今やすっかり絶滅危惧種 “高性能なMT車”の存在意義を考える
2020.05.18 デイリーコラムポルシェでもレアな好事家用
去る2020年4月の話。ポルシェは北米向けの992型「911」に7段MTのオプションを設定すると発表しました。その内容は先に設定が発表されていた欧州向けに準拠しており、価格は8段PDKと同額といいますから、無償オプションという考え方もできるかもしれません。でもそれではあまりに割高=不公平感が出るわけで、MTを選んだ人にはオマケがいくつか用意されています。
とりわけ大きいのはスポーツクロノパッケージでしょう。これにより、おなじみのダッシュボード上のクロックに、ステアリングのロータリー式ドライブモード切り替えスイッチや、20秒間のスクランブルブーストを可能にするスポーツレスポンスなどの機能が加わるわけですが、MTの場合はそこにシフトダウン時の回転を車両側で合わせてくれるレブシンクロのブリッパーも追加されます。
さらに、このご時世にわざわざMTを選んで乗ろうという好事家に喜んでもらえそうな、ブレーキベクタリングのPTVと機械式リアLSDも付いてくるようですから、ポルシェとしてはPDK相当の額をいただいてもバチは当たらんだろうということなのかもしれませんね。ちなみにこのオプションは「カレラS」と「カレラ4S」に用意されるようですが、残念ながら現時点では日本のコンフィギュレーターには反映されていません。右ハンドル用のレイアウトに手間がかかるのかといえばさにあらず、同系車台の991型までは右ハンドルMTの設定がありましたから、物理的に難しいことはないと思います。
“速さの正義”に合致しない
周囲の声に押されて必死で段取りつけてMTを設定したものの、いざ投入してみたらほとんど売れない。日本市場においてはそんな話をよく耳にします。この先、他のリージョンのように992型でMTが選べるようになるか否かはわかりませんが、売る側も買う側もそれを熱望しているかといえば、そんなわけでもないのかもしれません。
そう、今やMTを選ぶ合理性はない。それも事実だと思います。なにより、MTの存在意義が問われるきっかけとなったのは2000年代後半、スポーツカーの動力性能の2次曲線的な向上に重なったDCTの市販車への普及でしょう。ニュル7分30秒切りの速さを絶対的な価値として登場した「日産GT-R」は初っぱなからDCTのみでしたし、ポルシェも997型後期からPDKを投入するや、日本市場においてもMTの比率がガクンと落ちました。
そしてスポーツカーのMT離れを象徴するひとつの事例が2009年の「フェラーリ458イタリア」の登場です。最高出力570PSを9000rpmで発生する超高回転型V8エンジンに組み合わせられるのはゲトラク製の7段DCTのみ。「F430」までは辛うじてMTの選択肢もありましたが、2ペダルのみになったのです。スポーツカーにとって譲れない価値が速さであるとするならば、3ペダルよりも2ペダルのほうが速いのだからMTは必要ない。以降、フェラーリの新型車であの象徴的なシフトゲートを見ることはなくなりました。
それでもMTに価値はある
カキンカキンと音を鳴らしながらリーチの長いレバーを操る、あのお楽しみがパドルに置き換わってしまった……。フェラーリには多分に情緒的なものを期待するクルマ好きにとって、それはあまりに悲しい事態です。が、458イタリアに乗るとその理由はわかります。猛烈な動力性能とともに異様な軽さで吹け上がるエンジンは、悠長に3ペダルで操ってもオーバーレブでぶっ壊すのが関の山。その頃から、トップレンジのスポーツカーのパフォーマンスは素人のお戯れでは到底追いつかないレベルに達し始めていました。
以降はご存じの通り、出てくるスポーツカーたちはむしろMTを用意してくれていることのほうが珍しくなりました。代々のマイカーが常にMTである僕的には一抹の寂しさを覚えつつも、991型「911 GT3」のようなカミソリレスポンスのエンジンをMTで操りたいかと問われれば、白旗を掲げるしかありません。まぁそれでも、「アルファ・ロメオ4C」や「アルピーヌA110」あたりはMTがあってもいいよなぁとは思いますが。
恐らく今後は、速い遅いとかそういうことは別にして、MT体験自体の価値が高まり、そのストローク量や吸い込み感みたいな操作質感の側に興味が傾いていくのかもしれません。そういえば近ごろ、「ロータス・エリーゼ」のシフトレバーがリンクむき出しのメカニカルなものになりましたが、これ、革のブーツをかぶせるよりもはるかにお金のかかるしつらえです。恐らくロータスも自分たちのプロダクトに欠くことのできないMTの高付加価値化を考えての施しなのでしょう。
幸いなことに日本には、「ホンダS660」や「マツダ・ロードスター」など、手ごろな値段で素晴らしいシフトフィールを体験できるスポーツカーがあります。上質なMT体験は、必ずやクルマ人生の良き思い出になると思いますよ。
(文=渡辺敏史/写真=ポルシェ、日産自動車、フェラーリ、アルピーヌ、田村 弥/編集=関 顕也)

渡辺 敏史
自動車評論家。中古車に新車、国産車に輸入車、チューニングカーから未来の乗り物まで、どんなボールも打ち返す縦横無尽の自動車ライター。二輪・四輪誌の編集に携わった後でフリーランスとして独立。海外の取材にも積極的で、今日も空港カレーに舌鼓を打ちつつ、世界中を飛び回る。
-
「アルファ・ロメオ・ジュニア」は名門ブランド再興の立役者になれるのか?NEW 2025.11.20 2025年6月24日に日本導入が発表されたアルファ・ロメオの新型コンパクトSUV「ジュニア」。同ブランド初のBセグメントSUVとして期待されたニューモデルは、現在、日本市場でどのような評価を得ているのか。あらためて確認してみたい。
-
「レクサスLSコンセプト」にはなぜタイヤが6つ必要なのか 2025.11.19 ジャパンモビリティショー2025に展示された「レクサスLSコンセプト」は、「次のLSはミニバンになっちゃうの?」と人々を驚かせると同時に、リア4輪の6輪化でも話題を振りまいた。次世代のレクサスのフラッグシップが6輪を必要とするのはなぜだろうか。
-
長く継続販売されてきたクルマは“買いの車種”だといえるのか? 2025.11.17 日本車でも欧州車並みにモデルライフが長いクルマは存在する。それらは、熟成を重ねた完成度の高いプロダクトといえるのか? それとも、ただの延命商品なのか? ずばり“買い”か否か――クルマのプロはこう考える。
-
ホンダが電動バイク用の新エンブレムを発表! 新たなブランド戦略が示す“世界5割”の野望 2025.11.14 ホンダが次世代の電動バイクやフラッグシップモデルに用いる、新しいエンブレムを発表! マークの“使い分け”にみる彼らのブランド戦略とは? モーターサイクルショー「EICMA」での発表を通し、さらなる成長へ向けたホンダ二輪事業の変革を探る。
-
キーワードは“愛”! 新型「マツダCX-5」はどのようなクルマに仕上がっているのか? 2025.11.14 「ジャパンモビリティショー2025」でも大いに注目を集めていた3代目「マツダCX-5」。メーカーの世界戦略を担うミドルサイズSUVの新型は、どのようなクルマに仕上がっているのか? 開発責任者がこだわりを語った。
-
NEW
「レクサスLSコンセプト」にはなぜタイヤが6つ必要なのか
2025.11.19デイリーコラムジャパンモビリティショー2025に展示された「レクサスLSコンセプト」は、「次のLSはミニバンになっちゃうの?」と人々を驚かせると同時に、リア4輪の6輪化でも話題を振りまいた。次世代のレクサスのフラッグシップが6輪を必要とするのはなぜだろうか。 -
NEW
第92回:ジャパンモビリティショー大総括!(その1) ―新型「日産エルグランド」は「トヨタ・アルファード」に勝てるのか!?―
2025.11.19カーデザイン曼荼羅盛況に終わった「ジャパンモビリティショー2025」をカーデザイン視点で大総括! 1回目は、webCGでも一番のアクセスを集めた「日産エルグランド」をフィーチャーする。16年ぶりに登場した新型は、あの“高級ミニバンの絶対王者”を破れるのか!? -
NEW
ポルシェ911カレラGTSカブリオレ(RR/8AT)【試乗記】
2025.11.19試乗記最新の「ポルシェ911」=992.2型から「カレラGTSカブリオレ」をチョイス。話題のハイブリッドパワートレインにオープントップボディーを組み合わせたぜいたくな仕様だ。富士山麓のワインディングロードで乗った印象をリポートする。 -
第853回:ホンダが、スズキが、中・印メーカーが覇を競う! 世界最大のバイクの祭典「EICMA 2025」見聞録
2025.11.18エディターから一言世界最大級の規模を誇る、モーターサイクルと関連商品の展示会「EICMA(エイクマ/ミラノモーターサイクルショー)」。会場の話題をさらった日本メーカーのバイクとは? 伸長を続ける中国/インド勢の勢いとは? ライターの河野正士がリポートする。 -
第852回:『風雲! たけし城』みたいなクロカン競技 「ディフェンダートロフィー」の日本予選をリポート
2025.11.18エディターから一言「ディフェンダー」の名を冠したアドベンチャーコンペティション「ディフェンダートロフィー」の日本予選が開催された。オフロードを走るだけでなく、ドライバー自身の精神力と体力も問われる競技内容になっているのが特徴だ。世界大会への切符を手にしたのは誰だ? -
第50回:赤字必至(!?)の“日本専用ガイシャ” 「BYDラッコ」の日本担当エンジニアを直撃
2025.11.18小沢コージの勢いまかせ!! リターンズかねて予告されていたBYDの日本向け軽電気自動車が、「BYDラッコ」として発表された。日本の自動車販売の中心であるスーパーハイトワゴンとはいえ、見込める販売台数は限られたもの。一体どうやって商売にするのだろうか。小沢コージが関係者を直撃!







