第565回:朽ち果てたボディーに往時の姿を巡らせる
イタリア版・廃車のある風景
2018.08.03
マッキナ あらモーダ!
未再生が流行中
ヨーロッパのヒストリックカー界では「未再生車」が流行中である。きっかけは2015年のパリにおけるヒストリックカーショー「レトロモビル」で、死蔵されていた車両59台がオークションで一気に放出されたことだろう。
車両の元オーナーであるバイヨン家は第2次大戦後、危険物輸送の排他的営業権をもとに莫大(ばくだい)な利益を得た。一族は自動車博物館を建てるべく、1950年代からこつこつとクルマを収集した。しかし後年事業が行き詰まり、以後40年近くコレクションは草に埋もれてしまっていたのだ。
2018年5月にドイツ・エッセンで行われた「テヒノクラシカ」では、前年までの「ポルシェ911」市場の熱狂にかわり、未再生車がスターとなった。同年5月にイタリア・コモで開催された「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」でも、「自動車考古学の80年」という名前で未再生車の部門が設けられ、5台がエントリーした。
今や多くのオークショネアーたちが、知られざるコレクションを発掘すべく、情報のアンテナを貼り巡らせているに違いない。
プロの廃業によるものも
ボクはイタリア各地で未再生車に遭遇することが少なくない。といっても、前述したようなヒストリックカーイベントやコンクールに出品できるような名車ではない。かつて人々と生活を共にしていたクルマたちの「廃車」である。
ボクの周辺に限っていえば、大きく分けて以下に分類できる。
(1)現役解体業者の敷地内で、使われていない一角に放置されたクルマ。
(2)過去に解体業者だったものの、廃業に伴い置き去られたクルマ。
(3)かつて個人が使用していたが、何らかの理由で放置されたもの。処分が面倒、オーナーの死去など。
(4)個人がコレクションを形成しようとしたものの、志半ばで放棄したもの。
(2)に関していえば、ここ20年で中小の解体業者が数多く廃業したのには理由がある。それは国が1990年代末に、欧州環境基準「ユーロ」のグレードが低いクルマを、たとえ査定額ゼロでもディーラーを介して無償で引き取る制度を導入したことだ。以後人々は、解体業者ではなくディーラーに古いクルマを持っていくようになった。
解体業者の側から見ても、環境に対する規制が厳しくなるという状況で、廃棄物処理の高い基準を満たし、順守する必要がある。片手間仕事では到底できなくなったのだ。
そうした中で廃業を余儀なくされ、処理できなかったクルマが放置される例が少なくない。
ご近所の廃車(と疑いのあるクルマ)
(4)の「個人がコレクションを始め、気がつけば廃車置き場になってしまった」の好例は、本稿の第559回で紹介した元ガソリンスタンド店主ジュゼッペさんだ。
彼はスタンドに来るお客さんがちょっと変わったクルマを手放すたび、いたたまれなくなって引き取った。当時は前述の無料引き取り制度の施行前夜だったから、ジュゼッペさんの厚意は、オーナーにとってありがたいものだったろう。
家の近くの空き地を借りて保管をはじめると、気がつけば全部で7台にもなってしまった。ジュゼッペさんとしてはクルマを保護すべく屋根を取り付けたかったのだが、自治体の景観条例によって阻まれてしまう。やむなく風雨にさらさざるを得なくなり、気がつけばクルマは事実上の廃車状態となってしまった。
いっぽうわが家が借りている駐車場に、「BMW 3シリーズ」の「クーペ」があった。3代目のE36型だから、車齢は最低でも20年ということになる。
「M POWER」のバッジをサイドや後部に後付けし、ホイールもそれなりのところを見ると、オーナーは一時期このクルマに気合を入れていたのだろう。しかし、よく観察すると、ナンバープレートこそ付いているが、動かされている様子がない。きっとオーナーは飽きてしまったに違いないと思った。
やがて2018年に入ると駐車場が改修されることになり、わが家も含めて借り主は、それぞれクルマの撤去を余儀なくされた。例の3シリーズ クーペも消えた。
これを機会に廃車にされてしまったのだろうというボクの心配をよそに、ある日その3シリーズは近所に路上駐車されていた。その後も頻繁に駐車位置が変わっている。オーナーは駐車場からの撤去を機会に、かつていじった3シリーズの良さを再発見。再び乗り回すようになった……と想像したボクである。
女房が発見した廃車
と、ここまで書いてから、ひとつのことを思い出した。
ボクが運転中にある場所を通るたび、助手席の女房が「あのヘンなクルマ、まだある」と口にするのだ。
こちらはステアリングを握っている最中ゆえ、まともに観察することができなかった。だが、一瞬見た限りでは、ラジエーターグリルがないところからして、リアエンジンの「フィアット850クーペ」か「NSUシュポルト プリンツ」あたりだろうと想像していた。
今回執筆にあたり、あらためて現地に赴きクルマを降りてみることにした。「私有地につき立ち入り禁止」と記された張り紙越しに、半ば葉っぱに埋もれている車両を観察する。
後部のルーバーからリアエンジンであることはわかるものの、例のフィアットでもNSUでもない。ボクの探究心をもてあそぶがごとく、フロントのバッジが消えている。
撮影した写真を手持ちの資料と突き合わせること約1時間。もはや諦めて読者諸兄に「どなたか、このクルマの名前知りませんか」と聞いてみよう、と思ったその瞬間、ひとつの手がかりを発見した。
自動車史の断章に引き込まれ
手がかりとは、フロントフェンダー前端からヘッドライト下に続く砲弾状のプレスである。答えは事前の予想と当たらずとも遠からずであった。その名を「ネッカー・ヤークスト770リヴィエラ クーペ」という。
そもそも「ネッカー」とは何か。それを解くには19世紀末にドイツ・バーデンヴュルテンベルク州ネッカーズルムに設立されたNSUまでさかのぼる必要がある。ドイツ車史に詳しい方ならご存じのように、今日のアウディの源流のひとつである。
創業時代に編み機を手がけていたNSUは、自転車工場を経て1901年にモーターサイクル製造を開始。1905年にはベルギーの自動車メーカーであるパイプのライセンスを取得し、四輪車に進出する。だが1928年、経営環境の悪化からNSUは四輪部門をイタリアのフィアットに売却し、採算性の高い二輪製造に集中した。
ネッカーズルムに隣接する大都市ハイルブロンにあった工場を取得したフィアットは、NSU-フィアットの商標のもと、トリノで設計したモデルをベースにしたクルマを生産した。つまりNSUと資本関係はないものの、その名前を含んだブランド名にしたのである。
第2次大戦後もNSU-フィアットの名で生産が行われたが、1958年に転機が訪れる。“本当の”NSUが四輪車市場に復帰することになったのである。商標の重複を避けるため、フィアット側は新たなネーミングを探すことになった。それが、「ネッカー」であった。工場がある地域を流れる川の名前だ。ただし、ユーザーに混乱が生じないよう、カタログや広告には「旧NSUハイルブロン」と併記された。
新生ネッカーは、フィアットの同名モデルをベースにした「1100」(ネッカー版は「1100オイローパ」)や「600」(ネッカー版は「770」)、「500」をベースに独自のボディーを載せた「ヴァインスベルク」などをラインナップした。
今回発見したヤークスト770リヴィエラは770に瀟洒(しょうしゃ)なヴィニャーレ製クーペ/カブリオレボディーをかぶせたもので、1961年から64年まで生産された。
参考までに、自動車歴史サイト『カーブサイド・クラシック』によると、フィアットはネッカーの商標を1968年まで使用した。その後はフィアットブランドのもと「128」や「124」を製造。ハイルブロン工場は1972年まで存続したと記されている。筆者が察するに、閉鎖の理由はふたつだ。ひとつはラインナップを拡大する、外資系のオペル/フォードに追従できなかったこと。もうひとつは1968-69年にイタリアで起きた労働運動により、トリノ本社側が大幅な経営見直しを迫られたことである。
廃車ウオッチングとは、時に自動車史の断章にボクをいざなう、奥深い行為なのである。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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