルートを吹いていた青年がやってきて、なにやら言った。どうやら縄張りのことらしい。
当時は日本の米軍基地で子供にピアノを教えてこそいたものの、初めて接する英国式アクセントは全然聞き取れない。答えずにいると、相手も「こりゃダメだ」といった顔で諦めて消えてしまったので、また歌い続けた。
今となっては若気の至り以外のなにものでもないが、良い思い出である。
うまいのにはワケがある
かわって、フランス・パリ。この街を訪れた方ならご存じかと思うが、パリでは地下鉄の車内で生演奏に出くわすことがある。
パリ地下鉄の中で地上区間が最も長い6号線は特に、楽器を持った人がいきなり乗り込んでくる確率が高い。鍵盤ハーモニカひとつだったり、ギターを弾く相棒を同伴していたり、はたまた折り畳みキャリーカートに小型PA装置をくくりつけていたりと、スタイルはさまざまだ。
エッフェル塔の風景がぱっと開けるところで、『ラ・ヴィ・アン・ローズ』をアコーディオンで弾き始める、妙にタイミングを心得た弾き手がいたりする。そうかと思えば、思わず「もういい。その楽器をボクに貸せ!」と言いたくなるほど、聴くに耐えない音を出す者もいる。
一方、駅構内で演奏しているミュージシャンは、相対的にレベルが安定している。パリ地下鉄営団(RATP)の公認だからである。
それが、「ムジシアン・ドゥ・メトロ(地下鉄のミュージシャン)」という制度だ。1997年に開始されたもので、2017年6月に発足20周年を迎えた。これまでに約3000人のミュージシャンに対して演奏を許可してきた。
RATPによると、オーディションではRATP職員と音楽ファンが審査員を務め、現在は年間3000人以上の応募者のうち300人に許可を与えている。公認ミュージシャンはバッジとプレートを掲示のうえ、パリ地下鉄とパリ郊外を結ぶ近郊線RERの駅構内で1年間の演奏が許される。クラシックあり、ジャズあり、ラテンあり。ジャンルはさまざまだ。
RATPは、彼らによるコンサートなども企画している。2017年11月23日には、パリ屈指のミュージックホール「オランピア劇場」で、選抜メンバー5人による20周年記念コンサートも開かれる予定だ。
日本でのライブ経験者も
実際の駅構内で、公認ミュージシャンたちに声をかけてみた。パリの銀座線たる1号線が通るバスティーユ駅で発見したエティアン・アルサミア氏は、サクソフォン奏者である。伴奏はジャズピアノとドラムスのカラオケで、時折ボーカルもはさむ。『マイ・ファニー・バレンタイン』を歌う熱い声が通路に響く。かつてフランス革命のきっかけとなった監獄跡は、駅のすぐ外だ。
彼が語ったところでは、オーディション自体は難しくない。難しいのは、ジャンル選びという。「試験の傾向と対策」があるのかもしれない。フランスとアイルランドをベースとし、音楽歴は20年以上。パリ市内のジャズ・フェスティバルの常連でもある。
一方、3号線などが通るアール・ゼ・メティエ駅の乗り換え通路で、ギターの弾き語りを披露していたのはペドロ・クヤテ氏だ。西アフリカのマリ共和国出身である彼のレパートリーは、自国の音楽とジャズをミックスしたものである。
2006年からパリ在住。地下鉄構内演奏のほか、自ら結成したバンドでは、ミュージシャンの登竜門であるフランス青年音楽祭によるコンサートツアーにも参加した。ボクが日本人だとわかると、2012年に京都や神戸など日本でもコンサートを開いたことを誇らしげに教えてくれた。そして、ボクがあいさつして立ち去ろうとすると、「マタキテクダサイ!」と日本語とともに明るい笑顔を見せた。
ぜひオリンピックを迎える東京でも
RATPがこの「地下鉄のミュージシャン」プロジェクトを始めたのは、「便利だが、閉鎖的で陰鬱(いんうつ)な空間」という地下鉄のイメージを払拭(ふっしょく)するためだった。
ボクが思うに、音楽と生演奏ミュージシャンの存在は治安の向上にも貢献している。東京に例えるなら大手町級の大きな駅でも、パリ地下鉄の場合はいきなり人影が消える“やばいアングル”というのがあって、昼でもそれなりに身構えるものだ。そうしたスポットでは、音楽が流れているだけで犯罪抑止効果が期待できる。それは、欧州で多くの地下駐車場でBGMが流れていることからもわかる。
ちなみに先月、スペインのバルセロナ地下鉄でも同様に、交通局公認と思われるミュージシャンを駅構内で見た。調べてみると、カナダのモントリオールにも同様の制度がある。
ここで提案だが、東京の地下鉄でもこうした公認ミュージシャン制度を、2020年のオリンピックを目標に導入してみてはどうだろう。パリに勝るとも劣らないミュージシャンが集まると思うし、国際ムードも高まる。なにより地下鉄利用客にとっても、通勤通学がもっと楽しくなるはずだ。「東京のカルチェ・ラタン」こと神保町の駅あたりから始めるといいかもしれない。
冒頭のロンドン地下鉄駅でのボクの歌唱に話を戻せば、その日は、辻音楽師などに一見興味がなさそうな良い身なりをした紳士のほか、子供たちも親からもらったお金を置いていってくれた。当時のメモによると、貯(た)まったチップは70ペンスだった。もっとウケていれば、そのままストリートミュージシャンになっていたかもしれない。
それでも、地上に出たところにあった屋台で、その稼いだチップに所持金を足して買ったホットドッグの味は、今も忘れられない。そして、今でも各国で構内ミュージシャンに遭遇するたび、採算にこだわらず自らのパッションを伝えんとする彼らに、心の中で拍手を送っているのである。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=関 顕也)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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