“アレ”との戦いに明け暮れた50年
東名高速道路の歴史を振り返る
2019.02.04
デイリーコラム
名神高速道路から4年遅れでの開業
東名高速道路が全線開通して、間もなく50年になるそうです。
現在57歳の不肖ワタクシは、開業当時7歳だったわけでして、その頃東名を走った記憶はございませんが、小学校低学年の頃に遠足のバスが東京インターを通りかかり、バスガイドさんが「これが東名高速道路の東京インターでございます」的に案内してくれたのを覚えています。
その頃、東名はまだ首都高とはつながっておらず、環八が終点。そして、世田谷区用賀なんてまるでド田舎。そんなところに「東京インター」なる、東京を代表するっぽいインターチェンジができていることに、子どもながらに「不思議だなぁ」と思いました。自分が住んでたのは練馬区だったので、やっぱド田舎だったけど。
ところで50周年ということは、全線開通したのは1969年。名神は1965年なので、4年も遅れたわけです。
理由は、ルートがなかなか決まらず、政治闘争になったから。当初、東京-名古屋間の高速道路は、現在のリニア新幹線とほぼ同様、最短距離の南アルプスぶち抜きルートが計画されていたのです。そこに「そりゃムリだろ」という反対意見が上がり、中央ルート対東名ルートの激しい衝突となって、「取りあえず名神が先ね」ってことになったんですね。
その後ルート争いは東名の勝利に終わり、1969年に全線開通となったわけですが、私が東名をちゃんと走るようになったのは、免許を取った1980年からでした。
その頃の東名は、東京-厚木間のみ片側3車線で、そっから先は全線2車線。週末はそりゃもう恐ろしい渋滞が発生しました。特に上り線。なぜか下り渋滞の記憶はないです。スイマセン。
当時の東名上りのボトルネックは、「都夫良野トンネル」と「綾瀬バス停」付近。特に都夫良野トンネルがひどかった。別に合流があるわけじゃなく、上り坂とトンネルが複合したサグ渋滞でした。
都夫良野地獄が終わったのは1991年。御殿場-大井松田間に、別線の新上り線が完成したのです! これで都夫良野トンネル渋滞は解消! バンザーイ!
![]() |
地獄がなければ天国もない
ところが、大井松田で3車線から2車線に戻るもんだから、地獄の渋滞は大井松田が先頭に。3車線の下り勾配カーブの先にいきなり渋滞の列が現れるんで、マジで怖かった。そこに突っ込む事故が頻発したもんです。
その地獄が終わったのは1995年。大井松田-厚木間が、上下線とも3車線に拡幅完成! これは本当にうれしかった。取りあえずクネクネカーブ区間での渋滞はほぼ解消! ただし、すべての渋滞が綾瀬バス停付近先頭に集約されました。
綾瀬バス停付近には、2003年に付加車線ができたけど、今度は渋滞の先頭が大和トンネルに移動。なんだか渋滞の話ばっかり書いてるけど、東名の歴史は渋滞の歴史みたいなもんなのです。あとは深夜の暴走トラックかな。そっちは、大型トラックへのスピードリミッターの導入(2003年)で徐々に改善されましたが、今度は逆に大型車同士の「ノロノロ追い越し地獄」が出現。結局東名って地獄なのか……。
いやいや、地獄だったからこそ、改良が完成した時はヨロコビもひとしおでした。地獄がなければ天国もないってことですね。地獄さんありがとう(仏の境地)。
東名の最大の天国出現は、2012年の新東名の開通でした! 東名の全線開通から43年、私が免許を取ってから32年、ついに東名がダブルネットワークになったのです(浜松いなさ-豊田東間の開通は2016年)!
思えば道路公団民営化議論の当時は、「第二東名は『戦艦大和』級のムダ」などとマスコミにたたかれまくりました。私は隅っこでほそぼそと「第二東名は必要だ」って書いてたけど。要らないって書いてる記者たちって、東名を一度も自分で走ったことがないんじゃないか!? って感じでしたよ。
とにかく、東名ほど酷使され、使い倒されまくった高速道路は、世界中にないでしょう。東海道ベルト地帯の断面輸送量は世界一だっつーからね。こんなに一直線上に大都市が並んでいるところは、世界中に他にないので。
そんな地域を1本で支え続けた東名高速道路は、本当によく働いてくれました。本当にお疲れさま。今後もよろしくお願いします。
(文=清水草一/写真=清水草一、NEXCO中日本/編集=藤沢 勝)
![]() |

清水 草一
お笑いフェラーリ文学である『そのフェラーリください!』(三推社/講談社)、『フェラーリを買ふということ』(ネコ・パブリッシング)などにとどまらず、日本でただ一人の高速道路ジャーナリストとして『首都高はなぜ渋滞するのか!?』(三推社/講談社)、『高速道路の謎』(扶桑社新書)といった著書も持つ。慶大卒後、編集者を経てフリーライター。最大の趣味は自動車の購入で、現在まで通算47台、うち11台がフェラーリ。本人いわく「『タモリ倶楽部』に首都高研究家として呼ばれたのが人生の金字塔」とのこと。
-
フォルクスワーゲンが電気自動車の命名ルールを変更 「ID. 2all」が「ID.ポロ」となる理由NEW 2025.10.2 フォルクスワーゲンが電気自動車(BEV)のニューモデル「ID. 2all」を日本に導入し、その際の車名を「ID.ポロ」に改めると正式にアナウンスした。BEVの車名変更に至った背景と、今後日本に導入されるであろうモデルを予想する。
-
18年の「日産GT-R」はまだひよっこ!? ご長寿のスポーツカーを考える 2025.10.1 2025年夏に最後の一台が工場出荷された「日産GT-R」。モデルライフが18年と聞くと驚くが、実はスポーツカーの世界にはにわかには信じられないほどご長寿のモデルが多数存在している。それらを紹介するとともに、長寿になった理由を検証する。
-
なぜ伝統の名を使うのか? フェラーリの新たな「テスタロッサ」に思うこと 2025.9.29 フェラーリはなぜ、新型のプラグインハイブリッドモデルに、伝説的かつ伝統的な「テスタロッサ」の名前を与えたのか。その背景を、今昔の跳ね馬に詳しいモータージャーナリスト西川 淳が語る。
-
「MSRロードスター12R」が『グランツーリスモ7』に登場! その走りを“リアルドライビングシミュレーター”で体験せよ 2025.9.26 あの「マツダ・ロードスター」のコンプリートカー「MSRロードスター12R」が、リアルドライビングシミュレーター『グランツーリスモ7』に登場! 他業種(?)との積極的な協業により、運転する楽しさとモータースポーツの普及を進める、マツダの最新の取り組みに迫る。
-
狙うは「N-BOX」超え 新型「ルークス」は日産の復活に向けた号砲か? 2025.9.25 フルモデルチェンジで4代目に進化した「日産ルークス」の評判がよさそうだ。2025年8月に車両概要が先行公開され、同年9月には価格も発表。あとは正式発売を待つばかり。ライバルとして立ちはだかる「ホンダN-BOX」を超えられるか。
-
NEW
第846回:氷上性能にさらなる磨きをかけた横浜ゴムの最新スタッドレスタイヤ「アイスガード8」を試す
2025.10.1エディターから一言横浜ゴムが2025年9月に発売した新型スタッドレスタイヤ「アイスガード8」は、冬用タイヤの新技術コンセプト「冬テック」を用いた氷上性能の向上が注目のポイント。革新的と紹介されるその実力を、ひと足先に冬の北海道で確かめた。 -
NEW
メルセデス・ベンツGLE450d 4MATICスポーツ コア(ISG)(4WD/9AT)【試乗記】
2025.10.1試乗記「メルセデス・ベンツGLE」の3リッターディーゼルモデルに、仕様を吟味して価格を抑えた新グレード「GLE450d 4MATICスポーツ コア」が登場。お値段1379万円の“お値打ち仕様”に納得感はあるか? 実車に触れ、他のグレードと比較して考えた。 -
NEW
第86回:激論! IAAモビリティー(前編) ―メルセデス・ベンツとBMWが示した未来のカーデザインに物申す―
2025.10.1カーデザイン曼荼羅ドイツで開催された、欧州最大規模の自動車ショー「IAAモビリティー2025」。そこで示された未来の自動車のカタチを、壇上を飾るニューモデルやコンセプトカーの数々を、私たちはどう受け止めればいいのか? 有識者と、欧州カーデザインの今とこれからを考えた。 -
NEW
18年の「日産GT-R」はまだひよっこ!? ご長寿のスポーツカーを考える
2025.10.1デイリーコラム2025年夏に最後の一台が工場出荷された「日産GT-R」。モデルライフが18年と聞くと驚くが、実はスポーツカーの世界にはにわかには信じられないほどご長寿のモデルが多数存在している。それらを紹介するとともに、長寿になった理由を検証する。 -
数字が車名になっているクルマ特集
2025.10.1日刊!名車列伝過去のクルマを振り返ると、しゃれたペットネームではなく、数字を車名に採用しているモデルがたくさんあります。今月は、さまざまなメーカー/ブランドの“数字車名車”を日替わりで紹介します。 -
カタログ燃費と実燃費に差が出てしまうのはなぜか?
2025.9.30あの多田哲哉のクルマQ&Aカタログに記載されているクルマの燃費と、実際に公道を運転した際の燃費とでは、前者のほうが“いい値”になることが多い。このような差は、どうして生じてしまうのか? 元トヨタのエンジニアである多田哲哉さんに聞いた。