第580回:シエナ~ナポリ間 430kmを大移動
大矢アキオの格安バス旅行体験記
2018.11.16
マッキナ あらモーダ!
バス界の革命児現る
近年、ヨーロッパ各国で高速道路を走っていると、頻繁に見かける黄緑色のバスがある。その名を「Flixbus(フリックスバス)」という。
同社の創業は2013年。ドイツのバス事業が自由化されたのに伴い、従来とは一線を画した長距離バスサービスのネットワークを開始した。2015年からは国外展開もスタート。各国にまたたく間に広まった。
実はフリックスバス自体は、車両を保有しない。実際にバスを運行しているのは各国・各地方にある既存のバス事業者だ。だが、車体色やサービスの統一を徹底的に図っている。
同時に、インターネットや多言語に対応したスマートフォン用アプリケーションで、どこの国の路線でもすぐに空席照会&予約できるようにした。さらに、車内の無料WiFiサービスも全車標準化。いわば、ヨーロッパ長距離バス界の革命児である。
料金は“新幹線”の半額
2018年10月、女房の取材のお供で南部ナポリへ行くことになった。わが家のあるイタリア中部シエナは治安が良く、風光明媚(めいび)な街であるが、交通の便という意味では決して恵まれていない。
まずアウトストラーダ(高速道路)が通っていない。小さな飛行場は存在するのだが、約10年前に市議会は周辺環境の静寂さを保つことを優先して、民間路線の乗り入れを拒否する決議をした。そのため、事実上はプライベート機や救難機専用である。
日本の東海道新幹線に相当する半島縦断の高速列車「フレッチャロッサ」や「イタロ」も通過していない。
それらに乗車するには、ローカル線でフィレンツェまで約60km北上しなければならない。その60kmも問題だ。時間帯によっては運行間隔が1時間以上。さらに、そのような短い距離にもかかわらず、フィアット製の古い気動車でトコトコと約1時間半を要する。
そこでボクが着目したのがフリックスバスだ。調べてみると、なんとシエナからローマ経由でナポリまで路線があるではないか。便を選べば、乗り換えも不要だ。
フリックスバスの料金は、飛行機のように空席数や季節によってかなり変動する。公式サイトで調べてみると、ボクの利用予定日は座席指定(1.5ユーロの追加料金)をしても、片道17.5ユーロ(約2250円)だった。鉄道なら、いくら安い時期でもその倍額はかかる。
ボクが閲覧した時点では1日に4本の便があった。距離は約430km、所要時間は乗り換えなしで6時間15分だ。決して短くないが、鉄道駅での乗り換え時間やイタリア名物の遅延等を考えると、フリックスバスは1時間ちょっと多く要するだけである。
画面でクレジットカード決済をすると、即座にスマートフォン用のQRコード乗車券が送られてきた。Appleのウォレットにも対応している。利用者が自らプリンター出力する荷物タグも送信されてきた。
ちょっとした“社会科見学”も
当日の出発時刻は午前10時。バスはフィレンツェを始発駅とし、シエナには10分早く到着した。遅延が当たり前となっているイタリアの交通機関で、まずは合格である。ちなみに、バスを実際に運行しているのは、フィレンツェのバス事業者だった。
フロントガラスに表示された最終目的地は、なんとシエナから約640km離れた、長靴型の半島のかかと、バーリである。始発のフィレンツェからだとおよそ700kmを乗り換えなしで行ける便ということになる。
預ける荷物の収納庫は、「ローマ」「カゼルタ」「ナポリ」……と、途中の停車都市ごとに区切られているので自分で入れる。
ドライバーは2人態勢だ。車両はダイムラーの1ブランドであるゼトラ製の観光バス「S515-HD」である。
バスは定刻に発車。20分ほど国道を走ったあと、アウトストラーダA1号線「太陽の道」を南下し始めた。
常々思っているが、メルセデス・ベンツや、その妹分であるゼトラのバスは、ダンパーのセッティングが硬い。そのため、船のように不快なローリングやピッチングが限りなく抑えられている。ソフトな日本の観光バスに慣れている人だと路面からの突き上げに対して神経質になるかもしれないが、ボクはクルマ酔いがしにくくて大変好きだ。
しばらくの間、車窓からはトスカーナ、続いてウンブリアの、イタリア屈指といわれるのどかな田園風景を楽しめる。だが出発から約3時間、ローマ郊外に差し掛かる頃には、車外の様相が一変してくる。
ショールームの不要部分をオフィス用物件として貸し出そうとしているものの、借り手がつかない大自動車ディーラー、整備が行き届かず炎上・放置された路線バス、堂々と生着替えしている路上売春婦……。運転に集中していては、見落とす事象の連続である。イタリアの明暗をあらためて垣間見た、ちょっとした社会科見学であった。
トンデモ事象も旅の味?
ローマには予定の約30分前に、そしてボクと女房の目的地であるナポリには10分前に到着した。
イタリアの一般的な路線バスとは対照的に、エアコンも寒いくらい効いていた。換気も悪くない。トイレの清掃もまずまず合格点だ。
結論を言うと、フリックスバスは実用面で期待を上回る交通手段である。これからもイタリア移動で使いたい。
残念なのはローマ、ナポリとも、バスターミナル周辺の雰囲気がすさんでいることである。ことにナポリはそれが顕著で、ガイドブックで確認すると、市内でも特に治安が悪いゾーンにターミナルがある。
まあ、ボクが知るかぎりでは、日本のように安全な駅やバスターミナルというのは、なかなかお目にかかれないから、あまり言っても仕方ない。
ちなみに同じナポリのターミナルでのことだ。帰りの便で出発を待っていると、車内にどこからかティッシュペーパー売りが乗り込んできて、堂々と販売活動を展開していた。
ボクがイタリアに住み始めた22年前には、駅で列車にスイカ売りがゲリラ的に乗り込んできたものだが、その類いがバスに今でも生き残っていたかと思うと、ちょっとホッとした。
ドライバーも愉快だ。行きの2人のドライバーのうち1人のおじさんは妙に車内アナウンスが好きで、しまいには若者から「もう少し静かにしてくれ」と怒られていた。
さらに、個人の判断での突発的サービスだったのだろう、乗客にビスケットを配り始めたのだが、枚数が足りなかったらしく、車内後ろ半分の客には行き渡らなかった。
たとえ欧州基準や世界基準があったとしても、イタリアでは独自の解釈で振る舞ってしまう。それはこの革新的なバスでも同じだった。
ちなみにフリックスバスではないが、思わず吹き出したのは、予約しておいたナポリのB&B(ベッド・アンド・ブレックファスト。小規模な宿泊施設)だ。「飛行機の大きさだけを上げないでください」と謎の日本語が記されていた。
多国語の翻訳を見ると、エアコンがオンになっているのを、つまり切るのを忘れないでください、と言いたいらしい。下に書いてあった「ライトオフを覚えている」は「照明を切ってください」ということのようだ。
自動翻訳ツールがはじき出したものなのか。いや、ナポリには、東洋学を教えるイタリア屈指の大学があるのに、なぜこんなになっちゃったのか。
それでも考えてみてほしい。今どき中国語ではなく日本語で書かれているとは。妙に感激した。
このB&Bで過ごす最後の日、ボクはもちろん、エアコンと照明をきちんと消した。ただし、オーナーにはプレートの日本語について何の説教もすることなく、部屋を去ったのであった。
次に宿泊する日本人客につかの間のお笑いを提供するために。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=大矢麻里<Mari OYA>、Akio Lorenzo OYA/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
-
第950回:小林彰太郎氏の霊言アゲイン あの世から業界を憂う 2026.2.25 かつて『SUPER CG』の編集者だった大矢アキオが、『CAR GRAPHIC』初代編集長である小林彰太郎との交霊に挑戦! 日本の自動車ジャーナリズムの草分けでもある天国の上司に、昨今の日本の、世界の自動車業界事情を報告する。
-
第949回:「戦場のスパゲッティ」は実在するのか? イタリア陸軍ショップで聞いた 2026.2.19 世界屈指の美食の国、イタリア。かの国の陸軍は、戦場でもスパゲッティを食べるのか? 30℃でも溶けにくいチョコレートに、イタリア伝統のコース構成にのっとったレーション(戦闘糧食)などなど、エゼルチト(イタリア陸軍)のミリメシ事情に大矢アキオが迫る。
-
第948回:変わる時代と変わらぬ風情 「レトロモビル2026」探訪記 2026.2.12 フランス・パリで開催されるヒストリックカーの祭典「レトロモビル」。客層も会場も、出展内容も変わりつつあるこのイベントで、それでも変わらぬ風情とはなにか? 長年にわたりレトロモビルに通い続ける、イタリア在住の大矢アキオがリポートする。
-
第947回:秒殺で当確? 新型「ルノー・クリオ」が販売店にやってきた! 2026.2.5 欧州で圧巻の人気を誇る「ルノー・クリオ(日本名:ルーテシア)」がついにフルモデルチェンジ! 待望の新型は市場でどう受け止められているのか? イタリア在住の大矢アキオが、地元のディーラーにやってきた一台をつぶさにチェック。その印象を語った。
-
第946回:欧州に「277万円以下」のクルマなし! キューバ化を覚悟した冬 2026.1.29 欧州でお値段1万5000ユーロ未満の大衆車が壊滅状態に! 自動車の価格高騰はなぜ起き、そしていつまで続くのか? 一般の自動車ユーザーは、この嵐をいかにしてやり過ごそうとしているのか? イタリア在住の大矢アキオがリポートする。
-
NEW
実力検証! SUV向けプレミアムタイヤ「ブリヂストンALENZA LX200」を試す
2026.3.62026 Spring webCGタイヤセレクション<AD>目指したのは、人気車種となっているSUVとのベストマッチ。ブリヂストンが開発した新プレミアムタイヤ「ALENZA(アレンザ)LX200」は、どんな乗り味をもたらすのか? モータージャーナリスト石井昌道が試乗を通して確かめた。 -
NEW
BYDシーライオン6(FF)
2026.3.6JAIA輸入車試乗会2026“中国の新興ブランド”BYDにあこがれは抱かずとも、高コスパの評判が気になる人は多いだろう。では、日本に初導入されたプラグインハイブリッド車のデキは? 初めて触れたwebCGスタッフがリポートする。 -
NEW
実に3年半ぶりのカムバック 「ホンダCR-V」はなぜ日本で復活を果たしたのか?
2026.3.6デイリーコラム5代目の販売終了から3年半のブランクを経て、日本での販売が開始された6代目「ホンダCR-V」。世界的なホンダの基幹車種は、なぜこのタイミングで日本復活を果たしたのか? CR-Vを再販に至らしめたユーザーの声と、複雑なメーカーの事情をリポートする。 -
NEW
「ジープ・アベンジャー4xeハイブリッド」発表会の会場から
2026.3.5画像・写真ジープブランドのコンパクトSUV「アベンジャー」に、4WDのハイブリッドバージョン「アベンジャー4xeハイブリッド」が追加された。その発表会(2026年3月5日開催)の場に展示された同モデルの外装・内装を写真で紹介する。 -
NEW
スバル・トレイルシーカーET-HS プロトタイプ(4WD)【試乗記】
2026.3.5試乗記スバルから本格的な電気自動車の第2弾となる「トレイルシーカー」が登場。前後のモーターから繰り出すシステム最高出力はドーンと380PS。ただし、それをひけらかすような設定にはしていないのがスバルらしいところだ。スノードライブの印象をお届けする。 -
ホンダ・インサイト
2026.3.5画像・写真4代目はまさかの電気自動車(BEV)! ハイブリッドからBEVへ、4ドアセダンからSUVへと変身して、「ホンダ・インサイト」が復活を遂げた。ドアトリム/ダッシュボードヒーターにアロマディフューザーと、新たな快適装備を満載したその姿を、写真で紹介する。















